1年間ボーッと生きてる間、考えてたこと まとめ
2022年3月に高校を出てから1年間、マジで何もせずに生きてたので、その間考えてたことを覚えている限り全てここに残しておきます。
こないな畜生から生まれた出まかせに等しい言葉たちがあわよくば誰かの心の支えになれば良いな、と信じて…
・この世はしょっぺえ、マジでしょっぺえ
・おもんない
・カス
・何より死後の世界の存在が証明されてないのがクソすぎる。安心して死ねない。
・死の瞬間ってすごく痛そうだし、どれだけの苦痛があるか計り知れない「死」というプロセスと比べたら、背負った生き恥やら他者への恐怖はもう慣れっこ、雑魚に近い。だから生きている、そう思い続けた一年だった。
・自分、承認欲求が強い。特定の事物に関する話の中で、気づいたら自分の所感やエピソードを話していたこととかまあまあある。
・一方で、「自分」というエンティティを他者に認識してほしくない、という意味のわからない欲求(?)も併存している。理由としては他者が怖いから、これに尽きる。
・僕の人格に搭載された最大の二律背反はこいつ(他に「衝動性と優柔不断」「恥知らずと自意識過剰」などがあるけど)。
・でも別に思想の交換って「人間関係」を下地にしなくて良いんじゃない?って思ってて、要は「誰が言ってるか」じゃなくて「何を言ってるか」でことばを判断してもらえると楽だな、っていう。
・要は人格ありきで他者と意見交換をしたくないよっていう話。
・例えば、僕のことを信頼してくれてる人が僕の無責任な言葉に呆れて僕という人格ごと嫌いになってしまうとか、そういうのは辛すぎる。
・それはそれ、これはこれで、僕の言葉が受け入れられないのであればどうか反発や対立などすることなく、そっとスルーしてくれ、と思う。(なんと身勝手な…)
・その点インターネットは良いよな、関わりを持つことなく他者の思想や創造性を好きなだけ浴びられるんだもの。
・↑ただし、そんなインターネットを上手く使いこなせてない人が最近増えている気がする。つまり「スルースキルのない人」というやつ。
・まあ昔からだるいやつはあらゆるコミュニティにいるものだし、気にすることではないのかも知れない。僕たちが彼等を「スルー」してあげたら良いだけなのだよな。
・学生お笑いと少しだけ関わりを持った一年でもあった。つまり、それなりの数の大学生と知り合ったっていうこと。
・そもそも僕は数学が嫌すぎて受験勉強をスッパリ諦めたタチであり(要は大学生のメンタルを保持してないっていう意味)、彼等との関わりを持つこと自体が、色んな意味でものすごく怖かった。
・やっぱり大学生って大人に片足突っ込んでるわけで、酒飲む人もいるし、タバコ吸う人もいる。
・そんなコミュで僕、追放されずにこうして突っ立ってるってことは、嗚呼大人になっちまったんだな、っていう心地だった。
・昔から少し、無意識のうちに何かをやらかすシーンが多く、幾度となく大人に叱られてきた(無意識でやってたことなのでほとんどの場合全然納得いってない)ため、大人がすごく怖い。
・大人は理不尽にキレてくるし、僕の言い分は基本的に聞かないし、求めてもいないのに押し付けがましいアドバイスばっかり寄越してくる。そういうイメージで生きてきた。
・そんな大人になる、これは本当に苦しいことだ。
・大人とは社会人ということであり、社会とは現実世界のシロモノであり、大人はそこに生きる生き物だ。ごっこ遊びの子供とは違う。
・周りの人間はリアルを生きてて、他者との関わりの中で自分を見つけようと躍起になってるように見えた。
・そんななかでボンヤリと「なんか楽しいことしたい」だけで体を動かしてるような奴がロクな時間を過ごせるわけがねえだろ!
・苦しかったよめちゃくちゃ!!
