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【Punctuation】DOIKEN:古物商は仕入れから始まる、「TOKYO DANCE.」の軌跡と未来
滋賀県近江八幡市で5歳まで過ごし、18歳まで神奈川県藤沢市で暮らした。幼少期から高校までサッカーに熱中し、大学生時代に古着や古道具への関心を深め、卒業後はアンティークショップにて修業。厳しい環境での経験を糧に、自分らしさを追求する道を模索してきた。
Blog:
https://tokyodance.blogspot.com
Instagram:
https://www.instagram.com/tokyo_dance_
1. 生い立ち
-簡単に自己紹介を。
滋賀県近江八幡市に5歳まで住んでで、そのあとは父親の転勤で藤沢市に引っ越したね。
2歳上の兄ちゃんがいて、仲良いって言われるよ。
兄ちゃんは洋服の卸の会社で働いてて、古着の買い付けとかをしてる。兄弟で似たような仕事をしてるね(笑)。
-スポーツはしてた?
幼稚園から高校までサッカーしてた。
小6で藤沢市で20人しか入れないトレセンに選ばれて、その中には今プロで活躍してる福森晃斗っていう選手もいたね。中学でも藤沢市の選抜選手だった。
高校でもサッカーやりたくて、「パスを繋ぐサッカー」を掲げてる学校に進学したんだよね。でも、 正直「絶対プロになってやる」っていう強い思いはなくて。
もう高1くらいで、「大学はサッカーやんないな」と思ってた。自分のサッカーに対する熱量もわかってきて。
-どういう子どもだった?
活発でやんちゃ。基本的には外で遊んでた。
あと、トリッキーないたずらもしてたね。細いひもを廊下の端と端に張って、廊下を通る人に引っかけて遊ぶとか(笑)。派手じゃない感じのやつ(笑)。
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八雲のスペース「4.」にて
-周りの人からはどういう性格だと言われる?
嫁さんには「頑固だけど、基本的には優しい人なんじゃない」って言われたよ。「人の気持ちを考えて行動できる人なんじゃない」って。
でも、一人で仕事し始めてから結構ピリピリしてるとも言われたね。「確かにそうかも」って思う。基本的には温厚なんだけど。
2. 古道具の世界に
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-大学生の頃はどうだった?
大学でサッカーはしてないけど、子どもにサッカーを教えるバイトはしてたよ。
高校生の頃から古着が好きで、だんだん古道具屋にも行くようになって。「大学卒業したら古道具屋をやろうかな」と思ってたら、当時よく行ってたアンティークショップのオーナーさんが「バイトしてみる?」って声をかけてくださって。
で、大学4年頃からバイトさせてもらって、そのまま大学卒業後も働くことに。バイトというよりも弟子入りに近いかな。
だから就活もしてないし、スーツも持ってないです。
-大学卒業後は?
2年間アンティークショップで働いて、1年間フリーターをした後、駒沢にTOKYO DANCE.をオープンした。
アンティークショップで働いている間、就職したこともないから「お店を辞めたら全てを失う」って考えてた。そのときは自分にとっての社会がそこしかなくて、無我夢中だったんだよね。
でもあるとき、「あ、辞める選択肢もあるな」と気づいて。「辞めます」って言って。
-そのあとは?
