ハイウェイ・ゴリラ
高速道路。風を切って走る。
びゅん。
すると、左手に黒い塊が見える。
それは、巨大なゴリラだった。
英字の看板をかっしりと掴み、こちらを只眺めるゴリラ。幼い僕の心を、たった一瞬だけ、その黒の印象で一杯にしたゴリラ。僕がそのゴリラを指差して笑うと、母が、何か適当なことを言って、一緒に笑ってくれた様な憶えがある。
晴れた日の高速道路は特に気持ちが良かった。
視界の澄む心地、煩わしくない湿気の程度、陽気な青と緑のコントラスト。歌声すら聴こえてきそうな、善の空気が人と人との間に棲み付き、世界を包括する。太陽の光、つん。アスファルトと、タイヤの擦れる音。
小さな車体は風を切る。
びゅん。
そんな気持ちのいい白昼も、ゴリラは只管に、看板を掴んだまま、僕らの向こうの何かを見透かすみたいな出で立ちでいた。
時に、ゴリラは何か物憂げな目をしている日もあった。
曇天を切り裂いて走る車体の一つ一つを眺め、その道程の安全を見守るかの様に、言葉を発することもなく、指先ひとつ、ピクリと動かすこともなく、看板を掴んだまま、空一枚を背景に、ゴリラ、まるで神様みたいに。
あのゴリラ、何者なんだろう。
もしかして、本当に神様だったりして。
幼い僕を乗せて、車、高速道路。
びゅん。
時は経って、道端にでっかいゴリラが居るだけでは大して面白く無いよな、と言うことが漸く分かってきた頃合い、十代のはじめ、ふと、ショッピングモールの本屋で手に取った、「地元あるある」の本に、それはあった。
その本には、僕が生まれてからこれまでを過ごしたこの地に住む者であれば、誰でも共感し、誰でも面白がり、笑える、但し、そうでない、外の世界の人達にとってはサッパリ、と言った、所謂「内輪ノリ」なユーモアが多数掲載されていた。そこで、僕は初めて内輪ノリの面白さと取っ付き易さに触れ、ある種の感動を覚えた。
そして、ひらひらと適当にめくっていたページの中、僕はある文言を発見する。
そこには、
「高速道路のゴリラ、子供が『あれ何』とか聞いてきたら、気まずい。」
そう言った旨の言葉があった。
いや、なんでだよ。
そんなわけないだろ。
だって、ゴリラじゃん。
ゴリラって、気まずさの種、抱えてないじゃん。
そのページ、その文言だけは、やけに気になって、太字ゴシック体ではない、か細い文字で書かれていた詳説にも、珍しく目を通すことにした。
そこには、真実が書かれていた。
あのゴリラのいる建物は、ラブホテルだった。
マジかよ。
「ラブホテル」。
その言葉を、僕は知っていた。
ゴリラ、神様でも何でもなかった。
淫行のレペゼンだった。
クソが。
騙された。
お母さんごめん。
事情のひとつも知らずに、あんなの面白がってごめん。
お母さん、それこそ「気まずい」思いしたんだろうな。
めっちゃごめん。
それからは、その本に記された全ての内輪ノリが、どうでも良い様に思えた。
本屋、静かに活字が並ぶ。
しん。
そして、もう少しだけ時は経って、中学生にもなった僕を乗せた、車。高速道路。
びゅん。
見えてくる。
黒い塊。
あれは、あの、ゴリラ。
アスファルトと、タイヤの、擦れる音。
ざぁ、
ざぁ、
ざぁ、
、
、
遂に、僕は、ゴリラから目を逸らしてしまう。
高速道路は、昔と変わらぬ姿のまま、在り、
僕は、大人に近づいてしまった。
高速道路。風を切って走る。
僕を乗せる。
大人に近づいた、僕を、乗せる。
憎たらしい晴れ空。
太陽の光、つん。
やめてくれ。
僕に、世界を見せないでくれ。
ゴリラ、神様だったら良かったのに。
びゅん。