【Punctuation】MASAKI:現場仕事からカメラマンの世界へ、師弟関係が導く未来
1993年生まれ、埼玉県川越市出身。高校中退後、16歳で一人暮らしを始め、現場仕事やアルバイトをしていた。転機は21歳のとき。何も知らない状態でカメラマンの世界に飛び込み、人間性を尊敬できる師匠に出会うことで、彼の人生は大きく変わっていく。
Instagram:
https://www.instagram.com/hiepitasuki/
Works:
https://www.masakimiyashita.com/works
1. 生い立ち
-簡単に自己紹介を。
埼玉県川越市出身。3歳上に兄がいて父親はいない。母ちゃん、仕事頑張ってたんだけどお金はなくて、せまい団地で育ったね。
川越はそんなにダークな感じではないんだけど、ちょっとヤンキーみたいなやつが多くて。俺もその中の1人(笑)。
先輩には結構気に入られてて、地元で人間関係を構築するスキルはかなり磨かれたと思う。
昔から車とかバイクは好きだね。
-どういう子供だった?
活発で目立ちたがり屋。全然大人しくなかった。あとは、幼稚園から中一までサッカーをやってたね。地元では上手かった方で。
「プロになりたい」と思ってたんだけど、中学でプロを輩出してるクラブチームに所属してまわりの子たち見てたら、「無理だな」と。これが初めての挫折かも。
クラブチームで、幼稚園のころに一緒にサッカーやってたユウジってやつに再会したんだよね。髪染めてピアスして、めっちゃヤンキーになってて(笑)。
で、そいつも同じくらいの気持ちでサッカーしてたから、直ぐに仲良くなって、俺もグレだしたかな。
中2でそのサッカークラブを辞めて、学校にもほとんど行かなくなっちゃって。
学校が嫌な訳じゃなくて、「遊びたい」「そういえば学校行ってねえな」みたいな。
-ユウジは今、何やってる?
職人。現場出て、子供2人いて、マイホーム建てて。今でも地元に帰ったときはユウジと会うよ。ユウジ以外にも仲良いやつが4、5人いるね。
-昔話とかするの?
意外と最近の話してる。現実的な話ばっかりになってきた。みんな清掃屋とかリフォーム業やってたり、ちゃんと仕事してる。
-子どもの頃の将来の夢はあった。
サッカー選手。金持ちになる。社長とかだったかも。漠然と。
2. 鳶職について
-高校時代は?
高校は入学するんだけどすぐ辞めて、16歳〜19歳まで鳶で働いてた。学歴ない中卒の雇い口って、大体現場系の仕事なんだよね。塗装屋とか大工とか。
鳶を選んだのは、一番給料が良かったから。やる気次第で1日1万 。1日2現場あったら2万だから、月に30、40万はすぐに稼げる。稼いだ金でバイクとか買って。
きつかったんだけど、すぐに慣れて。会社変えながら鳶続けてたんだけど、 「鳶は社長になんないと楽できない」と思った。
優秀な人は20歳くらいで会社起こして、20人くらい人雇ってて。これやり続けるんだったら「社長になるしかねえな」みたいな。
結局、俺母子家庭で自分の部屋がないんだよね。だから「早く家出たい」「自立したい」とかシンプルに思ってて。16歳で1人暮らしを始めた。
-鳶を辞めたきっかけは?
余裕で生活できてたんだけど、「1回ちょっと楽な仕事して休もう」と思って。
20歳くらいまでバイトしてだらだらしてたんだけど、そういう生活も嫌になって悩んでたんだよね。まわりも高校辞めて職人やってたけど辛くて辞めて、違う仕事してるやつが増えてきて。
中卒だから、転職するとしても夜仕事か不動産屋かなと思ってた。「俺もスーツきてえな」とかもあったし。
3. カメラマンについて
-転職活動はどうだった?
