531 83歳ゆらぎの中を
(6)お家カフェ
春の雨の日、私は機嫌よく、インスタントコーヒーを飲んでいる。甘いものか、軽いお菓子をなにか、ほしいところだが、生憎無さそう。ま、良いか!
予定もなし。ねばならないやることとて、気にするほどのことはなし。
あっ!あったあった、ちょうどいい加減の一口が。
生協でパンを頼んだはずが、届いたのは、小さなお菓子風。超薄干しブドウパンの4切れ。手作り柚子ジャムと、気に入りのクリームチーズをのせて、コーヒーのお供。
これで、お家カフェのムードが出来る。
今朝の朝刊のオピニオン&フォーラムのページに、カフェが取り上げられていた。
すぐさま思い出したのは、社会人なりたての20代前後、後に夫となる大学生と、二人で喫茶店にいた。照明は今のように明るすぎず、落ち着いた雰囲気。ソファーがゆったり横並びで、一杯50円のコーヒー。苦くて美味しくなかったけど、我慢して、カッコつけていた。
店内に流れるのは静かなクラシック。話すでもなく音楽に耳傾け、唯時を共有していれば良かった二人。彼が椅子に片足を上げ膝を抱えた。その時すかさず女店員がそばに来て、(純喫茶でございますので)。長時間座っていて、疲れて姿勢を変えたかったのか、確かに、御行儀の良いことではなく、直ぐ正したが。
レトロな喫茶店も気取っていたな!
贅沢な時間をつい、居心地良く、寛いでしまった、あのときの若い二人。
どちらか云うと、紅茶派で、コーヒーを美味しいと思うようになったのは、その後随分経ってからである。
いやいや美味しく思えるより前に、40代以後、聾学校での厳しい仕事と向き合っていた時、嫌なのではなく、全力投球にならざるを得ないギリギリの環境で、家庭との両立ではバランス上、どうしても必要だったカフェでの一時。適当なざわめきや、落ち着ける居場所の中で、頭と心を休ませ、熱いコーヒーの苦みを流し込み、家庭の役割の主婦の座にまっすぐ戻る。
やっとこ、ママである自分になって呼吸をし、へとへとでも気分は、負けないでいられた。カフェは、正常な呼吸を取り戻す必要不可欠な場所だった。
職業婦人としての醍醐味を味わい、やり切って退職後は、
カフェは、贅沢な、愉快な、楽しい場所となる。
家族や友人との、会話、ティータイムは、心くつろぎ、交流することで、絆は深まり、男友達とも、愉快なひとときを持てるようになった!
50歳からの15年間で、日本の北から南まで列車の旅をした。その時の感想で、しみじみ心に残っているのは、自分の住んでいる愛知の、特に一宮の、喫茶文化について。
今は、モーニングで有名になっているが、そもそもは(コーヒー屋)。
好景気のガチャマン時代、商談を、やかましい工場ではできるものでなく、珈琲屋まで出向いて、成立させていたこと。今は時代が変わり、ガッチャンガッチャンと言う音は聞こえないが、名残の喫茶店文化がしっかり根付いたものと思われる。
18切符で全国を舐めるように走って回った。鈍行は、アチコチで結構な待ち時間があったりする。
いいわ、いいわ、駅前に喫茶店くらいあるだろうから、2時間や3時間、平気平気!
とは、いかなかった。名前の知られた地方都市の駅でも、喫茶店?駅の中に立ちそばありますよ。何度も困って、わかった事は、一宮みたいに、喫茶店の多いところが、普通ではないこと。
喫茶店で週刊誌など、読むのもたまには、いいなどと、おもってるし、お家カフェに、友達来てもらうのも大好きだけど、雨の日の、気ままな一人のお茶タイムは、全く良い。
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