「仏の顔も三度」の由来を学んで考える
■使いはじめは江戸時代
■お釈迦は怒っていない
■そもそもの由来は
■怒ってないけど怒ってる?
■ここから学んだこと
■編集後記
≪使いはじめは江戸時代≫
「仏の顔も三度まで」
は、正しくは、
「仏の顔は三度」
になるそうですが、
そうと聞くと、どんないい人でも、三回目の失礼には怒るということだと考えるかたも多いと思います。
たしかに、そういった意味で使われていますし、辞書でもそう書かれているので、間違いではないと思います。
でも、お釈迦さまが怒るというイメージが湧かないのです。
そこで、気になって調べてみたら、面白いことがわかりました。
じつは、このことわざが使われるようになったのは、江戸時代ぐらいからだそうで、「仏の顔も三度撫ずれば腹立つ」として使われていたそうです。
やがて、明治時代には「仏の顔は三度」として使われ、いつしか三回目までは許されると考える人があらわれて、「仏の顔も三度まで」と言われることも増えてきたようです。
ちなみに、江戸時代以前の使われかたは、ちょっとわかりませんでした。
≪お釈迦は怒っていない≫
ただ気になるのは、お釈迦さまは本当に3回目に怒ったのかなぁ? ということです。
私の中のお釈迦さまのイメージでは、怒る姿がまったく思い浮かびません。
そう考えると、ここで言っている仏さまは、お釈迦さまではないとも考えられます。
たしかに、悟りを開いた人のことも仏さまと呼ぶので、お釈迦さま以外の仏さまのこととも考えられます。
つまり、もともとは、お釈迦さまは仏さまだけど、仏さまはお釈迦さまに限らないのに、仏さま=お釈迦さまという勝手な思い込みから、お釈迦さまが怒ったことになったということです。
しかし、お釈迦さま以外の仏さまと考えても、みなさん、それなりに悟りの境地にいるかたですから、3回目には怒るという可能性は、かなり低い気がします。
そもそも、顔を撫でられて怒ること自体にも疑問があります。
ほとんどの動物が、顔によるスキンシップを求めれば、喜んで応えることが多い気がします。
まぁ、人間の大人の顔を撫でたことは、特定の人の特定の状況かでしか行ったことがないのでわかりませんが、人間の子どもも犬も猫も、顔を撫でると嬉しそうにすることがほとんどのような気がします。
では、なぜ、「怒った」になったのか? という根本的な疑問がわいてきませんか?
《そもそもの由来は》
そもそも、ことわざの主役であるお釈迦さまが生まれ育ったのは、シャーキャという小さな国で、コーサラ国という大国に従属していました。
そのコーサラ国がシャーキャ国に対して、王子のお妃をよこせと言ったことから、このお話がはじまります。
まぁ、このような話は日本でもありますし、横溝正史さんの小説を読むと、高度経済成長前までは本家と分家という形で行われていたことかもしれません。
この人身売買に近い形の、ある意味政略結婚的なものは、現在でも小説やドラマの重大な要素になっていたりするぐらい、人の心を揺さぶるような嫌なものなのでしょう。
シャーキャ国はコーサラ国の横暴な要求に対して、身分の低い女性をお后として送ることにしました。
しばらくの間、このことを知っているのはシャーキャ国だけだったので、なんの問題もありませんでしたが、コーサラ国の王さまとシャーキャ国の女性との間に生まれた男の子、つまりコーサラ国の王子さまが成長したときに、シャーキャ国に留学することになったから、この事実が発覚します。
今でもそうですが、インドはヒンズー教(=バラモン教)が主流であり、バラモン(祭祀)を頂点にした階層社会であり、カースト制度の影響が強いところです。
いくら留学に来たコーサラ国の王子さまといえども、シャーキャ国では身分の低い女性から生まれた子どもなので身分が低いままであり、みんなから蔑まれるということになります。
シャーキャ国としては、横暴なコーサラ国の要求への雪辱を果たした形になったのですが、コーサラ国としては一杯喰わされた形なので、怒り心頭という感じになりました。
まして、当事者のコーサラ国の王子としては、自分ばかりか母親までをも侮辱されたと感じたかもしれません。かなり屈辱的な時間を過ごしたことは、容易に想像できます。
やがて、その王子さまがコーサラ国の王さまになり、国の権力を握るようになると、憎きシャーキャ国を滅ぼすために軍事行動を起こそうとしました。
そんなときに、お釈迦さま説法をして、3回目までは戦争を止められたけど、ついに4回目は止めることができず、シャーキャ国はコーサラ国に攻め込まれて滅ぼされてしまった、ということが由来となっています(諸説あります)。
余談ですが、シャーキャ国を滅ぼしたコーサラ国も、直後と言っていいぐらいの時期に滅びているようです。これには、災害があったという説や、コーサラ国と同じくお釈迦さまの活動を支援していたマガダ国に攻め込まれたという説など、いろいろなことが言われていますが、お釈迦さまの言葉で表すとすれば、「因果応報」になるのかもしれません。
なんにしても、このエピソードが「仏の顔も三度撫でれば腹立てる」の由来となっているようです。
≪怒ってないけど怒ってる?≫
こうやって見てくると、「四度目には怒った」という考えかたもありますが、「四度目には諦めた」、あるいは「こりゃダメだと嘆いた」と考えることもできる気がします。
