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精神疾患と遺伝(5)私の血脈(祖父)

前回のnoteでは、私の父の生い立ちとその性質について書きましたが、父は秀才でありましたが、社会人としての適性に欠けた人格でした。しかし、精神病というほどではありませんでした。

私の父方の祖父は、そう意味で言えば、正真正銘の「キチガイ」でしたが、思えばとても気の毒な人だったのかもしれません。

祖父は、父の実家に婿養子としてやってきました。そして、2人の男の子と3人の娘が産まれると、もう、祖父の種馬としての役目は終わり、父は地主の家の跡取りとしてではなく、小作人同様な扱いで働かされていたとの事です。そんな祖父が「キチガイ」になったのは、戦後、農地改革で所有する農地の多くを失い、もう小作人からの収入が得られなくなり、自らも農家として家族全員が働き出した頃からだそうです。

祖父は、ある日突然妄想癖というのでしょうか、「ワシは天皇陛下より偉いんじゃ!」「ワシは、カンサン(神様)の生まれ変わりなんじゃ!」と、叫び喚き、それは家の中だけで収まらず、町のほうまで出向いて説法しまくるようになりました。おかげで、地元では有名な「キチガイ」として周囲から蔑まれ、嘲笑われていたそうです。もし戦前にそのような言動をしていれば間違いなく座敷牢に幽閉されていた事でしょう。

何故祖父が突然そうなってしまったのか?恐らく婿養子として迎え入れられながらも、種馬扱いされ、お役御免となった後は馬車馬のようにこき使われ、精神的におかしくなってしまったのではないかと思われます。まだ恐らく30代くらいの年齢で婿養子として一生この家で不遇な日々を送らねばならないかと絶望していたのではないかと私は推察します。あるいは、もともと精神に異常があり、それで婿養子として実家から追い出されたのかも知れません。いずれにせよ、当時「精神病」という概念の希薄な時代でしたので、精神科を受診する事もなく、投薬などもなく、メンタルチェックなど当然受けた事が無かったのでしょう。ただ「キチガイ」という一言で片付けられてしまったのでした。

私も父の実家には小学生の頃は毎年遊びに行っていましたが、その祖父は、視点が定まらず、虚空を眺めて口をだらしなく開き、目が合うと、何か支離滅裂な事を叫ぶ人で、正直怖かった記憶があります。

誇大妄想狂、これは今では「統合失調症」、かつての精神分裂病にカテゴライズされる症状です。父の兄も、3人の姉も、誰一人そうした症状はありませんでしたが、前回の父の生い立ちで書きましたが、父はそんな祖父の血をわずかですが受け継いでいるように思えます。被害妄想、自分は優秀なのに世の中が悪いから自分は不遇なのだと。そして確かに灘校出身ではありますが、父が自分の過去を語るとき、自分の偉業を誇張していると思うことがいくつかありました。さすがに誇大妄想までは至っていませんが、少なからず祖父の病気が遺伝していると思えてならないのです。

そして、その祖父の血は、まぎれもなく父から父の子供、そう、私と弟にも流れているのです。それが色濃く流れたのは弟でした。

次回のnoteでは弟について書きたいと思います。恐らく弟の事が、今回のテーマのキーとなります。

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