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感情を供養してみる

よくわからん言い回ししてるけど
要は自分の今の感情は自分のためにちゃんと文字に書いてみよって思ったよ。

「読み物として記事の質が高い低いも出そう」とかそういうのものではなくて、ちゃんと出してあげる。

「感情を書く」=「感情を供養する」

僕のために自分の感情をちゃんと出して供養してあげようと思う。
「ちゃんと」供養してあげることは僕にとって記憶に刻まれるし。
刻むための手段として文字に起こす。

今ここにある気持ちってめちゃくちゃ儚い

昨日感じた「大切にしたい」と思った気持ちももう忘れ始めてる。
そう。めっちゃ儚い。

「今」この瞬間感じてる気持ちは
後にも先にも全く同じものは存在しない
「今」が終われば無くなっていく。

セッションで感じた気持ちは「蛍の光みたいな儚くも暖かい色味」をしてた暖かい感情。これも悲しいことに少しずつ消えていく。
儚いかからこそ温かいし美しいさも感じる。

この儚くて消えてしまうと分かってるからこそ、
消えてしまうことも受け入れ、
今の気持ちを思いだすきっかけを作り、
ちゃんと心に刻んであげる。

僕にとって、
今日の感情は確かに僕の人生の中で存在したことを刻むためにちゃんと供養してあげる。

あとがき

まっっっっって、、やばい。流石にポエムすぎる・・・・
まぁいいか僕の等身大の言葉なんだからしょうがない。

僕にとっての供養はnoteの記事になることもあるだろうし、手元の日記になるしあんまり今のところ境界はない。

強いていうなら、
noteは今関わってる誰かに僕を知ってもらいたくて書いてて
日記は未来、老後の自分のために生きた証を実感するために書いてる感覚がある

記事の内容に境界はないけど誰に向けてるかが変わるだけっぽい(自問自答)
この記事は僕にとって感情のあり方を思いだす、チェックポイント的な記事になってくれそう。人生で1回ぐらいは自分を助ける記事になってくれそう


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