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【Punctuation】TEO:自由でユニークなメッセンジャーカルチャー、謙虚に生きる彫り師の哲学

東京都板橋区出身。自由と謙虚さを重んじ、畳屋や飲食業、メッセンジャーなどの経験を重ねる中で、独自の人生観が育まれていく。メッセンジャーとして12年のキャリアを積む傍ら、彫り師としても活動するという特殊な道を歩んでいる。

Instagram:https://www.instagram.com/teo_tattoo_10

1.    生い立ち

-簡単に自己紹介を

東京都板橋区出身。弟がいるね。今はメッセンジャーとしてメスクリブという集団のクーリエ(メッセンジャー事業)で働きながら、彫り師をやってます。

-中学と高校はどう過ごしましたか?

中学のころは陸上部で長距離を走ってた。小学生のころのマラソン大会の記録が良くて「才能あるんだ」と思って。長距離って練習も記録を残すのもきついんですよ。結局、すぐ辞めちゃう。

2つ上の先輩には可愛がってもらってたんだけど、1つ上の先輩に呼び出されたりしてて。本当それが嫌いで「先輩と関わりたくねえ」みたいなのはすげえあった。

中学で部活を辞めてから高校まで、友達ととにかく遊んでた。バイトは嫌いだったから長続きしなくて。八百屋さん、コンビニ、配達業者の荷物の仕分け、パチンコ屋。楽しいと思ったことは基本的になかったっす。

お金に執着がないかもしれない。「めちゃくちゃ稼いでやろう」という気持ちはなかった。「働くんだったら遊びたいな」っていう。

お金がなきゃ遊べないんだけど。

-高校卒業後は?

畳屋さんで2年くらい働いたね。ハードワークだったんだけど給料は良くて。

週6で朝6時くらいから仕事。ずっとバスケの試合してる感じ。汗だくになりながら次から次へと畳を張り替えて。夏は暑いし冬は寒い。

一緒に仕事してた親方がかなり厳しかったんですよ。当時その人は32歳とかで、俺も時折しばかれたし、事務の人も怒鳴られたりしてて。

-親方……。

親方も「俺と働くやつは全然長続きしないんだ」「俺が厳しすぎて」って自分でもわかってて。でも、わりと俺は可愛がってもらえてたと思う。

親方、元々プロスケーターを目指してたんだよね。だからスケートボードも教えてもらってたし、仕事終わりに「服買いに行くけどお前も来る?」みたいなこともあって。

ある日、親方と「今、ピストバイクが流行ってる」っていう話になって。 で、俺もチャリンコカルチャー雑誌の「LOOP Magazine」っていうのを読み出すんですよね。

親方がチャリンコを買って、俺もピストを買って。自転車も洋服も教えてもらって、今振り返ると「親方に出会ってなかったら違った人生だったかも」っていうのはありますね。

-親方には畳屋辞めてから会ってないですか?

会ってないんですよ。っていうのも、畳屋さんを辞めて約3ヶ月後にフラッと挨拶に行ったら、後釜の人はすでに辛すぎて辞めてて。

親方がふたりでやる仕事を泊まり込みでひとりでやってて、それを見るのが辛くて。そっから会ってないっすね。会いたいなとは思うんすけど。

2.    メッセンジャー

-畳屋さんを辞めてからは?

その後は飲食店で働いた。「お店を持つ人間になりてえ」みたいな。で、高校のときの友達が赤羽で飲食やってて、「うちで働く?」って声かけてくれて。

でもそれも1、2年経たないぐらいで辞めて。先のイメージができなくて。

-その後は?

で、メッセンジャーを始めたんだよね。求人サイトで調べてたら出てきて。「メッセンジャーって仕事、本当にあるんだ」と思って。

最初は「メッセンジャーの学校」って言われてる会社でしっかり仕事を教えてもらったんだけど、1年で辞めたね。

そのあとはメッセンジャーの会社を転々として、今働いてるクーリエ(メスクリブのメッセンジャー事業)に入る。ここが4社目。

メスクリブ(クーリエの事務所)

-クーリエで働き始めてどれくらい経ちますか?

