お地蔵さんの話
今日(9月25日)も自転車を走らせる。
砂浜沿いには、サイクリングが楽しめる道が多い。
福田漁港から3キロ程離れた海岸に車を停めて、
荷台から自転車をおろし目的地を漁港にする。
車から降りて直ぐに
漁港の方は行き止まりで
迂回を案内する看板を見つける
こういう場合、
土日は工事が行われておらず
通れる可能性が残っている事を知っている。
通れる可能性にベッドして
看板を避けて通って
自転車と歩行者しか通れない道へペダルを踏む。
潮見バイパス沿いの松は疫病や寿命によって
枯れ果てている松が多いが
福田方面は未だに生き生きとしている松が多い。
途中で小さなお地蔵さんを住まわせたほこらが見えた。少し不気味だなあと思いつつ、心の中で会釈。
数メートル先におばあさんが道をほうきで掃いていた。少し気持ちがいい。
松の葉からの木漏れ日は細々と道を照らしていて
見上げると蜘蛛の巣が多く張っていた。
日光の加減では肉眼で全く巣は見えないので、
蜘蛛の糸は利口な作りだなあと思った。
立て看板の通り、
鉄のオレンジ格子が先を閉ざしていた。
行き止まりだ。
まあそんなものかと思って
軽い自転車をクルッと後ろへ回し
停車した車へ向かって
自転車を走らせた逆方向を走ることにする。
再び、小さなほこらの前を通る。
今度は心の会釈はやめておく。
すると先に
さっき掃く作業をしていたおばあさんが
リード無しでミニプードルを連れている
ミニプードルは真っ直ぐ歩かずに
ジグザグと歩き、妙に道に慣れている様に見えた。
ミニプードルが自転車の道を塞いでいるため
ゆっくりと通り過ぎようとしたところ、
おばあさんと目が合い、挨拶を交わす。
近くで見たおばあさんは、小洒落ていた。
ブラウングラスのレイバンをかけて
眉を描き、耳からはやや大きめなイヤリング。
動きやすい服装にサンバイザー、
腕には日除け。
後で分かったことだが、年齢は70歳後半
毎日この道に犬を連れて
あの不気味な小さなほこらの前を
掃いているようだ。
通い続けた結果この犬は3匹目よ、とも言う。
反応は困ったが失礼を打ち消すくらい
大きめ笑うことにした。
○出逢い
ある日砂浜沿いの道を散歩する。
遠くに細長い石の塊を見つける。
近づいてみると
余りにも不格好な手掘りの地蔵だった。
雨風にさらされているせいか
角張っていたであろう箇所は
少し丸みを帯びている
愛らしくて可愛らしく見えた。
しかし顔は不細工だ。
きっとこの近くで誰かが亡くなっていて
その怨念をこの地蔵に託したんだ。
とりあえず道は気に入った。
毎日通ってみよう。
毎日通っていると
不思議なもので
普段、信仰心は全く無いのだが、
毎度、怨念地蔵に出くわすので気持ちは悪いから
このお地蔵さんには手を合わせる様にする。
散歩は健康のため。
○正体
暑い日も寒い日も同じ道を散歩し続けた。
同じ回数犬を連れて
お地蔵さんに手を合わせる。
ある日、いつもの様に歩を進めると
お地蔵さんの前に80歳近くのおじいさんがいた。
2年間、毎日通い続けて初めてお地蔵さんの近くに人が現れた。
きっとあのおじいさんの親族が亡くなってしまって怨念地蔵が生まれたんだ。
2年がかりでやっとお地蔵さんのルーツを
手に入れる事ができるのではないかと、
早歩きでお地蔵さんとおじいさんの元へ近づく。
聞くところによると
どうやら誰も亡くなっていないようだ。
呆気にとられた。
おじいさんは元漁師で
この道よりも海の近くで小屋を建てて
道具を仕舞ったり、休憩として使っていた。
伊勢湾台風が日本列島を上陸した頃に
大荒れになってしまったのではないかと
心配して小屋へ来たら
小屋の近くにどこからか
ここまで泳いでお地蔵さんがやってきたそうだ。
罰当たりかとも思い
捨てることもできず小屋で一緒に過ごし始めた。
何年か経って
遊歩道の着工に合わせて