辞めたその日か次の日に、短期バイトに応募しまくって。ロン毛だとバイトに受からないから坊主にして。
その時点でも自分の中に「就職」という選択はなくて、「どうしたら古物商になれるのか」を考えてた気がする。
で、荷上げ屋のバイトを始めた。求人に「初心者でも大丈夫!」って書いてあったけど、「絶対嘘じゃん!」と思いながら応募して(笑)。
初出勤の日、秋葉原のビルに行ったらいきなりニッカポッカとヘルメットを渡されて、「じゃあまずこの解体工事から」って。ひたすら鉄パイプを運ばされて、「肩壊れそう」みたいな(笑)。
-元々スポーツやってたとは言え、いきなりの力仕事はしんどいよね(笑)。
でも、そのとき人生で初めて複数人で働いたんだよね。「やっと社会に出た」っていう感覚になって。
部活みたいにワイワイ言いながら重たい物運んで、汗だくになるんだけど、絶対5時までには帰れる。「天国じゃん!」「最高じゃん!」と思って。
もちろん辞める人もいるんだけど、僕は意外と楽しくて。結局、「汗水垂らして働く」みたいなのが好きなのかも。
早めに仕事が終わった日は現場の近くを散歩して、写真も好きだから写真撮って、公園でパン食べて、「どうやったらお店ができるか」とか考えて。
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最高のフリーターライフ(笑)。
-休みの日はどう過ごしてた?
骨董市に行ったり、古道具屋さんに行ったり。解体してる家を見かけたら「買わせてほしいです」って声かけて。「自分は古物商なんだ」と思い込んで動いてた。
そのときの目標は「自分の店をやること」で、そのためだけにバイトしてた。
3. TOKYO DANCE.を駒沢にオープン
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(2017年12月1日〜2021年6月1日まで)
-TOKYO DANCE.を始めるまでの流れは?
フリーターを始めて半年くらい経って、今まで買ってきた古物で自宅がパンパンになってくる。
「これちょっと売らないとな」と思って、古物を販売するポップアップをやろうと。で、場所を探すんだけど、表参道のギャラリーとかは高くて。
当時、駒沢に住んでたんだけど、「そういえば近所にギャラリーがあったな」と思って問い合わせたら、1日1万円で借りれることがわかって。
「ここならレンタル費用と売上でトントンにはなるだろう」と思って、その駒沢のギャラリーで4日間だけポップアップを開催した。そこで「TOKYO DANCE.」っていう屋号を決めたね。
ポップアップを開催したあとに、ギャラリーのオーナーさんに「もうここ閉める予定なんだけど、ドイ君、店にする?」って言われて。
家賃15万くらいかと思ってたけど、「8万」って言われて「やります」って即答。
とりあえず荷上げ屋のバイト代で家賃を払って、お店の売上でちょっとでも利益が出ればいいかなと。家賃を払えれば、店は続くから。
やるしかない。
2017年12月1日、駒沢にTOKYO DANCE.をオープン。
-駒沢はどうだった?
オープンしたタイミングも立地も良かったね。
ジョギングやランニングで通りかかる人、ワンちゃん散歩してる人、子供の送り迎えのママパパさん。駅から近くはないけど、バス停が近くにあって。
インスタグラマーみたいな人も知らないうちに来てて、投稿にお店がタグ付けされて、フォロワーが一気に1,000人増えることもあった。インスタも勢いがあった時だと思う。
-当時はどういう商品を取り扱ってた?
レトロな日用品が多かった。アンティークや日本の食器とかを「まだまだ日常使いできるんだよ」って感じで身近に持ってくる、提案していくことを意識してたかな。日本のライフスタイルに寄せるようなイメージで。
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その頃は、今ほど北欧雑貨とかも言われていなかったと思う。コロナ以降にそういうものが盛り上がってきたんじゃないかな。
-駒沢から八雲に引っ越した理由は?
店が手狭になってきたから。
お店を始めて3年目には、お客さんも増えて物量も増えてきて。店内に古物を圧縮陳列してたから、前を向いて歩ける幅もなくて、みんなカニ歩きで店の中を巡るみたいな(笑)。
それがおもしろみでもあったんだけど、さすがに来てくれる人に申し訳ないなと。
で、引越しを検討するんだけど、どうせ場所を移すなら自分の実力を試すために、住宅街やちょっと辺鄙なところでひっそりやりたいなと。
近所の物件を探してたら、八雲にいい感じの物件が出てきた。
-なるほど。
早速、八雲に内見しに来た時、路面に3つの部屋が並んでて、両端の2部屋が空いてたんだよね。
で、1部屋借りたとして、もう1部屋に別のテナント(コーヒー屋さんや本屋)が入って系列店みたいになるのは嫌だなと思って。「2部屋借ります」って言って。
でも申し込みの時点では2番手だった。1番手が2部屋借りてたんだよね。やっぱり2つ行くんだと思って。
「ダメだったか」と思ってたんだけど、ちょっと時間が経った頃に、不動産屋さんから「ドイさんまだ借りる気ある?」みたいな電話がきて。
「借りる気あります」って言ったら、「先客が契約解除になったんだよね」って。
-おお!