学歴不問で求人を漁るんだけど、まず、池袋の不動産屋に応募したら面接が決まって。で、求人サイトにちっちゃく撮影スタジオのアシスタントもあったのね。
子どものころ、写ルンですとか家にあったじゃん。それ使って家で猫とかをめちゃめちゃ撮ってたんだよね。撮った写真を現像して見返すのが好きで。
今も変わんないけど、写真というより一連の作業工程が好きだった。だから、写真が好きではあったんだよね。
カメラマンってどういう仕事なのか全く知らなかったけど、「カメラマンってなれるの?」みたいに思って、その撮影スタジオにも応募した。そうしたらすぐ「面接あるから来い」って言われて。
-ナイス判断だったね。
不思議なんだけど、不動産屋の面接行く前に、撮影スタジオの面接があったんだよね。 同日に2つの面接があった。
面接のときに「今まで撮った写真持ってこい」って言われて。でも俺、自分のカメラ持ってないし「写真ってなんだろうな」と思って、実家とか友達に電話して、今まで撮った写真かき集めて。
面接が始まって、どんって見せたのが猫とかバイク、友達の集合写真。
面接官から、「今日の面接、みんなこういう写真持って来てんだけど、こういう子たちが目指すのがカメラマンだよ」って言われて。ファッションとかがっつり作品撮りしてる写真を見せられて、カメラマンという職業の説明もされて。
-なるほど。
そのときに初めて写真を意識して見た。
面接の最後に「いつから来れんの」「きついぞ」「最初はトイレ掃除からだよ」って言われて。でも俺、「余裕っすよ」「朝5時半とかから仕事してたんで」「鳶に比べたら全然楽です」みたいな。
で、翌週から仕事することになった。
不動産屋の面接はバックれた。
それが21歳くらい。
-どういうスタジオだった?
ファッションの撮影とかよりも、物撮りに強いスタジオだった。
物撮りの国内トップのカメラマンが来るようなスタジオだから、一流の仕事を見れたのは間違いなくて。
物撮りの世界ってやっぱりすごくて、10分の1ミリとかに神経使い始めるから。スタンドにパッて手掛けただけで怒られるし。
そこで、物撮り現場の動きとか理論を叩き込まれたね。それが今にも活きてるし「いいスタジオに入れたな」と思う。
みんな本気でカメラマンになろうとしてたし。
-どういう人が辞めていくんだろう。
基本的には写真の学校出た人がスタジオに入るんだけど、そういう人って子どもの時から写真が好きで、情熱があって、作品があって、個展やっててみたいな。作家性も強くて思想もあって。
でも俺が所属してたスタジオの撮影は結構地味で、技術を求められる現場が多かったんだよね。
だから結局「やりたかったことと違う」みたいな感じになって辞めていく人が多くて。
-マサキはスタジオの仕事、どうだった?
俺は何にも知らない状態だったから「全然いいっしょ」って思ってた。写真のことを全く知らないからこそ、めっちゃ楽しい。「なにこれなにこれ」みたいな。
たまに聞こえてくれるお金の話とか聞くと「すごいなカメラマン」って思ったし、みんないい車乗ってたから「稼げんだろうな」って。
子供のころから金持ちになりたかったから、それにまた火がついて。「絶対金持ちになる」「金稼ぐためにカメラマンになる」と決意した。
カメラマンを夢見たわけではなくて、「こうなれる」と思ってカメラマンになった。カメラマンになるのは絶対だったわけで。
4. 師匠について
-スタジオでは何年働いた?
スタジオは2年半くらいで辞めて、スタジオによく来てた生田昌士というカメラマンに弟子入りした。
当時、カメラマンを目指す鉄板ルートは、スタジオマンを数年やって、その間に自分の好きなカメラマンを見つけて弟子入り、そして独立していくのが王道だったんだよね。
ってか俺の場合、スタジオを辞めて独立したとしても、コネも作品も無かったから、弟子入りするしかなかったんだよね。
スタジオマンの時は、ライティングとか機材チェックをすることが多くて、自分が撮影する時間はほとんどない。だからあんまり写真撮ってなくて。実績を積む場所として、弟子入りを選んだって感じ。
-どうしてその師匠に弟子入りしようと思った?
