喋る葬儀屋「自己救済」
自己を救う、ということは、自己が救われることはない、と感じているのならば非常に困難である。自己をまことに救えるのは自己しか居ないのであり、他者へ自己を救済を求めることも最終的には自己の得心へと帰結する、結局のところ自己を救うという心がなければ生涯自己は救えない。救われていないと思うのであれば救われる方へと心が向けば良いのであるからして、救われることはないと断定している存在の救済は第三者があってしても苦悩を極めるのである。さて、その男はまさに自己が救われることはないと感じていた、そして救いを死に見出した。彼はキリスト教義に詳しくなく、かといって日本の神道、仏教にも実にニッポンジンという感覚で接していた、だから死に至る病の絶望とやらを解さないし、救いのための念仏も唱えぬ。復活の日に期待せず、極楽浄土も望まなかった。死によってただひたすらの無に向かえば良い、死後の世界なぞ、今は亡き妻子や両親が行くとしたらそれは天国だろうが、おのれはろくな場所ではなかろう。例えば男は肉を好んで食べるが、肉を食べることが殺生の罰で、その罪の罰を受けるくらいならば絶対零度の宇宙に放り出されて、無へと向かうブラックホールで有限の無へと進む方がいくらかは想像が出来た。だから宇宙葬も悪くないと考えている。そんな彼は葬儀屋だった。遺体を見送る立場だというのに、彼はそのように死を待ちわびている。ただとても悪運が強くて、死を決意して実行しようとした時には必ずといっていいほど止められて、五年ほどでそれを諦めている。五年でも充分長いのであるが、それから彼は二桁の数字の年数、どうにか死に場所を探している。
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東京都杉並区、そこにその葬儀社はある。フレグランスにするには些かおごそかな線香のかおりを漂わせる男は、待合室のソファでゆるりとした姿勢で来るであろう相手を待っていた。リラックスして座っていても、綺麗に伸ばされた背筋はその男の職を示すようにどこか品性があり、しかし浮かべる笑みは人懐こいようでどこか胡散臭い。人間らしからぬ瞳の金色がそれを増長させていた。
自動ドアが開く音と靴音、おどおどとした青年は群衆にジロジロと見られているかのように周囲を異常に気にしながら入ってくる。それに葬儀屋は明るい声を上げた。
「や、ようこそ!」
青年の焦燥感にも見える表情は、その一声で少し驚愕の色が入り、それからオドオドとした態度のまま立ちすくんでいる。何度かどもっている姿に男は穏やかな笑みを浮かべて見ていた。
「あ、あの。どんな葬儀でも、してくれるって……」
ようやくそう口にできた青年へ、葬儀屋は立ったままなんだから座ってと促す。青年は挙動不審のまま、あちこちを気にしながら――当然葬儀屋のことも――ソファに座った。座っているというのに腰が落ち着いていない始末の青年に、セールスマンの笑顔を浮かべ、姿勢を変えてセールスとしての姿勢をとった。葬儀屋といっても、金銭を得なければ運用ができないので、セールス、そしてサラリーで成り立っている職である。無論死と残された人間に対して寄り添う心は必須であるが、サラリーのためには手順があるし、営業スマイルができねば散骨や遺骨をダイヤモンドにするサービスへの誘導はできない。それをよく心得ている男は、上手く口をこれまで回してきて、上手く表情を変えてきた。嘘をついたことはあまりないが、人間と接する上で小さな嘘はいくらでもある、それを弁えない人間もいなかろう。
「それで、えーと、葬儀? でしょうか?」
さて、笑顔を浮かべる葬儀屋ははたしてセールスマンであるり、ただ仕事として青年に対面している。今からこの青年が身内の不幸を言えば親身に寄り添うし、生前葬であれば盛大にやろう、そういう風にどちらともとれる静かな笑顔だった。青年はその姿に固唾を呑むと、おずおずと喋りだす。
「……はい。埋葬までしてくれると聞きました。どんな方法でも」
青年の言葉に、金色の瞳は笑みを深める。
さて、この『お客サマ』は――。
「そうですねぇ、ではウチのお取り扱いしていることをご説明しましょう」
葬儀屋はそうして、少し前のめりになると、肘をついて指を組む。口元には相変わらず笑みのまま、これはセールスだ。
「弔い方、葬り方にも適切ってのがありましてね? 日本じゃ火葬が当たり前ですが、鳥葬とかエグいけどあれも文化。逆に骨噛みは忌避されたりするでしょ、日本国内じゃ土葬場所は限られているし」
