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#15 博論執筆とどう向き合うか?自分の夢との両立
博論執筆を始めてから、2週間が経ちました。
といっても、先行研究調査をしていて、まだ博論自体は1文字も書いてませんが、今日から書こうと思っていたところです。
なんですが、博論を書きたくないという思いからか、将来設計を練ることに今日の午前中は費やしてしまいました。
という、少し後ろめたさや焦りもありながら今日は、noteを書いてます。
なぜ、そんな時にnoteを書くのか。
それは、この午前中で練った将来設計をまとめて、その上で、博論執筆にこれから集中するための、マインドセットをしたいという目的です。
少しモチベーションを失いかけてました
これまでにも、よくあったことなのですが、やっぱり、育児・家事を全部妻がやってくれているとはいえ、博論執筆に週7で取り組んでいて、楽しいわけではありません。正直つらいです。もう博論なんて書きたくないです。
でも、そのマインドのままで、博論執筆に朝から晩まで時間を費やすというのも非常につらく、作業効率も落ちてしまいます。
そこで、ランニングや筋トレと両立させることで、気晴らしにもなっていいかなと思って、ランニングや筋トレも目標を設定して、頑張っていたのですが、そうすると、やっぱり、一旦就職という形で研究者をやめることが決定している身にとって、断然、ランニングや筋トレの方が夢があるし、やっていて楽しいわけです。
これと似た現象は先月にも起こっていて、先月から始めた、共同研究を博論執筆と同時並行でぼちぼち進めようと思っていたわけですが、当たり前ですが、共同研究の方が夢があって楽しいわけです。
指導教員と馬が合わず、これまでその環境下で我慢しながら、タスクをこなすように研究をしてきた自分にとって、共同研究というのはその満足できていない苦しい環境から、脱却して研究者として自立できるチャンスをほんの少しながら秘めているわけで、夢を感じるのです。
話がそれかけてしまいましたが、まとめると、博論執筆がやりたくない作業だからと言って、それ以外に娯楽の時間を作ったところで心は休まらないし、別のことで頑張る時間を作ったところで、そっちに夢を感じて、ますます博論執筆がやりたくないものになってしまうということです。
そういう訳で、モチベーションを失いかけてました。博論書き終わるまで、我慢し続けながら生活しなければならないのか…って思ってしまって。
こうなったら博論執筆を楽しいものに変えるしかない!
過去の自分の経験としても、こういうことは何度もあったような気がして、一番近いのだと、自身2本目の投稿論文を執筆した時でしょうか?
その時も結局最後は、もうどうでもいいから早く終わらせることだけ考えて、ダメ出しされてもいいからテキトーに書こう!と思って、半ば、投げやりな気持ちで書きました。
でもある程度書いていくと、「あ、この調子でやっていけば、確実に毎日少しづつ前には進んでいるし、書き直しって言われる可能性はあっても、ひとまず自分のやるべきことは終わらせられる!」という気持ちになってきて、途中からは、早く終わらせたいという気持ちで、脳みそと体はやる気も元気もない状態で、手だけぱちぱちとタイピングを進めているという感じで、日々がさーーーっと過ぎていきました。そうしたら、一応クオリティはさておき、論文は出来上がっていました。
ということで、今回も、ランニングや筋トレ、共同研究に逃げたくなる気持ちが出ないように環境を整えて、何も考えず、論文を書いていこうかと思いました。頭が動いてなくても、手が動いていれば、論文は書けます。
あとは、嘘でもいいから、その論文執筆作業を楽しいと思える理由を何か作っておこうと思いました。
案としては、
・自分がこれまで調べたことの忘備録として書く(これは今までやってきたことで、2本目論文や学振申請書もそうやってやったけど、やりすぎると、内容が伝わってこないとか言って、またグチグチ言われる可能性がある)
・忘備録だけど、小説や伝記を書くように、本文の流れにストリー性を持たせて、博論としては少し風変わりなものを書く(もしかしたら、規格外すぎてこれも書き直しといわれる可能性もある)
くらいでしょうか?