1番手の人が内装で揉めたらしくて。「マジっすか?」って。
で、不動産屋さんから「すでに工事は進んでて、内装も変わっちゃってるから一回見に来て」って言われて。
2部屋とも元々、昭和の古い部屋、埃っぽくてカビ臭い感じだったから「天井抜いたり壁剥いたりしないといけないな」と思ってたんだけど、見に行ったらスケルトン(壁一面コンクリート)になってた。
「ばちくそかっこいいじゃん!」って思って、「このままでお店できます」って不動産屋さんに伝えて。
-ドイケン、運いいなぁ(笑)。
2021年6月1日にTOKYO DANCE. 駒沢を閉じて、2021年9月11日に八雲に移店。9月11日は、兄貴の誕生日だから、ちょっとそれも意識して(笑)。
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(2021年9月11日〜2023年9月30日まで)
駒沢のときは、ポップでライトな雑貨屋みたいな感じだったんだけど、個人的には古道具って、渋い、重たいってイメージがあって。
僕はずっと雑貨屋ではなくて、古道具屋をやりたかったんだよね。
ポップな物も好きなんだけど、自分の重たい部分のセンスも大事にしたくて。八雲の空間はコンクリートで、古道具との相性も良い。
駒沢がオーバーグラウンドだったとしたら、八雲はアンダーグラウンド。明るい感じから暗い感じ。対照的。
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だからTOKYO DANCE.は、八雲に移転してほとんど違う店になっちゃった。移転のお知らせも積極的にはしてなくて、インスタにも白黒の写真で移店の情報をあげたりしてて。
で、いよいよ八雲で再オープンしたら、駒沢時代の大半のお客さんは「みんな引っ越したのかな?」っていうぐらい少なくなって。
「楽しみにしてます!」「行きます!」ってすごい聞いた気がするけど、「あれ……来ないな……」みたいな(笑)。
でも、移転してからよりTOKYO DANCE.を好きな人が来るようになった。
お客さんの滞在時間が伸びて、週一で来てくれる人も増えて。「この感じいいな」と。
駒沢の時から、その感じは求めてて。
4. 八雲の店舗を閉店、野良の古物商に
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-移転を決めた理由は?
八雲でのんびりじっくりやるにしては、家賃払いすぎてたんだよね(笑)。2部屋借りてるし、「これはちょっときついぞ」と思って。
よく2年間やってたなと思う。店舗を維持するために「もっとsnsで告知して、取り扱ってる古物をわかりやすくして」っていうのは、どうしてもできなかった。
じゃあやめるしかない。
「店を閉じる」ってマイナスなイメージ多いじゃん。ちょっと体裁を気にしてたんだけど、よく来てくれる人の顔と名前はわかるし、その人たちにはかっこつけなくていいかなと。
僕に会いに来てくれる人、僕が集めたもの、僕と話してる時間を大事にしてくれる人。僕もお客さんのこと、誰々さん、誰々くん、何々ちゃんとの時間、あの子が買ってくれるもの、あの人これも好きそうだな、とか考えるし。
その人たちにかっこつける必要ない。
TOKYO DANCE.ってフォロワーが1.9万人いたんだけど、そのフォロワー全員を意識する必要はないなと。
近しい人に誠意を持って「こういう理由で閉店します」と伝えればいい。直接伝えられない場合は連絡すればいい。
2023年9月30日、八雲のお店を閉店。もう1部屋は倉庫兼ギャラリーの「4.」として活用していくことに。
TOKYO DANCE.は野良の古物商として活動していくことになる。
※ブログ 八雲閉店のお知らせについて
https://tokyodance.blogspot.com/2023/08/4-future.html
つながりが濃くなって、深くなって、好きな人たちが変わらずに来てくれるから、僕やTOKYO DANCE.があると思う。
5. 喜びを感じる瞬間
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-古物商をしていて、喜びを感じる瞬間は?
