390 81歳の暮らしから
(27)聞き手として
うーん、今日の私はいっちょ前の高齢者そのものなのではないか。
とにかく今まで、自分が老人だなんて思ったことがない。
何いってんの、若いんでしょう?!本物の若者に活を入れ、鼻柱の強い、婆様。
孫やひ孫からは、れっきとした、おばあちゃん!他人からの安易な婆さん呼ばわりは許せない。
(聞きたかった)
今日は自分から、体験者の友に、圧迫骨折のアレコレを聞いてみたく、部屋に上がってもらう。見事なユリを持参してくれた人に、花は水につけておき、まずまず、教えてほしいと引きずり込む。
いつにない私の無遠慮な強引さに、タジタジの彼女。
いつもおしゃべりな私だが、今日は聞くつもりで、まず座ってもらう。
手短に、実はと、自分の圧迫骨折のコルセット着用の顛末をかたる。
それからはもぅ4年前になる彼女の奮闘をこってり聞いた。自分が80,旦那様が3つ4つ上、長らく介護をなさっていたのが、だんだん酷くなって手が抜けないときに、疲れて、うつかり転倒、介護人のほうが救急車で病院へ。同居の息子さんがいて助かったそうだが、骨折がわかっても入院はできず、コルセットをつけたままで、病人の始末を皆やったとのこと。
聞くだに大変、これを大変と言わずに、何が大変なんだろう。
介護する人は、それぞれ状況違えども、幾重にも難儀なことを引き受けざるを得ない。
一人で我が身のことだけ考えて、それで済んでる今の自分は、文句なんか言えない。
(耳の話、目の話)
彼女は耳が遠くなってもいる。1対1なら、比較的いいが、大勢の中は苦手だそう。
補聴器をあれこれつけてみても、なかなか、ピタリとくるものがないという。扱う会社や商品も様々で、医者とも相談しながら購入使用すれども、未だにバッチリ決まらないそうだ。
そういえば母も、晩年、高額の補聴器をつくっても、使用していたことを見たことがない。きっと具合が悪かったのだろう。何も愚痴は聞いたことがないが、辛かったのだろうな。賑やかな母が、言葉少なに、ただ、ニコニコしてたのに、私は何も気が付かなかった。
目の話はこうだ。大きなフレームでおしゃれなのが気に入り、友達からも褒められた。遠近両用の、それをかけると目眩がしてふらふら危ない。結局小さめの細い眼鏡に収まったとか。大きなレンズは余分なとこまで見えてしまってくらくらするらしい。私は遠近両用を試す段階で、気持ちが悪くなりそうで、2つのメガネを持った。
伊達眼鏡でなく、助けにならねば意味がない補助具だから、オシャレは別に考えること。
序に、施設に入る予備軍として、デイサービスセンターで、空きがあったので、するりとはいれて、今は決められた日に軽い体操とか、皆で歌うとか、楽しく通っていることも聞いた。
耳の聞こえから申請をして、障害6級の手帳を持っているのでバスは半額でいいのだとか。
年金ぐらしの独り者でも、なにか申請して補助してもらえることは、あるのか、ないのか。
何するでも、いちいち、高い交通費、自治体によっても格差のあるのも、忌々しい。
(やはり老病は直結)
ああ、楽しい話をする暇がなかった!真面目に老や病の話をしてたら時間いっぱい。
考えてみたら、楽天家で現実的な私は、健康なればこそ、時間いっぱい、愉快な話で埋めていたんだな!
腰痛も、81歳のこれは、侮れないと、笑ってばかりで済まされないと、少しは身にしみたような自分。
しおらしく、してたほうがいいのかなあ?!
口は食べるも喋るも一向、衰えないのだが。