もちろん写真もいいんだけど、人間性が良かった。寡黙なんだけどやることやる。でも、ちょっとだけやる気ないみたいな(笑)。
売れてるけど偉そうにしないし、積極的に自分をアピールしない。落ち着きもあって、ちゃんと良い車乗ってて。当時、師匠は37、8歳だった。
「お金も稼いでるし、やることやっててかっけえな」と思って。人間性に惹かれたね。
-師匠とは今でも繋がりがある?
全然あるよ。今年(2024年)から、師匠が経営してるマネージメント会社に所属させてもらってるし、たまに弟子達を集めた飲み会もあるし。
独立したての時に、師匠が自分のお客さんに「あいつが独立したから営業行かせてあげて」って言ってくれたり、編集部を紹介してくれたり。それで実際に仕事に繋がることが多くて。
紹介してもらった仕事の8割が1回で終わるんだけど、残った2割から枝が出て、いろんな人と繋がって今がある。
師匠には、本当に感謝してる。
-リスペクトしてる?
めちゃめちゃリスペクトしてるね。
俺、親父もいないし当時は大人をなめてた。東京出てきた時も地元のバックグラウンドがあるから気合入ってたし、なぜか自信もあったからガンガン行ってた(笑)。
でも俺の師匠にはそんなこと絶対通用しないの。普通通用しないんだけど(笑)。
「かっこいいな」って思ったね。ちゃんと怖いし。地元の先輩とかとは違う怖さがあって。そういう存在。唯一リスペクトできる大人。
未だに現役で写真も良くて、人も超いい、超渋くて。
-いい人に出会えてよかったよね。
俺は「いつか自分の師匠を1回でも超えたい」と思ってる。写真においても、仕事においても。
-師匠の仕事の特徴はある?
師匠の師匠に赤尾さんというカメラマンがいるんだけど、まだバリバリ現役で凄い人。赤尾さんから独立していったカメラマン達は、「赤尾一派」と言われていて、俺もその中の一人。
赤尾一派の特徴は、モデル撮影と物撮りの両方ができること。
カメラマンは撮影する対象をモデルはモデル、物は物って限定するケースが多いんだけど、赤尾一派はモデルも物も撮る。
-モデルと物、両方の撮影ができるメリットって何?
たとえばファッション誌で洋服を紹介するときに、モデルに洋服を着せた写真と洋服だけの写真が必要になることが多いんだよね。
もし、モデルと物でカメラマンを分けると、それぞれの個性が強く出てしまったり、誌面の流れを無視した写真をセレクトしまうケースもある。
でも赤尾一派は、モデルと物もいけるから、カメラマンをブッキングする手間も省けるし、何よりもページの世界観を統一できるんだよね。
5. 仕事に対するスタンス
-独立してから心がけてることはある?