・ただ、悪くはなかった。何故なら僕はそういう「他者と違う」というステータスになんかものすごい魅力を感じていたからだ。
・やっぱカッコいいもんね、人と違うって。
・周囲の「おとな」は現実を覗き、自分が何をやるべきなのか、何者であるのかを中心に生きるなか、ホンワカパッパ脳味噌でボーッと夜の街を眺めて「なんだかたのしいな」と笑うだけの自分は、正直カッコよかったと思う。
・↑周りにそう思われてたかも、じゃなくて、僕がどう思うか、という点で「かっこいい」って言葉を選んだ。僕は自分にしか興味がないから。
・そういえば、この一年で、俗なモノへの興味関心が一層薄れた気がする。
・前々から衣服や食事、政治など、(何故か)社会生物たる人間にとり「必要」な概念への興味が薄く、もっとボンヤリした哲学、思想、芸術或いはエンタメとかに心惹かれがちな個体だったが、もうそういうモノへの興味も無くなってきた。
・多分、哲学も、エンタメも、大体のものは「他人」によって提供されるものだから、だと思う。
・どうせ分かり合えない他者、しかもその殆どは現実の世界を生きる大人。
・さらばそんな奴らが生み出すようなその場限りの言葉、作品、そんなものに面白味なんて生まれるわけがないのだ、と、そう思うようになった。
・人類は高尚じゃない。寧ろ陳腐だと思う。
・結局のところ、人類の営みなんて全て、たまたま電気信号が通ってるだけの蛋白質塊が演じるお遊戯でしかない。
・そんな人類が生み出す社会や価値観、文化、芸術、そんなものを幾ら学ぼうとも、結局「人類」とかいう過疎スレのクソコテになれるかなれないか、という程度の、その程度の話なのだ。
・ならば僕は僕だけを大事にしたい。何故ならその思考や想像を100%理解できる個体とは唯ひとつ「自分」だけだから。
・その点で、完全に解り合えないうえに、嫌われたり対立したりするような人間にわざわざ自分のことを伝え、「人間関係」をスタートさせようとすることほど無意味なことはないのかも知れない。
・↑まあ僕が他者にわかってもらえないとして、それは僕の語彙や表現が足りなかったっていうことだからひとえに僕が悪いんだけどね…
・兎角、こんな世の中だし、結局自分さえよけりゃあ良いのだ。
・自分を嫌いになる可能性のない人格も自分だけ、この世で怖くないのは自分自身だけ。他者、ひいては人類に見切りをつけることは、極めて合理的な選択だと思う。
・違うかな?
・しかし、そんな人類だ。最初に生み出した概念が「戦争」と「社会」だった生物だ。
・直接殴り合うことで奪い合うか、「契約」と称して水面下で自らの利権を主張し合うか、どちらかしかできない生物。
・それが「人間味」ってやつだとしたら最悪だね。
・兎に角、人類ってのは本質的に「おもんない」のだと思う。
・戦争を放棄し、社会に落ち着いた。Bルートを正史とした我々は、そこに安住しているという現状それ自体が「おもんない」。
・↑何も三たびAルート選べって言ってるわけじゃない。寧ろラヴアンドピース万歳。
・そうじゃなくって、普遍的な最終形態を見つけ、それを何年も何年も循環させる気でいるのがおもんないって言ってるんだ。17個も目標立ててまで守りたいものかね?「社会」って。
・今の所、社会について、ちょっとのマイナーチェンジすら忌避する人が多すぎる。そんなに自分が現状の社会に適応できてるのが誇らしいかよ。
・で、要は何が言いたいのかっていうと、「社会」という形態に適応し、参画している時点で、その個人ってのは「面白くない人」なのだよ、と。
・先述のとおり、この一年で学生お笑いに少しだけ関わったが、そこで「人の面白」と「面白の人」は違うのかなって感じがした。
・「人の面白」は、お笑いで言うところの「ネタ」で、その人が言うこと、作るもの、正直言ってその人の虚構の部分。道化を演じる人の「道化」の部分。
・どれだけ良いものを作る人でも、本質的に現実を見ていて、社会人としての自覚、何者かであろうとする心、他者への関心なんかがあると、申し訳ないが、「面白くない人」になっちゃう。
・じゃあ「面白の人」って何?って言うと、「人間らしくない人」だ。
・人間味に欠ける人。いいね〜面白いね。
・「サイコパス」とも言うかも?
・まず、他者を知りたがってる時点で「俗」で、社会に適合できてる時点でその程度の人格ってことなんだよな、なんか。
・この話難しいな。
・他者の人格や社会に興味がなく、それこそ「何を言ってるか」だけでことばを判断する人。
・同様に、自分のパーソナルな部分についても「伝えても意味はない」として開示しようとしない人。
・「人の面白」の部分、「道化」の部分が、虚構ではなく、本質である人。
・詰まるところ、ずっと冗談ばっかり言って、踏み込んだ話をしようとしない人。これだ!この人が面白い!!
