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「田を作るのと詩を作るのは別々の仕事でなく、実に自然なつながりの中にともにある」
暑い夏が過ぎ去り実りの秋が近づいていると感じるとき、与えられている恵みに感謝をしたくなるのは日本人の感性なのでしょうか。「詩と田」で羽仁もと子は、「田を作るのと詩を作るのは別々の仕事でなく、実に自然なつながりの中にともにある」と書いています。皆さんの日々の暮らしに「田」はあります。そこから生み出される「詩」にも目を向けてみませんか?
詩と田
ここに田というのは実際生活に関する営みのことであり、詩といったのは、人間の内部生活から出て来る所のあらゆる文化的なるものをさしている。婦人之友は早くから、実際生活をよくすることは、文化の基礎だと信じて来た。
しかし私は那須農場で、殆ど一年間、田畠をつくる勤労の中においてもらって、一層深く田を作らない人間に決して詩は出来るものでないことを、そしてまたそれと同時に、詩を生むためでなければ人間に田を作る必要は決してないということを、何かにつけて強く感ずるようになった。なおいま一つの発見は、田を作るのと詩をつくるのは別々の仕事でなく、実に自然なつながりの中に共にあることを度々鮮やかに感得して、嬉しくありがたい心地がした。
暑い暑い夏の日が暮れかかる、広い畠で一日いっぱい働いた若ものたちと、度々歌った讃美歌三七二番。畠で共に汗を流して働きはしなかった私も、きょう一日自分の流した血と汗は、どんな実にどんな垂穂になるのであろうと、心いっぱい身体いっぱい、声を合せて共に歌った。そうしてたびたび感ずる感謝と快感は、その日を一日真に本気に働いた人でなければ与り得られぬ味わい得られぬ楽しさであることを知った。
親しい家族か多勢の楽しい仲間と、鎌をおき鍬を立て、一日の勤めを終えて静かに安らかに沈みゆく夕日を眺め、言葉もなくてただ恩寵にひたされている人間が、ほんとうに我を忘れて本気に働くことが出来るのであろう。
為して甲斐あることのために、本気に働けば、夕日におもうみめぐみをというような感激に逢うことが出来る。そうしてそれは即ち人間の詩であり歌である。思いをもって働くことが出来るものばかりでなく、一心に母の乳房を吸った赤坊が、満ち足りた面を上げてほほえむ時も、それは赤坊のつくり出す詩であろう。人ばかりではない、生とし生けるものいずれか歌を詠まざらんと昔からいっている。
どのように小さい力小さい仕事でも、みむねにかなう働きを毎日本気でするものに、必ず与えられるのは、夕日におもうみめぐみの慰めの詩情である。そうして、与えられる人間の詩は歌は人の世界の芳ばしき花、愛らしい鳥の声なのである。
羽仁もと子とは、どんな人?
1873年、青森県八戸生まれ。1897年、報知新聞社に校正係として入社。その後、日本初の女性記者として、洞察力と情感にあふれる記事を書く。同じ新聞社で、新進気鋭の記者だった吉一と結婚。1903年4月3日、2人は「婦人之友」の前身、「家庭之友」を創刊。創刊号の発売前日には長女が誕生し、自分たちの家庭が直面する疑問や課題を誌面に取り上げ、読者に呼びかけ響き合っていった。1921年にキリスト教精神に基づき「自由学園」を創立。1930年に読者の集まり「全国友の会」が誕生した。最晩年まで婦人之友巻頭に友への手紙を書きつづけ、そのほとんどが著作集全21巻に収録されている。