男は適切な速度で、しかし噛みしめるようにそう言葉にする。青年はそれをひとつひとつ取りこぼさないようにして聞いているが、焦っているような色はやはりなりを潜めることはない。青年の様子に男は表情を変えぬまま、ゆったりと続ける。
「遺骨をダイヤモンドにって話を聞いたことは? 宇宙葬なんて話もありますね? 当人が望む葬り方をするのが現代のニーズでありますので。そういうのをちょこーっとお手伝いするだけの、便利屋みたいな葬儀屋です」
特に『おれ』はね、とよく回る口は付け足した。パンフレットも見ます? とたずねると青年は大丈夫ですと固く焦燥のまま断る。
「ただしい供養、これをしないと浮かばれない」
人差し指、ひとつ。
「ただしいお墓、これがないとキリスト教なんかだと復活の日迎えられないでしょ?」
人差し指に中指を足して、ふたつ。
眉を下げて葬儀屋は笑う。
「ま、宗教にゃ手順程度しかわきまえていない不信心者とも言えますが、逆に言えばフラットにモノを見れるということでここはおひとつ」
青年は早く本題に入りたいのか、焦りの色は隠せないまま。それでも男はゆったりとセールストークをしている。
「適切な方法で、適切な手順で、お墓に入っていただく。それだけです」
葬儀屋はそういって、笑みを消した。
青年に向かって、品定めするように、そして見下すように、侮蔑するように、目線を向けた。
明るい調子のセールスマンの声はいちだん低くなり、一種の凄みすらある一言がこぼれる。
「何者でも、ね」
●
「そんなわけで相談はじめましょうかぁ。えーと? 誰にどういう葬儀をご希望で? 生前から葬儀の方法を決めてほしいなんて良く聞きますしね。気楽に気楽に」
先程とうって変わって、またセールスマンの笑顔になった男へ、青年はしどろもどろに答える。
「……。姉が……花で……綺麗にしてほしいって……」
青年はそれきり言うと押し黙る。金色の瞳は笑みを薄めて、ああこの青年、まったくもって要領を得ないなぁ、と判じた。要領を得ない人間は不得手でないが、言葉を引き出すのに苦労する。コミュニケーションに難がある人間を否定する気はさらさらないが、このような商談の場ではっきりしない相手と会話するのは技術が要る。多少強引にでも話題を進めるべきか、思案する。何より、葬儀屋にとっては早く片付けたい『お話』だった。
「へぇ、お姉さんは亡くなられたのですか?」
「ええと」
「そういえば、新聞に載っていましたねぇ」
声のトーンはそのままに、葬儀屋は話題を変える。これも必要なことなのだ、なにより彼は目の前の存在がとにかく不愉快で仕方なかった。態度が問題ではない。人格が問題ではない。彼は不機嫌をお得意のセールスマンの笑顔で隠す。
「煉炭による一家無理心中、誰がどうやったかはまだ捜査中でしたっけ。いやー見事に一家全滅だと」
青年の顔が強張った。
「おや、なんだか心当たりあります? 最近いやに増えていましてね、一番最初の一家心中を発端にぽこぽこ、なにかに『あてられた』ように」
どんどん青くなる青年の顔に、葬儀屋は人差し指でとんとんと頭を叩く。その手は暑苦しい黒革手袋で包まれていて、動きがどこか鈍くぎこちない。緩慢だ。わざとらしく、演じるように、いわくのある話。とりとめもない雑談であり、それでも葬儀屋とこの青年にとっては必要な話題である。
「心中は海外ではマーダースーサイドって言うんですって。拡大自殺とも日本語にあります。ま、要するに自殺とそれに伴う殺人」
その人差し指は、葬儀屋自身の頭から青年へと向かった。
「それで。ねえ、あなた――……『生きてない』ですよね?」
青年は目を見開き、そして下を向く。焦燥の色はますます濃くなって、男はその様子にあはは、と軽い笑い声を出した。なんでもない風に。このことが日常であるという風に。これまでの話題から死因までを問う必要はあるまい、煉炭での自殺、直接の死因である一酸化炭素中毒、ゆるやかに死へと向かうという、後遺症となると著しいものを残すので死にきれなければならない自殺方法でもある、いや、自殺というものはどれも死にきらなければまずいものではあるのであるのだが。
「それはいいんです、死後に葬式を希望する人間の相談に乗る葬儀屋があってもいいでしょう? ……ところで先程言ったとある家のマーダースーサイド。困るんですよねえ、『やる』って意思が強い人間の執念は時として怪異みたいなもんですから、『引きずり込む』んですよ、周囲を。次から次へ、あてのないご遺体を火葬炉に送るのも、なかなかどうして葬儀社でもきついものがございまして――」