フリーランスになって4年目なんだけど、最近でも師匠とか兄弟子の写真を見んのね。仕事で一派のテイストと違うことをやると、現場の空気が「違う」みたいな感じになる。
独立したときは、俺に仕事頼んでる人が「どういうものを求めてるのか」をもうちょっと考えるべきだった。
最初は「違うことやりたい」「自分の色で売れたい」って思ってて。でも、トリッキーなこととか派手しても、全然手応えなくて。
-独自性はそれほど求められてなかったんだ。
だから「自分はどういう立ち位置にいるのか」「自分にどういう需要があるのか」を考えた。俺に仕事をお願いしてくれる人は、もともと師匠のお客さんで、師匠をいいと思ってる人たち。だから、俺も少なからず師匠のテイストを意識するのは大事かなと。
で、師匠の写真を見ると5年前と撮ってる写真あんまり変わってないんだよね。同じことをずっと続けてて。
流行りとかあるけど、「俺の写真はずっと同じとこにある」みたいなのも重要かなと。最近は、とにかく綺麗に撮れるとかそういうシンプルなことを磨こうと考えてて。
仕事においては、作家性とか求められてないから。
-カメラマンとしてのスタンスを教えてほしい。
仕事とプライベートを履き違えないようにしてる。
広告撮影の現場は、もちろんクリエイティブの現場だけど、自分勝手なことは許されない。
撮影の現場って基本的にはカメラマンがボスなんだけど、「どういう写真が必要かはまわりの人が決める」みたいな。
最初は、「全然知らねえよこの洋服」「この靴とか知らねえ」「見たことねえ」みたいな。知らないものをよく撮んなきゃいけないって、難しいじゃん。でもそれ、仕事に対して全然向き合ってないから。
-なるほど。
興味のないものでも、何回も仕事を頼んでくれるってことは、たぶん綺麗に撮れてるからなんだろうなと思うと、自ずと興味も出てくる。段々と商品のいい部分が見えてくる。好き勝手に仕事選んでたら、食ってけないんですよ。
-仕事に対する姿勢も変わってきた?
仕事の向き合い方は子どもが生まれて変わった。文句言わないでちゃんとできるようになったのは、「お金稼がなきゃいけない」っていうのもある。
別に自分1人だったら尖った感じでもやりきれるけど、家族もいて、嫁の家族もいて。親とかばあちゃんとかもいるし。
そういうのがよぎるから、「ちゃんと働かねえとな」とか。「明日俺が死んじゃったらどうすんの」「生命保険入んなきゃ」とか。家族が仕事や生活のモチベーションになってるかも。
だからアーティストっぽいこと言えないんだよね。職業カメラマンっていう感じで言ってほしいかも。でも、そこまで言う必要ないか。いろんな思いでこの仕事についてる人いるからさ。
-プライベートで撮影することもある?
撮影は仕事が9割で、友達に頼まれる子供の写真とかのプライベートが1割。仕事の9割を10割にして稼ぎきって、プライベートの撮影はタダでやりたい。
友達にプライベートの撮影頼まれたら「お金いらない」って言いたい。その動きにお金は必要ない。本当はもらいたくない。仕事で稼ぎきりたい。
写真がみんなにとってどういうものなのか。子供の写真なんて一番わかりやすいよね。ずっと見れて、ずっととっておける。その日に撮っとかなきゃもう撮れない写真。それを残せるのがいいとこだよね、カメラマンの。
街の写真館もそうじゃん。記念写真とかだけで稼ぎたいけど金になんねぇから、広告で稼いで。
カメラマンって職業をそういう風に捉えてる。
-カメラマンをやってて喜びや嬉しい瞬間は?
2回目3回目って仕事が来るってのは嬉しいよね。自分の仕事が気に入ってもらえたことがダイレクトに自信に繋がる。プレッシャーも上がるけど。
あとは感謝された時。「ありがとうございます」、 染みるなっていう。
前に友達の友達の宣材写真を撮ったんだよね。「海外で仕事するから自分のポートレートが必要」って言われて。綺麗な女の子だったんだけど、写真撮ったら泣く1歩手前ぐらいまで感動してて。超喜んでくれて。「ありがとう」って言われて。普通に嬉しい。
あとは「いいことした」「人のためになったな」って思えた時は、達成感あるよね。
仕事だと、俺の写真で商品の売り上げが伸びて利益が出て、「ありがとうございます」って言われたらやっぱり嬉しい。写真の良さよりも、何かに貢献できたことが嬉しい。
ギャラが大きくなると、仕事の大きさがわかるからさ。この写真、この現場、この仕事ってどれくらいの人が関わってるのかな、とかさ。
-成長を感じる瞬間は?
