睡蓮と網膜
特段、芸術に造詣が深いと言う訳でもないが、あるとき美術館で目撃した、クロード・モネの絵画「睡蓮」のその一つには衝撃を受けた。
モネは所謂「印象派」の代表選手で、「睡蓮」は彼の代表作の一つである。即ち、そこで僕が見たものと言うのは、「ちょっと有名な絵」だったわけだ。「印象派」と言うものは、「目に映ったモノの印象を描く」と言うやつで、要するに「リアルじゃないけどなんか雰囲気でわかる」絵画のことを言う、と言う認識で良いと思う。
少年の頃の僕と言えばそう、絵というものについて、「ホンモノに近ければ近い程好ましい」という、あまりにも安直な価値基準があるのだとでも思って生きていた。インターネットで度々流れてくる「本物みたいな絵」に感動し、テレビのバラエティ番組で晒されるヘタクソな絵を笑った。そうしたものだから、美術館で初めて「印象派」の絵画を見た時、嗚呼愚かなることに、僕はそう「こんなの、俺にも描けるじゃん」と思ってしまったものだ。
中学一年生の頃、夏休みの宿題で描いた海の絵が、何らかのコンテストで佳作を取った。大きく喜ぶに値しない、小さな小さなコンテストの、ちっぽけな名誉であった。寧ろ、この佳作の経験は、僕自身の、「絵画」に対するある種の懐疑的な思索を呼び起こすきっかけになった。それこそ、この絵、佳作を取った海の絵は、本物の海を紙上に映し出さんとして、それなりの時間をかけて完成させたものだった。
嫌に蒸し暑い部屋の中、裸足で床に座りながら、必死に海の写真や真っ白な画用紙との睨めっこに勤しんだ末に、数日を掛けて漸く完成させた、海。
ところが、あっけらかん、完成した筈のそれは、実際に見た海のそれとは程遠い、言ってしまえば「紙に絵の具を塗りたくっただけの、無機質な平面」でしかなかったのだ。あの海を見た時の、言い知れぬ感動は、その一枚の紙切れからは、どうにも感ぜられない。
それでも、その「海」は、佳作を取った。
いや、なんでだよ。
僕は納得がいかなかった。
確かに、その絵は細かくも鮮やかに、どうにかしてそれ自身を海に見せようと、あれこれ工夫がなされていて、側からみれば或いは「少しだけ上手な絵」にでも見えるのかも知れない。でも、違う。僕の絵は、そんなに凄いものじゃない。一見、海に見えるそれは、海の持つ、厳かなる気迫を持たなかった。それは、海そのものが僕等に与える、美麗で繊細な感じを持たなかった。それは、海が人類に聞かせる、悲痛な叫びを唱えなかった。
それは、単なる「海の絵」だった。
そんな惨めな経験をきっかけに、僕の中の「絵」、ひいては「芸術」に対する考え方が、少しずつ変わっていった。ただ「似ている」だけの絵なんて、それこそ風景を写真に収めたほうが、時間も労力も遥かに節約出来る、と、なれば、絵は写実的であることだけがその「凄さ」の物差しではなく、そこに有るべきものは、人の心を揺らす程の、迫力。物質の持つ、感情。
これ迄の僕にとって、絵画とは、そうホンモノに近ければそれだけで「良い」と言えるものだった。学校でもそう習った筈だ。でも、本当は、絵画とは、それだけのものではないのかも知れない。
では絵画とは、人間にとって何なのか。
、
しかし、そうした一瞬の思索は、結局のところ、僕自身の忙しない人間生活のなかで、忘れられてしまう。
そうして、蟻を踏み潰すようにさり気なく、日常を乾かし続けていた僕を、丁度一年前、「睡蓮」の衝撃が襲った。それは、とある日の僕が、佳作を取った日の僕が求めていた、絵画の本来の意味を確かに孕んでいた。
「睡蓮」には、ぬらりと光を跳ね返す水面に、弱々しく揺れながらも確かに寄りかかる、静かなる命の姿が映し出されていた。人間の網膜を通して、物質そのものの在る「その場」ではなく、人間の、モネの「心」と言う場所に於いて間違いなく覗かれる、水、植物、そしてそれらの醸し出す、ほんの一瞬の、生命の動き。時間と共に移り変わり、いつかは死んでしまうことが約束されている、その命の儚さと、煌めき。
印象。
これだ。
僕が求めていた絵画の役割と言うのは、これだった。
モネありがとう。これだったんだね、俺わかったよ。
僕は、僕自身の心に抱えていたささやかながら重たい荷物を、モネの絵画から受け取った、でも確実に僕の心から湧き上がってきたその衝撃を以て、地面に置いた。初めて印象派の絵画を見たときに感じた、「こんなの、俺にも描けるじゃん」は、あながち間違いとも言えないものであったが、ただモノを「描こう」として描くのと、己が網膜を通して感じ取った印象を紙上に再現しようと筆を走らせるのとでは、まるで意味が違うのだ、と、そう気付く迄には、おおよそ四年と半年を要した。
海の絵は、小さな名誉の証として今でも家の壁に飾ってあるが、小さな名誉の証であることを超えない。