6年くらいいんのかな。長いっすね。「お金稼げないけど、お金以外はなんでもあるよ」って言われて(笑)。

メッセンジャーは、今年で12年目なんすよ。海外の風習で、10年メッセンジャーをやった人間は「レジェンド」って呼ばれる。だから「10年は絶対やろう」と思ってて。

で、気づいたら「レジェンド」になってんすよね(笑)。もう誰もそんなこと言う人いない。自己満です(笑)。

-クーリエではどういう働き方をしてますか?

今は基本的にはメッセンジャーを配車する人。受注して、仕事の回し方を考える「ディスパッチャー」っていうポジションで仕事してて。同時にメスクリブの店番をやってっていう感じ。タトゥーを彫ってないときは。

メッセンジャーって物を配達する単純な仕事だから、別の活動をしてる人も多くて。海外だとメッセンジャーの事務所でタトゥー彫ってる人も全然いる。

ディスパッチャーとしての作業風景

-クーリエに在籍し続けられている理由ってありますか?

人がいいよね。人が楽しいかな。あとは自由。自由なのが一番性にあったんじゃないですかね。

半分遊びみたいなとこはあるんで。シンプルな仕事だから考え事ができたり、街を走ることでインプットがあったり。余白がいい感じにあるっすね。

-メッセンジャーはどういうコミュニティーなんですか?

板橋で生まれ育って「縦社会」「出る杭は打たれる」「下手なことをすると目をつけられる」っていう文化が染みついてたんですよ。

でも、メッセンジャーを始めてカルチャーショックを受けるんですよね。「なんかこれ、生意気であればあるほど気に入られるっぽいぞ」って気づいて。

たとえば、ちょっとおしゃれして調子に乗ると、先輩から「お前いいメッセンジャーだな」って言われて、いい関係が生まれるとか。

それは地元では起こり得ないことだったなと。すごい斬新、新しい体験だった。

-上下関係もそんなにない感じですかね?

それも強烈にないと思うっすね。結局人によるんだけど、10歳下のやつとかも俺にタメ口だし。

俺の先輩だと10歳上にトイドッグっていうメスクリブのボスがいるんだけど、そういう人と同じ組織で遊んでいられるのは、あんまりないんじゃないかな。そういうのを気にしない人たちなのかもしんないっすね。

メッセンジャー、メスクリブは、自己紹介の中で必ず入ってくることで。メスクリブがあったから入れ墨をやろうって思ったんで。

3.    タトゥー

TEOのタトゥースタジオ「10」

-タトゥーを始めたきっかけは?

7、8年前から、名古屋の彫り師のSさんが、定期的にメスクリブでお仕事してくださるようになって。

最初は、俺もお客さんとしてSさんにタトゥーを入れてもらって。元々タトゥーは入れてたんですけど、Sさんに会ってタトゥー熱が再熱したんですよ。入れ墨をボコボコ入れ始めるようになって。

Sさんに「俺もタトゥーやりたいんですよ」って話したら、「やったらいいじゃん」みたいな。それからタトゥーに必要な道具とかを教えてもらって。

少し時間が経ったころに、Sさんが「俺がここに来た時はお手伝いしてよ」って声かけてくれて。

Sさんが東京に来てるときだけ、タトゥーを彫る準備、道具をセットして養生を張り替えてとか、身の回りのサポートをさせてもらうようになって。

-Sさんからいろいろと学んだんですね。

仕事の手順とかは基本的にSさんから学びました。Sさんはメンターというか、心の師匠です。自分で言うのもあれなんですけど。

タトゥーの業界は厳しくて、ちゃんとしたスタジオに弟子入りしてる人がほとんど。だからそう簡単に師匠とは言えないね。

-もともと、絵も描いてたんですか?

昔から描いてたっすよ。保育園のころに一反木綿に乗った鬼太郎の絵を描いて、周りの大人たちが「すごい上手に書くのね」みたいな感じでざわついてた記憶がある。

漫画は完全に俺のルーツで、子どものころは漫画家になりたかったかな。こそこそ漫画みたいなのも書いてたし。俺は少年なんで、少年ジャンプが好きっすね(笑)。

漫画家ってすごくないですか。画力もあって物語も作れて、それを毎週描けるのは相当すごいなと。漫画家は常にリスペクトしてる。死ぬまで好き。

4.    彫り師として

-東京以外で活動していきたいという思いはありますか?