仕入れのときだね。古物商の全ては仕入れから始まる。仕入れの時が1番アドレナリン出てるんじゃないかな。
片付けをしている家に直接仕入れに行ったりするんだけど、毎回「何が出てくんだろう」っていうワクワク感があって。
あとは、昔の家を見て「こういう感じの暮らししてたのかな」とか想像するのも好きで。
家の中に入ると、住んでた人たちの趣味嗜好も見えてくる。「カメラ好きだったんだな」とか「絵描いてたんだな」とか。切手めっちゃ集めてた人もいたし。
そういう物で、所有者の人柄や生活を感じることができたりして。
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-出店しているときはどうかな?
骨董市に出始めると、僕が一方的に知ってた古道具屋さんや、骨董市でよく見てたおっちゃんが自分のお客さんになってくれることがあって。
長年、古道具を見てきてる人、プロの目利きを体感できる楽しさもあるよ。ヒリヒリする瞬間でもあるけど。
どんな場所に行っても、「この人面白れえな」って思われる古物を持っていきたい。自分を客観的に見た時に、「面白い」って思える自分でいたいじゃん。
6. 人生のターニングポイント
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-人生が変わったと思う瞬間はある?
高校からの親友で、同じサッカー部で毎日一緒に帰ってたやつがいたんだよね。鬼のように努力するタイプで、地頭もめちゃくちゃ良くて。
朝5時に新聞配達のバイトしてから部活に来てたんだけど、そういうことを一切言わない。
彼がかなりませてて、高1でラルフローレンの常連で店員さんと知り合いだったり、「スタバ行こうぜ」とか言ってきたり(笑)。古着屋も横浜のカルチャーも教えてくれて、大人への道を拓いてくれた。
大学2年の時に、彼は一人で九十九里浜にサーフィンしに行って、そのまま海で亡くなったんだよね。20歳。その時に「人って急に死ぬんだな」と思った。
一瞬で命は無くなっていく。「好きなことをやんないと、人生いつ終わるかわからない」と。古道具が好きなら古道具屋をやる。
「あいつだったらもっと努力して、今頃どうなってたんだろう」「楽しみだったな」っていうのがあって。「自分も頑張らないとな」って。
大事なことを教わった。
それは、すごく大事な瞬間。
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-かっこいいと思う人はいる?
真壁(Makabe Shoten)さん。かっこいいんだよね。ちゃきちゃき系で小柄だけどガッチリしてて、誰とでも分け隔てなく会話をして。美術の知識もあって、配置もうまくて。
古物のことを色々教えてもらってる。
真壁さんが集めてるものは、いわゆる”ジャンク”と呼ばれる、普通は見過ごしてしまう物なんだよね。でもそうした物に対して、真壁さん独自の見立てで価値を付けて販売してる。
一方で、知識に裏付けされた美術的価値のあるものもしっかり仕入れていて、プロが見ても「この人はアートを知っている」ことがわかるっていう。
-真壁さんがセレクトしたことによって、価値が見出されていく骨董品があるんだね。
真壁さんは「買い出し」っていう、古物を競市場や骨董市で仕入れずに、自分の足で個人宅から仕入れていくスタイルで動いてて。
僕も真壁さんの受け売りで、「買い出し」のスタイルで古物商をやってる。
地方の住宅地を歩いて回って、不用品回収のビラを配って、インターホン鳴らしながら家々を回って、なんとか1件見つけて、物を車に積み込んで帰る、みたいな。
-真壁さんのこと尊敬してる?