お国から通達があり、
小屋の撤退を余儀なくされたために
新しく出来たこの道沿いに
不格好なお地蔵さんを置いておいたそうだ。
怨念地蔵では無いことがわかったが
一度始めてしまった毎日のお祈り。
手を合わせる事は続ける。
○建立
怨念地蔵から
ただの石の像へと変わったが、
毎日毎日熱い日も寒い日も散歩を続ける。
ある日、
お地蔵さんを4,5人が囲っていた。
話を聞くところによると
地域の組合が主催するお散歩サークルが
この道を歩くことになり
初回でこの地蔵に気づいたようだ。
サークルの皆は
大変この地蔵を気に入った。
サークル内の一人が
「古くからありそうなこの地蔵になぜこんな見すぼらしいほこらに入れているの?」
確かに。
毎日通う様になってから
裸では可哀想と思い、簡易的な祠に収めてはあった。
しかし雨風に打たれ、
そこらじゅうに劣化が始まり
屋根は穴が空き、上からビニールを敷いて釘で打ち付けてあった。
すると別のサークルの一人が
持っていた折り畳み傘で目分の採寸を始めた。
「昔はこう見えても大工をしていたんだ」
。。。
2,3ヶ月後
立派なほこらにあの地蔵が収められていた。
○宿敵
変わらず散歩を続ける。
いつもの通り手を合わせる。
毎度の様に手を合わせようと
祠の前に立つと地蔵の横に新しい地蔵が置かれていた。
さらによく見ると
新しい地蔵が真ん中に、
既に入居していた地蔵が窮屈そうに隅に追いやられ向きもそっぽを向いた。
誰の仕業だ。
今まで大切に手を合わせてきた
地蔵にこのような扱いをした事に
怒りを感じたが、
地蔵からしてみれば
自分が散歩をして手を合わせに来る以外は
この祠でひとりぽっちなのだ。
そこで新しい友達を迎え入れることとする。
左に先輩地蔵を右に後輩地蔵を祠の均等な位置に置いて仲良く正面を向く。
これで私たちがいなくても
少しは寂しくないね。
○願い
群馬から静岡県に嫁いで早くも約50年。
自分が老いていくと共に
故郷の親戚たちも時間が同じだけ過ぎてゆく。
お母さんは98歳になり高齢ではあったが
未だに元気だ。
しかし、一昨年のとある日。
くも膜下出血によって倒れてしまったと
故郷に住む、姉の一報で知る。
大変心配になる中、コロナウイルスがまん延していることから感染リスクが高いため移動が出来ず毎日ハンカチを噛みしめるような日々を送り続けた。
それでも止めなかったお地蔵さんへの手合わせ。
何かお母さんに出来ることは無いかと
祠の前の道を10m掃くことにする。
これがお母さんの病に効くなんて思っていない。
見舞いの出来ない歯がゆい気持ちを善良で押し返せる事を信じていた。
掃くためにほうきやちりとりを直ぐに用意して
祠の近くにお掃除セットを配置。
その時飼っていたミニプードルと一緒に
毎日訪れて祠の前の道を綺麗にして
手を合わせて快方を願った。
これらを続けて約2年、その時告げられた余命を遥かに超えて未だにベッドの上で元気に過ごしている。
無事に100歳を迎えて
市から表彰を受けた。
お地蔵さん、あなたは私のことを見ているのかしら。
願いが通じているのかしら。
2つのお地蔵さんは今日も返事を返さない。
返事は病の快方へ向かっていると思うことにした。
………
この話以外に
姉の仕事と旦那の話。
父のお葬式の日に母が大怪我を負って
霊柩車と救急車がすれ違った話。
筆者の身の上話。。。など
大変な説法を頂き
約1時間半以上炎天下に晒されていた。
最後におばあさんの大ファンらしいお相撲の話になりかけた時、
汗を拭い、生つばを飲んで
「今日の相撲の大一番を観たいだろうから帰りましょう」
「そうね」
「また会いましょう」
「さようなら」
僕はペダルを踏んだ。
お地蔵さん達よ。。。
こんなに話が好きなおばあさんが
毎日来てくれるならあんたらは寂しくないね。(笑)
帰ってすぐに冷えたビールで疲れをとった。