東京以外でも活動していきたいんですけど、東京だから守られてる部分も多くて。

コロナが流行り始めたころ、「タトゥーを入れることは医療行為なのか」みたいな裁判が終わって、「タトゥーを入れることは医療行為じゃありません」っていう判決※が出て。

※参考(2024年12月18日時点):最高裁判所「裁判例結果詳細」、NHK「医師免許なしでタトゥー有罪か無罪か」、朝日新聞デジタル「『タトゥー文化への尊敬感じた』無罪確定の彫り師側語る」

「じゃあ免許もいらないし、誰でも彫り師になれるじゃん」って、今、特に知識のない彫り師が増えてるわけですよ。

東京は、そういうエセ彫り師が多すぎて管理しきれない。だから、目をつけられにくい状況があると思うんですよ。

-なるほどです。

でも、刺青の伝統を守ってきた人たちはムカつくわけじゃないですか。「こんな仕事しかできないのに、お前が彫り師を名乗んじゃねえよ」って。

先輩たちの気持ちも超わかるし、「汚すんじゃねえよ」って思うし。よく考えずに人の肌に一生消えないものを残すわけにはいかないじゃん、普通は。

だから地方に行けば、日本の伝統的な入れ墨彫り師さんに目をつけられることは多くなると思う。彫り師の母数が少ないから。

「地方に行く方が気合がいる」っていう気持ちがありますね。実力をつけて、キャリアを積んで、「どこ行っても彫れるようになれたら」と思うっすね。

-タトゥーを彫る上で大事にしているスタンスはありますか?

人の肌にタトゥーを残すことに対して、その人の人生を考えられない人は、彫り師には向いてない、いい作品を残せないと思うんですよ。俺が偉そうに言えることでもないけど。

自分もこれだけタトゥーが入ってるから、タトゥーが及ぼす生活への影響みたいなのは知ってるつもりだし。

「どこに何を彫るか」っていうのはお客さんが決めることだけど、じゃあ「顔にタトゥー彫ってください」って言われて「いいですよ」って彫っちゃって、それ責任取れないじゃん。

そこをちゃんと考えられる人じゃないと、いい彫師とは言えないんじゃないかなって、未熟ながらも思ってはいますね。

一生残るものだからちゃんと考えてから入れるべきだし。どういうものが好みなのかを教えてくれたら、それに合う彫り師も紹介できるし。

彫師として売れていくためには、たくさん仕事をこなすしかないんすけど、お客さんから「あなたに入れてほしいです」って言われて、初めて入れるべきものだと思う。そこにいくまでが大変なんですけど。

俺の独自のバランスがあって。だから黙々と頑張るしかなくて。

-タトゥーを彫っていて喜びを感じる瞬間はありますか?

これタトゥー入れた人にしかわからないんだけど、「痛みを乗り越えて、終わった」っていう気持ち良さは、これでしか得られない感覚というか。

「ついにここに入れる」「前からずっと入れたかったんだ」という思いがあって、痛みを乗り越えてタトゥーを入れたあとのお客さんの気持ちを感じ取れると、俺も嬉しい。

あとは、自分の思い通りにタトゥーが彫れたとき。「タトゥー入れたいです」ってお願いされることも嬉しい。「僕でよければ」という気持ちっす。

お客さんから依頼されたものに対して自分から提案したタトゥーが採用されることも、彫り師冥利に尽きるなと。

ずっと勉強ですよね。

-タトゥーを彫る原動力は?

シンプルに「かっこいいから」じゃないですか。入れ墨好きなんだよね。好きなものの楽しさを自分が提供できてること自体が原動力というか。

仕事嫌い人間だけど、メッセンジャーに関しても「これをやっている自分をかっこよく思える」っていうのも原動力のひとつかと。

自分がかっこよくありたいのであれば、そのために頑張るべきだと思う。

5.    ご自身について

-TEO君はどういう性格だと言われますか?