文句を言わなくなった。いろんな人の意見を聞けるようになって。そうなったらやっぱり自分の写真も変わっていったし。やっぱお客さんあっての仕事だから。
「チームの1人として動くってことが大事」ってことを知って、それはもう間違いなく成長。仲良くやるってことだね。
そういうことをしない一流のカメラマンもいるけどね。全然会話しないけど、めちゃめちゃいい写真撮る人っていっぱいいると思うんだけど、俺はそういうタイプじゃないから。
6. これからについて
-これからやっていきたいことはある?
マネジメントの会社をやりたい。
体が動いて、呼んでもらえる限りは現場にいたいけど、仕事ができなくなる不安は常にあって。でも家族もいるし、「収入ゼロになりました」って笑ってられないんだよね。
独立したカメラマンはみんなそういうことを考えて、スタジオ経営や機材レンタル屋をやっていくんだけど、俺の場合はマネジメントの会社をやりたい。
才能あるけどうまくいっていないカメラマンを売り出すとか、その人に環境や仕事を与えてあげるとか。個人のサポートに加えて、カメラマン業界に貢献できたら良いなと思ってる。
あとは、社会的信用も欲しいね。経営者とかそういう社会的ステータス。家も欲しいしけど、フリーだと銀行でローン組めないし。
子供も20歳までは面倒みたいし。会社作って経営してお金を貯めたい。子供に残したい。一般家庭のお父さんお母さん、みんなそういう人たちばっかじゃん。子供に不自由のない環境を与えてあげたい。我慢とかさせたくないじゃん。
撮影に関わる別の仕事の種をまいておきたいなって感じだね。
-身につけていきたい能力とか技術は?
英語と経済的な知識。税金とかお金の借り方とか。
英語は、仕事柄日本語喋れないモデルを撮影すんだけど、 俺本当に喋れないから。中2から学校行ってないから中学校の英語すらやってないわけ。
だからまわりの人が助けてくれるんだけど、本来それって違うから。最低でも、一般人レベルまでの英語は身につけたい。
経済的な知識は、フリーランスとしても必要だし、これから会社を経営していく上でも必要になるかなと思って。
-かっこいいと思う人はいる?
男気ある人、筋通ってる人、話変わんない人。 説得力ある人ってやっぱそうなんだよね。最初から言ってること変わんないから。仕事でも信用できるし。
自分もそうなる、ならなきゃなって思う。
7. 今の世の中について
-今はどういう時代だと思う?
みんなやりたいことやれてるよね。でも、やることやってないやつは追い込まれてるよね。
独立する人増えたじゃん。でもなんか持ってないと独立できないから個性磨くじゃん。良くも悪くも実力主義。なんか持ってないとやっていけない時代なんじゃない?
個性とか特徴を持った人、 独自性がある人がいいとされてる。我慢しなくていい、自由な感じ。何してもいいよな、俺らの世代は特に。
自分が生きてる世界はそういう感じ。そういう世界を望んでるのかもしれない。じゃないと報われないしさ。
8. 自身の性格について
-マサキは周りの人からどういう性格だと言われる?
嫁さんには頑固、自己中って言われた(笑)。
自分の中の固定観念があって、他の人も同じことを考えてると勝手に思ってるらしい。俺中心で、ふとした時にそれを振りかざしちゃうみたい。
「醤油ラーメン、胡椒だろ」みたいな(笑)。「ラー油入れる人もいるんだよね」って言われても、「入れねえだろ普通は」「ありえないありえない」みたいな(笑)。
そういう話だったらいいけど、シビアな話でもたまに自分の考えを押し付けちゃうことがあるみたい。
-カメラマンという仕事をする上では、大事なことかもしれないね。
必ずしもそうじゃないけど、自分がリーダーシップを取って進めていかないといけない場面はよくあるね。
どんな現場であっても、常に自分の中の正解を持つことを心がけてる。
以上