・面白い人ってのは、常に現実に生きてなくって、その日その日の自分の快楽のためだけに過去も未来も他者の目線もかなぐり捨てて笑える人間のことを言うのだと思う。
・面白いことを言える人は多いが、その人たちが本質的に面白い人間なのか、面白い人生を歩んでいるかどうか、それはまた別な話なのかな〜という感じがする。
・要は、面白くない人=社会に生きる人ってのは、どうしようもないような生きづらさに苛まれちゃいがちなのよね。
・人って一人一人ちょっとずつ違うわけだし、それなのにそれぞれがそれぞれを解ろうとする。
・そうすると、嫌でも「比較」に思考が行ってしまいがちなのよね。
・学校で、職場で、それ以外の場所でも、人間関係を築き倒すなかで、自分と他者との間に何があるのか、これを知ろうとすればするほど人は生きづらくなる気がする。
・正直、人と比べてるうちは、幸せになれない気がする。上には上が居すぎる。
・それに最近はSNSなどの発展により、「すごい人」の等身大の姿を、遠隔で見せつけられることが出来るようになってしまった。
・その場にいない、関わりもしない他人と、自分とを比べて、落ち込むなんて、馬鹿馬鹿しいことこの上ないが、教育の過程で「競争」に慣れちまった僕らは、他者の姿が傍目に映るだけで、すぐ比較に走ってしまう。そうですよね…?
・兎角、この社会はすごい人が多すぎる上に、そんな人たちと自分たちを比較するチャンスがありすぎる。
・おまけに、亡者どもの中には「偉人」だっている。それらと自分比べるんか?っていう。
・そんな世界じゃそりゃ幸せになれませんわな。
・もう結局、幸福とは現状に甘んじること、これに尽きると思う。
・「自分」って不完全だし、確実に誰かの下位互換だよ。だけど、それでいいんじゃね?なんかそれも楽しくね?っていう。
・逆に考えると、やっぱ誰よりも優れた人って、代わりがいないからプレッシャーすごいと思うのよ。やっぱり当たり障りない性能してる方が気は楽なんだよな、人間な。
・誰かと自分を比べて、こいつには勝ちたい、もっと上へ上へ行きたい、っていう、それも良いけど、なんかもっと楽に行きたい…くない?
・どうせ人間みんな多かれ少なかれ生きづらさは抱えてるもので、その点で、自分に何が足りないのかすらも分からずに藻搔いてる状態こそがニュートラルなんだと思う。
・満たされることの方が少ないし、完璧になるなんて不可能でしかない。
・でもそれこそ、なんでも出来る人ほどつまんない人もいないと思う。
・人間性の「味」って、その人の足りない部分にこそ出てくるモノだと思うから。
・その点では、皆んなが「悩み」とか「生きづらさ」と呼んでるものって、その実「個性」ってヤツなのかもね。
・変にナンバーワンやオンリーワンになろうとせず、不完全な自分を死ぬまで甘やかしてあげたい。
・っていうか甘やかしまくろうぜ。
・しっかし、社会はおもんないな〜
・社会カス。マジで。
・まだ社会のことをこき下ろし足りない。
・まずアレがカス。金を稼ぐという行為。
・なんで人が損してるだけなのに反対側にいる誰かがそれで食い扶持繋げるんだよ
・アレも最悪だな、雇用。
・支配→被支配の関係性がダメなのは封建制の崩壊からもう分かってるじゃん
・なんで人飼うのがずっと罷り通り続けてるんだよ
・賢者は歴史から学ぶんだろ?学べよ
・もうね、革命起こすぞ!とまでは行かないけど、流石にちょっとこんなことしてる場合じゃないだろ、とは言いたい。
・現状の社会は先述の通り、言葉や書面で権利を主張しあってるだけの戦争なんだよ、形而上の戦争。
・雇用は支配であり、労働や奉仕は隷属であり、契約や手続きは戦争であり、社会とはそんな無血の暴力の集合なわけで、即ち社会の下地である人間関係ってのは恐怖でしかないんだよ。
・そんなんじゃ僕みたいな臆病者は一生社会に出てこないし、しかもこの先インターネットやAI、メタ…バース?みたいなのが進歩すると、僕なんかが可愛く見えてくるくらいには人間を恐れるパーソナリティの持ち主がボロボロ増えてくぜ。
・僕は自分の話はしたくないが、あえて言うとすれば、正直、まだ若いし、こうやってボンヤリ形にならないことを考えるだけの時間を過ごすのはとんでもなく勿体無い、命の無駄だとおもう。
・でも、怖くて仕方ない他者と関わり、やりたくもないことをやって人生を搾取されるくらいなら、ひとりでボーッと生きるのがマシだね、と、そう思ってしまうのも仕方があるまい。
・↑いやこれは完全に僕の人格に問題があるんだけども…ごめんなさいね。
・兎に角、この社会はカスなんだ、面白くない人が集まって面白くない規範、システム、人付き合いばっかりを延々繰り返すつもりならば、いずれダメになっちまうかもよ、そう言いたい。
・変わることは怖いことじゃなくって、寧ろ今のこの社会の方が怖くてやってけないような人がいることにだってたまには思いを馳せてくれ。マジで。
・我儘言って悪いね。
・あと、ラーメンだいすき。