「人見知り」「シャイ」とか言われることもあったけど、それってどちらかと言うと褒め言葉ではないというか。そうじゃなくて「謙虚である」と捉えるようにしてるんですよ。

謙虚な大人でありたい。タトゥーで知り合う人たち、和彫りの先生とかSさんもそうなんだけど、たぶん俺は謙虚だから気に入ってもらえてるんだなと感じることがあって。

先生や先輩を目の前にしたら、謙虚にならざるを得ないっすけどね。そう思われることはすごいプラスだなと思ってて。

どんな人に対しても、謙虚でいることは大事だなと。

-かっこいいと思う人はいますか?

S先生は「本当にかっけえな」と思ったんですよ。実際に会って、人柄を知った上で。

タトゥーに対する考え方を変えてくれたというか。

7、8年前は俺も若かったし、まだ「彫り師さん怖い」みたいなイメージが拭い切れてなかった。でもSさんに出会って、「この業界にこんなに物腰の柔らかい人がいるんだ」と思って。絵も独特なテイストで、「こういうタトゥーありなんだ」みたいな。

日常の振る舞いもそうだし、「こんな人になれればいいな」という目標の人でもあって。

6.    今の世の中について

-今はどういう世の中だと思いますか。

情報多すぎるよね。だからこそ自分がやりたいことを貫く、左右されない力は絶対に必要かと。あとは個人の力が生きる力になっている。独立時代。

「自分の力やスキルをしっかり身につけないといけないな」とか思ったりするっすね。

7.    これからについて

-彫り師としてこれからやっていきたいことはありますか?

結局、今やってることを続けていくことが大事かなと。3、4年ぐらい独学でやってる彫師は、いつ攻撃を食らってもおかしくないわけですよ。

でも10年やってればある程度文句言われなくなるじゃないですか。まずはメッセンジャーみたいに彫り師を10年やって。

あとは作品展開。絵だけじゃなくて、おもちゃとか洋服とかも作っていきたい。

タトゥーを彫る機会を増やすのが一番大事かな。メッセンジャーをやりながら彫師をしてることが俺のアイデンティティで。そのふたつをどううまく繋げるかっていうのも課題かなと。

-メッセンジャーとしてはどうですか。

メッセンジャー業界は絶望的で。コロナの後から、ペーパーを運ぶっていうこと自体が少なくなってる。書類のやりとりは全て電子で済むようになったから。

企業間じゃなくて個人間、お花とかお弁当のデリバリー、「窓口を広げたらもっと仕事はあるかもね」とか考えたりもするけど、今いくらでもあるじゃないですか、宅配サービスとか。

メッセンジャーが何かを運ぶことに、どうやって価値をつけていいくかは考えなきゃいけないなと思う。

カーゴバイクを使用したデリバリーも検討している

メスクリブ(クーリエ)の社長のことをすごく信頼してて。その人のためにも「なんとかしないとな」とか色々悩みつつ。どういう形、どういうポジションでメスクリブを盛り上げていけばいいのかとか。

「メッセンジャーカルチャーをどう残していくか」、バカなりに考えるけど答えは出ない。

結局、目の前のことを頑張るしかない。狭い世界なんでね、俺がやってることって。

-思い描く未来はありますか?

伏線回収の連続じゃないけど、やってたことが無駄にならない動きをしたい。

それって、その瞬間その瞬間をブレずにいることが大事だと思っていて。今やってることが、10年後にやっててよかったなと思える連続を起こしていきたいっすよね。

8.    インタビューを終えて

文章を書く人にもなりたかったかも。mixiが流行ってたころは日記とか書いたじゃないですか。それを読んでくれた人に「文才あるよね」って言われたこともあって。

あと、書道もやってたんですよ。小学生のころ、冬休みの宿題で提出したものが評価されて区展に出るみたいな。「続けとけばよかったな」と思ったり。

最初の成功体験って結構重要。「それは本当に自分がやりたいことなのかどうか」っていうのを煮詰める。

自分の時間を確保して考えることが、大事かなと。




以上