見出し画像

地獄じゃなくてなぜ悪い

このプラットフォーム上で何度も言ってる気がするんだけど、大人がガチで怖い。


子供のころ、無自覚のうちに何かをやらかしてて、教師にそれをひどく咎められて、嫌な気持ちになる、という、「大人に急に怒られた」経験がすごくあって、そのせいか僕の中での大人の認識は「理不尽に怒ってくる 敵」(修正不可)となっている。

しかし僕ももう二十代になって、周りの人間、属するコミュニティの構成員とかがみんな大人で、もう、全員、怖くて仕方がない。

俺がいる、自宅以外の場において、そこにいる皆んな、怖くてしゃあない

↑臆病短歌


このこと、そもそも大人に対して基本心を閉じているのもあり、親にしか話したことがなくって、要するに事情を知らない僕の周りの人間っていうのはおそらく、僕のことを「なぜか怯えている者」だとでも思っているのかも知れない、とか考える。(だとしたらウケるよね)


僕はわりと、というかかなり経済的に安定した家に生まれ、学校の成績も中学まではそれなり、病気もせず、友達も指折り数えきれる人数はいるし、飯がうまいと安易に「このために生きてたんだな〜」とか思えちゃう能天気さで、色々有耶無耶にしてきた、恵まれ坊やなわけだけど、ただ一つ、ヒトが怖い。

ヒト、ヒトが怖いせいで、外に出れない、社会に出れない。
俺はそこそこ地頭も良いと思うし、喋るとまあまあおもろいのに、ヒトが怖いせいで、何もできない。


いいですか、これは苦痛を訴えてるんじゃなくてですね、ただ単にヒトを恐れているこっち側の精神的な怠慢で、その告白ですよ、みんなさん。

あたしは子供の頃勝手に発現した個人的な認知の歪み...恐らくこれ以外にも幾つもあるんだろうな...を、直さずに大人になっちまった、こちら側の、怠けの結果を、そうだね、あたかも致命的な弱者性みたいに語っているのです。


つまりこういう文書をこうやって公にすることはなかなかに罪深いこと、の、筈なんだけど、もうこうやって自らの怠慢をお悩みみたいに喋り続けて二年ほど経つのに、僕当ての逮捕状はきっと出てなくって、要するに、この国では、苦しい理由なんて別に、何でもいいんだっていう、こと?なんだと思う。

それが言いたかった


まるで自分が地獄にでもいるかのように、自分の中の巫山戯た部分をいろいろ脚色して、標榜して、孤独を語ることが、許されるんだったら、どんな些細な苦しみでも、当たり前に許容されていいと思うんですわ、ね

そんな気がしますよね

しないか



じゃあここからが本題
見出し画像について

散歩をしていたんですよ、ある日

で、その、家から数十分歩いたあたりにまあまあでっかい公園があって、

そこのベンチ?みたいな、座るところを写した写真なんだけど、

本来ヒトが座るところに果物が意味ありげに添えてあって、

多分これ妖精さんが場所取りしてるやつだな、って思って、

これ見るために生きてたんだな〜って

思ったね



あけましておめでとうございます。

いいなと思ったら応援しよう!

かーかもコーヒー 島袋
あわよくばnote一本で食っていきたい〜とか考えてるので是非よろしくお願いします。