わがままライフ【幼〜高】岡部翔と言う人間part1
こんばんは!岡部です。
なんで今更という感じですが
自分が何者なのかを自己紹介と
して少々長くはなりますが
お伝え出来ればと思います!
大分県で生まれ育ち工業高校卒業後、専門学校に進学と共に福岡へやって来ました。
専門学校の学びをへて、今現在福岡県大野城市のパーソナルジムトレーナーとして働いております。
振り返ってみると私は幼い頃からわがままを押し切り、親の優しさに甘え育ってきたなと感じます。
あれがしたい!これがしたい!これ買って!なんで買ってくれないのー!なんて事を何回言っていたのか笑っ
習い事でいうならこれです。
◯剣道
◯そろばん
◯スイミングスクール
◯バスケットボール
◯フェンシング
やりたい!この一心で親にわがままを押し切ってやったは良いものの続かない、続かない
辞めた理由の共通点は全て【自由が欲しい】ここにありました。
自由が欲しいって当時の私にとっては友達と馬鹿してクソほど遊ぶ事でした。
暇があれば近くの薬局いって駄菓子かって
水風船で遊んでだり、公園で訳の分からない程ガチでサッカーしたり。とにかく友達と日が暮れるまで遊ぶのが大好きでした。
中学校より本格的な中二病が始まり長い長い中二病が終わったと気づいた時には時、遅しでした…
就職するんだー!と工業高校に進学し長すぎた中二病の末路がこちらです。
成績悪い、欠席、遅刻、早退。
何をしてんだぁぁぁ!じぶぅぅううん!
さすがにこんなんだと先生からの信頼もなく、就活時にはここ受けたい!ここ受けたい!こんな叫びも届くはずなく
学校として推薦できる場所がない。
専門学校で本当に好きな事して来い!と担任の先生に言われたのを今でも覚えています。
強いて言うなら体を動かす事は好きだなぁ〜と思って福岡のスポーツの専門学校に行くと決めました!
福岡に旅立つと共に地元の友達との別れもありました。いつもいつでも会え、馬鹿のできる存在がいなくなる事はとても切ない気持ちではありました。
危険な遊びも、クソほど馬鹿な事もたくさん教えてくれました。今でも忘れない一生の最高の思い出。
次回!専門学校での転機・出会い!
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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