と、あなたに話すことではありませんでしたね? 青年から目をそらして、わざとらしくひとりごちていた男は、ああそうそう、とこれもまたわざとらしく、とってつけたようにぽんと手を叩いた。
「ところで、どうしてここにたどり着いたんです?」
「……不思議な葬儀屋さんが、居るって、聞いて……」
「誰から?」
「ええと……いろんな人が言ってました、お医者さん、警察の人に……」
わーお、わたしってば有名人だぁ、葬儀屋はぽんと手を叩いて笑う。雑談をしている暇はないとでも言いたげな青年の目線にあくまでもゆったりとしていた。嫌がらせではなかった、男なりの会話のテンポに過ぎず、こうして相手の表情を見る。そうすることで大体相手がどうしたいのか、どうなりたいのか分かるものだから。
「『貴方みたいなケース』をよくやるのがわたしです、葬儀自体はあやしげな儀式とかではないのでご安心を。さて、花ですか。ご希望には添えますが……その様子ですとご遺体はもうお骨になっているでしょう。なぜ、今葬儀の希望を?」
そして遠慮なく、さっくりと本題に入るのもこの葬儀屋の手法であった。相手と距離をとるようで、すぐに近寄って肩に手を置くように気安く話し、それでいて重々しく言葉を向ける。セールスマンの笑顔は次第に相手を品定めする何者かの目線になっていて、口に浮かんでいる笑顔もどこか演技のようであった、いや、人が死んでいるという状況で笑うということが一般的には不自然である、なので葬儀屋の今の笑顔は演技であるには違いない、彼自身もその自認はあった。だからしばしば他人から胡散臭いと言われるのだが、これがやり口なのだから致し方ない。その笑顔に怖気づきながら、若い声はたどたどしく発せられる。
「……僕は不出来でした。テストの……点数が取れなくて……」
震える声は言葉をようやく吐き出す。
「……姉はそれに巻き込まれただけなんです。……父と母が決めたことです。……、僕が駄目だから、姉はこんな家が厭だって出ていって……呼び戻されたらこれで。だから、姉と僕だけの葬儀を……」
「嘘」
葬儀屋は、震える声にそう断じた。
「……を、つく人に遠慮は要らないよねぇ。悲劇のストーリーにするのは良くないなぁ」
笑っていた。ただ目は笑っていなかった。張り付いている笑顔という自覚はあり、薄く笑ったまま、指先を緩慢に動かす。青年を指差す、失礼と言われても構わなかった、そもそも不誠実な嘘を言う相手に失礼などと考える必要がない。そして容赦も要らない、黒い革で包まれた指先は机をトントンと叩く。淡々とした動作は、苛立ちのささやかな発散だった。
「きみは遺書を残さないから苦労したけど、きみのお姉さんは聡かった。ひとりだけきちんと逃げようとした。いやぁ、見事だった、睡眠薬に気づいた時点ですでにきみのお姉さんは出入り口付近へ向かっていた。それを」
トントン、相変わらず指先は机を叩く、ゆっくりと頭の中でその光景を想像する。目の前の青年がしたこと、そして『お話』した相手がされたことを。
「他でもないきみが引き留めたでしょう?」
その細い腕が掴まれて、引き戻される、いまいましい光景を想起する。
「なん」
「なんで知ってるかって?」
青年の目はいよいよ揺れて、泣き出しそうになっていた。葬儀屋は未だ笑顔で、手をまた机の上で組む。指先は相変わらず緩慢だ、昔ほど上手く動かない手を煩わしいと思うことはとうにやめて、温度もろくに感じない手、相手は自分の目を見ないようにそれを見ていた。それが気に食わない、青年は逃げようとしている、男はそのような逃避が何より厭だった。
「マーダースーサイドの数でおれにお鉢が回ったのさ。祓い屋みたいなものかなぁ? おれ。元凶のきみがここに来るまでに手を回すには手間がかかった」
生きていないもの、それをわざわざこの葬儀社の、自身へと導くには不自然であれば寄り付かないし、気づかれなくても困る、そういう『お話』を受けていた。
「おれはね、きみみたいな、浮かばれないものが起こす怪奇現象をどうにか『葬式』をあげて『埋葬』することもやる葬儀屋なんだ。だから、きみとそのための『お話』をする必要があった、というわけだね。いやぁ、来てくれて心底安心した。ふらふらしてるものを追うのはほら、ご覧の通りトシだから、骨が折れる」