2本目の投稿論文を書いた時も結局、今、思い出したのですが、この2点を”楽しみ”として、論文を書いたような気がします。やっぱり、文献調査してノートまとめをしても、そこでの考察や気づきに関する情報量は膨大すぎて、すぐに忘れてしまうので、それを論文という形で残せれば、それは、今後自分が研究を継続する上での、”ヒントの宝庫”のようなものになるわけで、あとで自分で読み返して、意味があるわけです。
あと、ストリー性を持たせて、半分おふざけな気持ちで書くというのは、”普通の合格点の博論”から、もう一つ抜きんでる可能性を秘めていて、これまた、自分で自分をだましているようですが、若干の夢を感じるわけです。
「みんなが当たり前に頑張ればできることを、おなたもできるだけ、正確に短い時間でやってしまいなさい」みたいな、単純労働をさせられているような気分になることをするのは、誰でもそうだと思いますが、本当にやる気がおきません。
受験勉強をやらされている子供が、勉強のやる気がどんどんなくなっていくのはこういう心理なんだろうなぁと思います。逆にこういう発言をした挙句、「まあどうせあなたにはできないだろうね」みたいなモラハラまで追加でしてくる指導者というのは本当に指導者として良くないなと、今なら客観視できるし、改めて、自分が上に立つときは、指導方法をちゃんとメソッドとして学ぶ努力をしようと心に決めました。
逆に、僕は子供の頃、勉強を強制されることはなかったので、そういう経験はこれまでありませんでしたが、勉強ができる子が勉強をそこまで苦痛に感じないのは、この勉強を頑張れば、周りより抜きんでることができるかもしれない!当たり前の存在ではなくなることができるかもしれない!という、”夢”を感じるからではないでしょうか?
結局、大半の人間は、敷かれたレールの上を走るのが、本能的に嫌いなのだと思います。
博論執筆と自分の夢との両立(3月末まで)
今日は話が長くなりましたが、今日から3月末まで(2/3~3/29)は博論執筆に本当の意味で専念しようと思います!
できれば、3月末までに博論を書き上げたいのですが、そこは指導教員次第でもあるので、3月末までに終わらせるという時間的な目標をモチベーションにするのはやめようと思います。
あくまで、先述した、「忘備録としての情報の整理、そしてストリー性を持たせて読んでて楽しい博論を書く」ということをモチベーションに博論を書いていこうと思います。
3月末までに書き上げられなくても、集中して博論執筆に取り組めていれば、それなりのものが3月末までには出来上がっているはずなので、残りは、ぼちぼち進めても、提出〆切の6月頭までには書き上げられるだろうと思います。
そして、博論執筆以外のことは、博論執筆の時間を侵食しないように、決められた時間だけ、全力で取り組んで、気晴らしになるように同時並行で進めていこうと思いました。
ということで、ルールとしてここで明記しておきます。
・共同研究は3月1日から再開する。再開してからは、土日の2日間だけ全力で取り組む。
・ランニングは平日毎朝10km+日曜日の距離走で月間走行距離300kmを目指す。8時間睡眠と怪我対策が一番大事。
・筋トレは、週3回でお昼休みの時間に行く。
あと、物性物理の知識習得目的で、論文や参考書を読みたくなることがあるのですが、これも博論執筆の逃げ道になりかねないので、3月末までは完全に保留としておく。
4月から博論審査までの2か月間は、興味に紐づけながら、気になることがあるたびに、時間を取って勉強して、ノートにメモしていく。
博論審査に耐えられる、基礎知識を身につける。
まとめ
今日は書いているうちに、いろいろアイディアが浮かんできて、それを書き出していきました。何とか博論執筆に今日から専念できそうな気がしてきました!
博論執筆に専念すると宣言したからには、3月末まではnote執筆も保留にしたですね。
3月30日にマラソン大会に出場予定なので、そこを区切りとして、3月31日は1日休養日として、思考整理したり、ntoe書いたりしたいなあと思います。
ということで、次回は3月31日にnote書きます!!
@コワーキングスペースにて
2025.2.3.