めちゃめちゃ尊敬してる。
指針になってくれる人がいて本当にありがたい。真壁さんが集めてる物を見せてもらえる、買わせてもらえる、触らせてもらえるだけでもかなり貴重なんだよね。
本当にいい人に出会えたと思う。
7. これからについて
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-ドイケンのこれからについて教えてほしい。
「何かがいらない」ってなったときに「ドイさん(TOKYO DANCE.)に連絡してみよう」みたいな存在になれるといいかな。
個人の回収業者として、僕の名前がすぐに思い浮かぶような立ち位置にいたい。
売っていく物も、「全部自分で集めたものです」って言えるようになりたい。
今はまだ、お店をやってた時に業者さんから仕入れたものが混ざっていて。それを買い出しで集めたものだけにしていきたいんだよね。
「これはあそこの家で見つけたもの」とか「これはあのおじさんが集めてたもの」みたいに、自分が集めてきたものだけで古物商をやっていきたい。
あとは、買い出しや出店をしてるとやばいおっちゃんに出会うこともあって(笑)。そっちのネタ集めもしていきたい(笑)。
そういう体験をしていけば、僕ももっと人間として面白くなってくんじゃないかなと。
-今はどういう時代だと思う?
デジタルの時代。そんなこと言うのは遅れてるかもしれないけど(笑)。iPhoneがないと、生活できない感じだよね。
電子決済が当たり前になりつつある世の中だけど、骨董市って基本的には現金商売なんだよね。物と現金の交換。僕はそういうリアルな感じの方が好きで。居心地良くて。
あとは実体験に基づかないことが増えてる気がする。たとえば古着に関しても、お店に行きまくって試着して、買って、失敗して、自分が本当に好きな洋服が見えてくるんじゃないかな。そうやって楽しめるようになっていく気がして。
古道具も買って失敗しないと、勘が養われないんじゃないかな。失敗せずに進めることが失敗というか。無駄を楽しむことも大事かなと。
流行りを追うんじゃなくて、自分にとっての”普遍的な好き”を追求するのも重要。
修行だよね。ずっと。
-「こういう生活をしていきたい」みたいなのはある?海外で暮らすとか?
海外で暮らす……考えたことなかった(笑)。
今は、日本にいるメリットの方がたくさん思いつくかな。たとえば急な仕入れがあったとき、国内だったら車ですぐに行けるとか。
日本でもまだ買い出しに行けてない地域があるし、いつどこで家の解体があるかわからないし。
自分の中で、仕事と生活が密接なんだろうね。
-これから身につけていきたい能力や技術は?
骨董の知識。古物の年代や値付けとかもね。古物商をやってると、いろんな業者さんが「金の匂いも嗅ぎ分けられるようになんないとダメだぞ」って言ってて。
好きなものを仕入れて売って金にすることも大事だけど、 金になるものを仕入れて売って金にすることも大事。
インタビューを通して、デジタル時代だとか、人情とか言ってきたけど、結局物を金に変えていく作業も面白いんだよね。
-古物商を続けていく原動力は?
子供もいるし、「稼ぐため」って言わないと家族に怒られるかもしれないんだけど(笑)、正直それが自分にとっての1番ではないかなと思ってて。
「古いものが好きで、それを仕入れて売ることが楽しい」ってことが原動力。シンプルにね。
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各地を走りまくって、いろんな家を回って、塩対応されたりケンカしたり、親切にしてもらってあったかい気持ちになったりして、車に物を詰め込んで、ニヤニヤしながら帰る。
人とのリアルな交流と、時空を超えた古物との出会い。この循環の中にいる心地よさ。
っていうのを、もっともっと楽しんでいきたい。
以上