440 81歳の暮らしから
(77)信じる人達
分厚い自分史を読んでいる。目の手術から思わぬ遠回りして、長い間不自由した。
人から勧められたのや、自分で買ったのや、積んであったのを、そろそろ読みかけている。
20年来、お仲間だったM氏が、退会して、(誓いの二人三脚)と、題した夫婦史を書かれた。信仰の道筋とも言うべきか。
無神論者であり、信仰も縁のない自分だが、ひたすらな、M氏の、日頃の姿から、温和な笑顔とともに、受け入れざるを得ない気持ちだった。
信仰そのものには、全く関心がなかった。
日頃の行動
例えば自分史の会の、色々な役、表に立つのは人に譲り、かき分けて前に出ることは絶対にせず、横にいたり後ろにいたり、人目につきにくい、厄介なこととか、手間ひまかかる下働きのようなことも、ニコニコとさり気なくこなしている。必要とあらば、控えめながら、きっぱりと、出るべきところには出て役を果たす。私の知る男性像には、ついぞ見当たらぬ、尽くす人に思えた。
440ページにも及ぶ記録の、まだ三分の一強しか読んでないが、若き日の家庭の事情と、早くからの信仰の道への、なかなか激しい入り方が詳しく書いてある。
同じ年頃の彼が、自分とは全く違った環境で暮らしていたことに、驚く。
お金持ちではなかったが、家族水入らずで、落ち着いた暮らしだったのだと、人の、こし方の苦労を知って、改めて自分の環境を思い返した。
同じ宗教の人
職場が同じで、歳は一回りも上の、旅の先輩とも言うべきTさんは、職場の調理員。趣味の話で仲良しになり、春、夏、冬と休みを利用、18切符でJRの全線走破を果たした。信仰の話は、まず、しなかったが、日本全国走り回れば、寺社仏閣はいたるところに在る。
私は、建築そのものを観るだけでも、興味があったし、醸し出す雰囲気の荘厳な気配が好きで、なるべく多く足を運んだのだが。
手を合わしたり、お賽銭入れたり、形ばかりの不信心。
彼女はきっぱりしていた。私の気持ちを壊さぬよう、静かに言った。
(信仰があるのですわ)
しげしげ見て回る私を待つ間、外で、タバコを吸うか、缶コーヒーを飲んでいた。
40半ばで夫に先立たれ、4人の子供を、給食のおばさん頑張りながら見事に育て上げた。
余分なことは言わず、自分の仕事は完璧に。
私との旅を喜んでくれたのは、欲深い楽しみ方をカラカラと笑ってやるさまを、気に入ってくれてのことだった。
80歳でなくなったとき、お家を訪ねたら、小さな卓の上に、名前だけの位牌がキリッと有った。
新しい人達
現在の自分史の会にも、同じ信仰を持つ人が何人かいる。やはり、厭わずに、会の下支えを、してくれている。
文章も、詩も、俳句も、川柳も、確りと表現し、それは信仰の裏付けある毅然とした雰囲気がある。
はっきり言うと、信仰にまっすぐ向かっている彼らの姿に、感心はしているが、共感は少ない。とにかく私は、自然には頭を垂れるが、他の想像力はない。
どこへも行き着けないのだろうか?天国に行くつもりのような気がしているのだが。