戦争をやめるように3回も説得したけど、さすがに4回目には諦めてしまった・・・とか・・・説得できず最悪の結果になり嘆いた・・・とするほうが、しっくりくる気がします。
ちなみに、お釈迦さまは、
「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である」(ダンマパダ、5)
と言われています。
もし、シャーキャ国がこの言葉を理解していたならば、人を陥れるようなことはしなかったはずです。
そうしていたならば、コーサラ国に攻め込まれて滅びることもなかったはずです。
また、
「戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者である。」(ダンマパダ、103)
とも言われています。
もし、コーサラ国の王子として屈辱を受けたかたがこの言葉を理解していたならば、シャーキャ国に仕返しをしたいという気持ちにうち克ち、他国に攻め込むことはなかったはずです。
そうしていたならば、災害にも対応できたかもしれませんし、マガダ国の侵略を防ぐ体力も残っていたのかもしれません。
また、お釈迦さまとしては、諸国を渡り歩いていたからこそ、コーサラ国の置かれている状況を客観的に把握していて、今は戦争している場合ではないとして説法をしていたのかもしれません。
まぁ、いずれにしても可能性の話ではありますが、コーサラ国にとってもシャーキャ国にとっても最悪の結末になったことは確かなわけです。
ですから、お釈迦さまとしては「怒った」つもりはなく、「諦めた」とか「嘆いた」つもりだったのかもしれません。
「なに、やってんねん・・・」みたいな感じでいたところを見ていた人が、「お釈迦さま、怒ってんなぁ~」みたいに感じて、それが伝承されていくうちに、「三度目に怒った」になったのかもしれません。
なんにしても、
・本当に怒った
・諦めたり嘆いたりしただけだった
・人から見たら怒っているように見えた
という3つの可能性を考えることはできると思います。
≪ここから学んだこと≫
私が、ここから学んだ最も大切なことは、「人を差別しないようにすること」です。
人を差別しないというのは、あたり前のことだと思います。カースト制度や人種差別などは、絶対にあってはならないことだと思います。
しかし、私たちは自分でも気がつかないうちに差別をしていることがあるのではないでしょうか?
ほんの一例をあげれば、パラリンピックを見ながら「障害がある人が頑張っている姿には感動するなぁ」と言ったりすることは、差別になるかもしれません。
これは、障害のある人は、社会的に困っている人であるという思い込みと、自分のほうが優位であるという根拠不明の思い込みから来てはいませんか?
そうではないというならば、単に「頑張っている人を見ると感動するなぁ」だけでいいような気がします・・・オリンピックと同じように・・・
ちなみに、障害者の障害は、社会にある差別や不平等などのことというのが世界基準なのに、日本では「漢字か?ひらがなか?」みたいな論争になっているのは、本当に残念なことです・・・
障害者と同じように、「女性の社会進出」は、男性で正当な社会的評価を得られない人には、「なぜ女性だけが優遇されるのか」ということになるかもしれません。
貧困問題なども、必死になって抜け出した人からしたら、「努力が足りない人への援助は不平等」となるかもしれません。
多様性を認識する社会では、「なにが差別になるのか?」を常に意識していないといけなくなりました。
そして、それは、かなり大変なことになると思います。
別の方法としては、一人ひとりを一人ひとりが認めていくことができるような社会を構築していくこと。
これだと、比較的容易に、短期間で社会を変えることができそうな気がしますが、それでも、かなり大変なことだとは思います。
でも、自然と多様性の認識をできていた時期や社会があるのですから、今を生きる私たちも挑戦していかなければならないことだとも思います。
誰もが気がついていない差別にも目を向けて、その課題の解決を考えていくこと・・・
それは、大きな社会問題に限らず、小さなことも気にして課題を解決できるようして、三度とは言わず、いつでもどこでも何度でも、そして誰もが、安らぎと喜びに満ちた仏さまのような表情になれるような社会にしていく・・・
そんな一員になれることを願いながら、今回のブログを終わりたいと思います。
≪編集後記≫
もし私だったならば、3回目でも4回目でも、怒らない可能性が高い気がします。なぜなら、すぐ忘れてしまいますから…。
ある人は、ニワトリみたいだと言っていました・・・ニワトリに失礼になるかもしれませんが・・・
でも、これだと「バカはいつでも楽しそう」で終わってしまい、国を率いていたら、そのまま国が滅びてしまいそうですね…。
あと、相手は「こいつには、何を言ってもダメだ・・・」と諦めるかもしれませんし、「どうしようもない奴だ・・・」と嘆くかもしれません。
それでも、相手がどう思うかは相手の自由だし、相手がどう思うかを変えるには自分が変わるしかないので、自分がいいと思うことを基準にしながら、今の自分にできることをやっていこうと、そんなことを考えながら終わりたいと思います。