見出し画像

プレイバック法政大学学生会館

今から31年前の1994年に、私は法政大学に入学しました。法学部でしたので、キャンパスは飯田橋市ヶ谷でした。武道館での入学式の後、校舎に行き確か入学後の講義科目の一覧と科目登録の書類、シラバスを貰ったと思いますが、当時はまだボアソナードタワーなど建っておらず、55年館と58年館という講義棟と正門の間には広い広場(空き地)となっており、多くの学生は校門をくぐるとピロティ下で各学部の掲示板を確認して校舎に入っていきました。

そんな中、キャンパスの左側、東京逓信病院の隣に、異様な雰囲気の建造物がありました。

この建物は法政大学学生会館、一般に「学館」と云われた、学生自治で運営されたサークル棟でした。

写真を見る限りでは、「学生運動やってそう」と思うでしょうが、まさに、中核派の拠点でもあり、事実東京大学の学生を捨て、この学生会館の部室を使用する為に法政に転学してきた人も少なからず存在していました。
しかし全員が左翼学生だったわけではなく、ノンポリもいればオタクも、体育会の正式な部もあったり応援団の部室もあるなど、玉石混交とした場でした。ちなみにこの学館の部室を使えるのは、大学当局が認可したサークル(研究会・武道会)で、インカレ系などは大学ホールにて活動していました。

まず、普通の人なら写真を見る限り「まともな場所じゃない」と敬遠してしまうでしょうが、私は実はさほど驚きはありませんでしたので、平然と研究会に入会し、いつの間にか学館の住民となってしまいました。

学生会館は24時間365日営業状態で、大学当局は「金は出すけど口は出せない」という状況で、ここに寝泊まりしている学生も多数存在していました。冬は暖房が効いているのですが、夏の部室は地獄のような蒸し暑さでした。

私の大学4年間の思い出は、講義や授業、ゼミなどは全く覚えていませんが、この学館で過ごした日々はよく覚えています。中核派系研究会の学生と仲良くする中、「天皇陛下万歳!」とか言ってみたりした事もありました。

夏冬には各研究会代表者たちで団体旅行(研修旅行)で海に行ったり温泉に行ったり、春には外濠公園で花見宴会を楽しんだりと、普通の大学生とはちょっとズレではいましたが、学館生活を謳歌していました。

外濠公園の桜

1998年、どうにか留年せずに就職先も決まって卒業しましたが、その後、学館を訪れる事はなくなりました。

そして、2004年、ついに学生会館は閉鎖となり、31年間の歴史に幕を閉じました。

閉鎖された学生会館
取り壊される学生会館

学館跡地には「外濠校舎」が建てられ、普通の校舎として使用されています。

今回、風化しつつある画像や情報をまとめておきたいという個人的な思いから、noteしました。大学卒業して6年後に閉鎖され、ギリギリ最後の世代として学館で青春時代を過ごせた事を誇りに思っています。

※画像引用および記事参考サイト一覧


いいなと思ったら応援しよう!