桜をみるかい?
4月1日。桜が満開だった。
誰がどう見ても見頃を迎えた。
今日も古いバイクを山へと走らせる。
人気(ひとけ)のない山道を走る。
道中、
主幹川沿いに植えられた桜は、均等な配置で列に並んでいてマリモの様に枝分かれをして大きな丸を描いている。
細い道に生えた野生の桜は、列は関係なく不均等に並んでいて
車やトラックから受けた風を避けるように道に対してトンネル状に枝分かれする。
植えられた(生えた)環境によって桜の成り方が違うようだ。
人間の手によって植えられた桜と
野生に生まれた桜
それぞれたくましさがある。
桜の咲き方に何かを重ねてしまう様になってきた。
3月4月の出会いと別れのシーズンに合わせて桜が咲く。
夏は葉っぱが生って光合成で栄養を蓄える。
秋は葉っぱが散って、冬は寒さを耐える。
春には花が生って、雨や風ですぐ散る。
天候のタイミングによっては
2週間あまりですべての花が散ってしまう。
花が成る事がこの木のゴールであるとすれば、
かなりコスパが悪い。
これは人間が作ったあまりに身勝手なゴールではあるが、ここに日本人の国民性と重ねて風情を感じている。
会社や家庭や学校で発展途上であった環境を耐えぬいた人たちはこの桜を見るとまた見え方が違うのかな。
そこまで深くは考えないか。
花びらの色も原色からは程遠く薄いピンク。
花の色としては地味な色であって、
そういった所も風情を感じざるを得ない。
桜のトンネルの真下でバイクを走らせると
強い風が吹き始めて桜吹雪が起きた。
枝木から漏れた日光が幻想的風景をさらに増して、死後の世界を思わせた。
キレイ過ぎて思わずバイクを止めて5分程眺めていた。
このまま三途の川の切符もヒラヒラと舞い散って来るのではと思った。
対向車線からもバイクが走ってきた。
数台、国産バイクが走り抜けていく。
おそらく新車のバイクであろう、
フルフェイスヘルメットを被り、
新調されたライダースジャケットとブーツを履いていた。
対して
1970年製造のバイク
何千リットルの排気ガスと飛び石を受けたヘルメット、
オイル滲みと缶コーヒーをこぼして汚したまま着ている古着の青いマウンテンパーカー、
20歳から履き潰したソール交換を一度したブーツ
見た目は汚いがその全ては本人が気に入っている。
あの新車のバイクはきっとセルボタンを押せばきっとエンジンがかかる。
様々なセンサーが搭載されていて安全面においては申し分ないのだろう。
もちろん新車であるから何か問題があれば
アフターサービスが付いていて
修理への円滑な対応に守られているのだろう。
いつでもどんな時でも走りたい時にツーリングを楽しめる。
ライダーの疲労を感じれば好きな時に休憩して
好きなときに景色を楽しめるだろう。
かくして
エンジンはキックスタートのみ、気温や湿度によってかかり方も違う。
安全装備など無い。全ては自分の感性のみだ。
ボルトが決まって緩む箇所がある。
オイルは減ることがメーカーの前提であり、サービスマニュアルには定期的にオイルレベルをチェックすること、とある。
消耗品は各箇所に点在していて
すぐに故障してしまうものではないが、
その理屈を理解してしまえば
特に大きな問題はない。
いつどこで故障があるか分からないが故に
停まってしまうリスクは高いが、
その理解を深めれば、リスク回避はできる。
新車を気に入って購入し、人気車種であれば納車まで1年くらい待つのかな?(新車のカブはそうみたいです)
対して
オークションで実働車で手に入れてからすぐに故障箇所が見つかり、地道にパーツを集めて修理完成し、問題なく走れるまでに2年程かかった。(あまり待ってないか。これは理由があるがあえて省略)
この季節を越えて暑い夏、寒い冬
どちらも乗る時間帯を工夫してバイクに乗るのは
乗れるまでの過程を耐え忍んできたからなのか。
いつでも同じ調子で走らせてくれる新車のバイク。
あのライダー達に全てを説明する気は到底ない。
何故ならこんなに面倒くさくて手間のかかることはない。
ただいえるのは
乗れた、乗れるこのバイクにしか感じられない景色が美しい。
対向車線を走りぬけたバイクと
路肩に停めた自分のバイク
あーー。桜吹雪がキレイだ。