ネノクニ探訪記 #01「葦原タクシーに揺られて」
とある地方中枢都市からしばらく電車に揺られ、あなたがやってきたのは小さな町。
そこは泉津町と呼ばれており、近隣の町村から「街」と呼ばれるに相応しい機能を備えている。まるで出発地をコンパクトしたかのように整備された街の構造に驚きながら、あなたはタクシー乗り場で手を挙げた。
そこに颯爽と現れた黒塗りのタクシーは「葦原タクシー」の看板を掲げている。あなたが電車を降りてから、かなり目に付いた文字、それが『葦原』だ。そんなことを気に掛けていると、車内から愛想のいい声が聞こえてきた。
「お客さん、どちらまで?」
タクシーの運転手は壮年の男性だ。後部座席の扉を開きながら、陽気な声で尋ねてくる。
「平坂町まで」
言葉少なに答えたあなたに、運転手は「あいよ」と軽快な返事をし、タクシーの表示を「貸切」にした。
「お客さん……急ぎかい?」
どこか神妙な口調で、違和感のある質問ではあったが、あなたが「いいえ」と答えると、運転手も短く「なるほど」と明るい声で返した。彼の名は助手席前のプレートに顔写真付きで『古溝健三』と書かれている。
「この辺りは初めて、ですかい?」
運転手の古溝の問いに、あなたは「ええ」と頷く。
「じゃあ、せっかく貸切にしたんだ。泉津町をぐるっと回って、それから平坂町に向かうとしましょうか。ちょっとした観光を兼ねた感じってことで」
運転手の厚意に甘え、あなたは泉津町から平坂町を巡るタクシーの小さな旅を始めることにした。
今から向かう平坂町と、今いる泉津町……このふたつの町は、大昔から切っても切れない存在にあるという。
あなたは平坂町を「今も昭和の面影をも残す田舎町」だと聞いている。しかし、泉津町は「小都市としての機能を果たす都会」として、正反対の方向に発展している。
「平坂町と泉津町の行き来ってね、実はお客さんが思ってるよりも遥かに楽なんですよ。定期的にバスが走ってて、時間帯によってはタダで乗れますよ」
あなたは「町民でなくても乗れるのか」と問うが、運転手は笑顔で「ええ」と答える。
「平坂町と泉津町ってのはね。今はそれぞれに独立した町になってますが、昔はここら一帯が大きな集落になってたんですよ」
ここまでの車窓からの風景は、景観や整備の行き届いたいかにもな都市部を映していたが、平坂町へと繋がる幹線道路に差し掛かってくると、やや車の往来が多い森林地帯を分け入っていく。
「その昔、ここらは『葦原の集落』って言われてたとか……で、今の時代は葦原の名を冠した大きな会社が、このふたつの町を橋渡し役を担ってるって訳です。そういやお客さん、泉津駅の広告で『葦原コーポレーション』っての見かけませんでした?」
あなたは「なるほど」と納得した表情で頷く。これまでの歴史の中で、何かの都合で平坂町と泉津町に分かれたが、今も葦原コーポレーションという存在で繋がっているという訳だ。泉津町、いや泉津駅を少し歩いただけで、あの目の付きようである。きっと平坂町にも、葦原の息のかかった企業や団体が多く存在するのだろう。
「今から平坂町に行かれるってこたぁ、ちょいと驚くようなことが起きても平気ですかい?」
今までの陽気さから一転、古溝の声のトーンが下がる。
泉津町はともかく、平坂町にはいわくつきの出来事や文言があることを、あなたは知っている。たびたび起こる怪奇現象に加え、噂では日本神話でも語られる天岩戸や黄泉比良坂といった伝説も絡むという……オカルト好きには堪らない有名な心霊スポットとしても有名らしい。
しかし、運転手はそういった好奇心を諫めるかのように続けた。
「平坂町は、ちょっと変わった土地なんでね。長く逗留されるのなら、後から自分の日常が喰われた……な~んて嘆くのはなしにしてくださいよ」
運転手の古溝は「それが平坂町の日常なんですから」と答えた後、元の明るい笑顔と口調に戻る。
「とはいえ、お客さんがそんな苦い経験をしないように、祓魔師の皆さんが何とかしてくれますから! まぁ、大船に乗った気でいてくださいな! どこにでもある田舎町ですけど、どこよりも刺激的な平坂町での生活、楽しんでって!」
気付けば早いもので、車窓はとうに平坂町の商店街へと切り替わっていた。
とはいえ、泉津町を見た直後なので、都会と田舎の落差は激しく映る。確かにレトロな雰囲気が満載の町だ。ここに様々な非日常が横たわっているなど、外から来た人間は思いもしないだろう。
「じゃあ、帰りもご贔屓に。ああ、もし滞在するのなら、タクシーも便利な足に使ってくださいよ」
古溝に運賃を払い、あなたは車外に出た。
ここが平坂町。
あなたを待ち受けるのは戦いの日々か、それとも安息の日々か。
それを決めるのは、あなた次第……
===
この短編は「あなた」の物語。
この後「ネノクニ」という物語に触れようとする「あなたに贈る物語」の一節です。
また、別の形でお会いするかもしれませんが、今日のところはこれまで。
執筆:市川智彦
文責:カケミツ