「……では、僕の希望する葬儀は引き受けてくれない、のでしょうか」
「おいおい早計だな、言ったでしょ? おれのやることは葬儀というカタチできみに浮かばれてほしいということだ。ちゃんとやることはやるよ。きみが納得することをやる」
その言葉に、青年は、それならばとわずかに希望を宿した瞳で葬儀屋を見て、その希望の色はすぐに失せた。
「それで? 八つ当たりで家族を道連れにした気分はどうだい? ああ、あと」
遠慮、容赦という余計な言葉はなかった。いよいよ言いたいことを言い出したその口を止める気はさらさらない。苛立ちを口にする、満面の笑顔だった。嫌味を笑顔で言うほど良い性格はしていないが、この時ばかりは相手への嫌がらせは丹念だった、葬儀屋は穏やかに見えて極めて利己的で、我の強い跳ねッ返りであった。
「その八つ当たりを他人に伝搬させるのもよくないねぇ。ここらのマーダースーサイド、見過ごせない数で、刑事さん嘆いていたよ。――虫が良すぎるでしょ、自分の姉は綺麗にして欲しいって」
青年は何かを言おうとして押し黙った。そうなる他なかった。葬儀屋の知っている事実の指摘であり、葬儀屋なりの倫理的、論理的判断の言葉であった。青年はそれに打ちのめされているのだから、どうやら葬儀屋の価値観から青年は著しく離れているわけではないらしい。
「きみの悲しい人生に興味はないけど、お姉さんには同情する。跡継ぎで出来の良い男子が欲しいってことで、随分酷い家だったそうじゃないか。……まあいいよ、承ってあげる」
心からの言葉だった。どんな理屈があろうと、殺される相手がどんな人であろうと、人を三人を殺した人間の悲しい『お話』に寄り添うつもりも、その心情を理解する気も起きなかった。ただ巻き込まれた人間にはひたすらの同情があった。おのれは特筆してドライだったりニヒリズムを抱いているわけではない、どうあっても犯罪者、人サマの人生を根こぎ奪うものが悲劇として語られることが許せない、ごく真ッ当な人間の情からの言葉だった。そして、奥の自動ドアの開く音がする。良いタイミングだった。これ以上この青年と対面していると、もっと余計なことを言い出しそうなものだったから、良心が来てくれて助かった。それくらいには、葬儀屋は人間らしい人間であった。
「きみの両親はきみを見てくれなかったけれども」
だから指先は、青年の背後へと向いた。
青年はその視線を追う。青年は目を見開いて、お辞儀する女性を、おのれと同じく浮かばれなかった者を――姉を、見た。
「きみのお姉さんはずっときみについて考えてくれたのにね」
青年への皮肉のようにも、女性への労りのようにも聞こえる響きだった。女性は頭を下げたまま、その仕草は丁寧で、それだけで青年の良い姉だったのだろう、そう感じ取ることができる。葬儀屋はこの女性には好感を持っていた。だからこそ愚かな決断を下した青年を許すことができないのである。
「弟がご迷惑を」
「いーよ、きみの希望の葬儀もしてあげないと。両親とは別に弟との合同の葬儀、ね。きみの好きな花で埋めてあげるさ」
女性がほ、と息をつく。青年は思わず、姉さん、と女性へ声をかけようとした。
「きみに」
それを遮る声は、怒気と、威圧があった。
「姉と会話する権利はない。さっさと逝ってくれ」
机の前で組んだ指先を見つめながら、青年も、女性も見ず、吐き捨てた。
今日はどうもセールスが上手くいかない、ぼんやりと葬儀の手筈を考えながらそう思った。
●
「葬儀屋」
「寝てまーす」
「でかい寝言ですねぇ……」
帽子を顔にかぶせて居眠りのふりをしていた葬儀屋は、来客に向かって不躾な言葉を言うと、来客もまた不躾な言葉を向けた。大柄の男は異国風の顔立ちで、男を見下ろすと対面する形のソファへと座る。葬儀屋は疲れていた、先のマーダースーサイド青年の葬儀はつつがなく行われ、遺骨についてはしかし姉と弟を分けることはできなかった、それでも姉の思いやりによって青年は成仏したが、その心情に寄り添うことはとうとうなかった。姉と同じところに逝けないことに内心ザマアミロという思いを抱かないはずもなく、しかし姉の心情を思うとなんとも言えない気持ちになった。そのようにして葬儀屋は今日ももやもやとした感情のまま、小休止をとっていたという次第である。
「『葬儀』の依頼ですよ」
「どこ?」
思わず帽子を取り、相手へと対面した。
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