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466 82歳暮らしの断片

 (7)鈍行

 せっかちな性格なのに、鈍行列車の旅が大好きなのだ。
50歳から65歳まで、鈍行列車専用のチケットを使い、当時のJR全線、日本の北から南までを旅した。いや、正確には走破した。

久しぶりの電話

 久しぶりの友達から電話があった。元気?まずまずね。
要件は18切符のこと、彼女もふと思いついて5枚綴りの切符を買ったのだとか。友達を誘って東京へ行くつもりらしいが、あまり長くどこへもでかけてないし、まして列車で行くことはとんとご無沙汰。
ついては、詳しいあなたに確認したくてという。作法を忘れたと。
二人で、東京へも行き夜景や高層ビルに魂消ながら、房総とか、鎌倉とか、足を伸ばしたし、関西の方も、姫路城や京都、近江とかも訪ねた。
どの旅も気楽で、出ていけば何らかのエピソードが付いてきて、思い出せばただ愉快。
 私も鈍行の旅はとんとご無沙汰、卒業した気分だから、基本的な注意事項だけを伝えて、彼女らの旅の幸運をと言って電話を切った。

ローカル鉄道

 折しも新聞に、鉄道会社がローカル線の在り方を見直そうとしていると、フォーラムの記事。
地域の足を考えて、自治体はどう向き合うか、バス転換を含めた議論をせまられているとあった。
 JRの経営判断により廃止された路線が、ずらりと並ぶ。
北海道は多い、江差線、留萌線、石勝線、日高線函館線の一部など。
JR東日本では、山田線、大船渡線、気仙沼線等。
信越線の横川から軽井沢とか。
14歳年上の旅の先輩と私が走り回った懐かしい路線が廃線とは?!

旅の工夫

 旅の先輩は苦労人、九州の人で、旦那様と小料理屋をやっていたが、45歳で早死し、子供4人を女手一人で育て上げた。
学校の調理員として働いて、彼女の定年のときに私と話があって、それからの旅友達。
頭の巡りも行動もピタリと息が合い、おかげで実に愉快に日本全国北から南まで、時刻表とリュックで走り回った。
列車に乗っている時間はたっぷりと人生談義。
体験豊かな人生の先輩から、血と涙と汗の絡まる生き様を聞いた。彼女が言うには、私からは、朗らかに人と交わり楽しく暮らすすべをおしえられたとのこと。
私達はいいコンビだった。
旅の途中で、感心したのは、彼女の人を見る目の確かさ。客商売をしていたこともあり、洞察力が的確。
例えば見知らぬ土地で人に物を尋ねるとき、先輩が寄っていくと、必ず目的は達せられ、オマケの良い情報がゲットされたこと。
感心していた私もだんだん狙い所がわかってきて、何を尋ねるにも間違った人によっていくことはなかった。
親切に必要なことは教えてもらい、余分に朗報も得た。
道を聞くのも、闇雲に聞くのでなく、ゆとりの有りそうな人を見つけて、気持よく教えてもらうのだった。

 ゆっくりじっくり

 飛行機に乗り船に乗り、海外もあちこち行った。
旅の先輩は、お嫁さんが病に倒れ、幼い二人の子供を残された息子さんを助け、70歳からの子育て、なんでもきっちり頑張る人は、80歳でなくなってしまった。
二人の旅は終わり。
鈍行の旅で得たノウハウを基に、私の旅は、多彩に花開いた感じ。世界を広げた。地球を広いとも狭いとも、実感する旅を沢山した。今も人生の旅が続いていて、まだ、続きそうな気配。八十路になって、人生航路、鈍行の旅方式で行くのがいいと思い定めている。

#ガッタンゴットン
#果てしなく進む

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