ドイツ人の変な女に感性を破壊されている
インドにいる
大学の派遣研修でインドに滞在し、はや六十日目となった。期間としては、ちょうど折り返し地点である。いろいろなことがあった。本当にいろいろなことがあったのだが、話そうとすると不思議なことに、カレーかウンコかどちらかの話しか出てこない。話しているうちに、カレーのことを喋っているのかウンコのことを喋っているのか、自分でも分からなくなると思う。茶色ばっかりなのは和食だけで充分なので、どうにか別の話がしたい。
インドに行くと人生観変わるよ、なんて常套句を、当然私も聞いたことがある。六十日滞在している立場としては、そりゃそうだろ、としか言えない。ハワイに行くと海あるよ、とほぼ同義だ。変わるというより、無理やり変えさせられる。変えないとここで生きていけない。
それは変化なんて悠長なものではなく、もはや破壊であった。インドにダストが多いのは、人々の砕け散った価値観が宙を舞っているからだ。本当に多すぎるので何とかしてほしい。咳が永遠に止まらない。目が痒い。
価値観の破壊なんて一度で充分なのだが、残念なことに、それはこの国に来てから二度あった。ただ、その二度目というのは、インドでもなければインド人でもない、そこで出会ったドイツ人女性による破壊だった。
ユタという女性
彼女は名をユタと言った。カタカナ表記でそうせざるをえないだけで、実際は、一音目はユとウが混じったような、二音目はタの後にドイツ語特有の喉を抜ける息の音が混じるような発音だ。
年齢は二つ年下だったと思うが、身長は185cmほどの長身で、手足は細く長く、顔もヨーロッパ人らしく堀が深いので、ずっと年上に見える。全体的に色素がうすく、肌はまさしく雪のような白、髪は金色のボブカットという、言わば「日本人がイメージする外国人のお手本」のような外見をしていた。
レンズの分厚い赤いメガネ、ヘアゴムで雑にまとめられた前髪、よれたシャツに派手な柄のステテコ(大学の売店で非常に安く買える)といった、「ここはお前の部屋なのか」と思わせるほどの、やる気のない恰好が彼女の基本スタイルだった。そこが寮でも図書館でも食堂でも大学の講義室でも、彼女のスタイルは変わらなかった。
ユタは非常にゆっくり喋った。日本の中学校の英語リスニング教材よりも、はるかに遅いスピードだった。発音はイギリス寄りなのだろうが、Waterをウォッタル(巻き舌)、Carをカル(巻き舌)と発音するような早口のインド英語に白目を剥いていた立場からすれば、日本語で喋っていると錯覚するほど分かりやすい英語だった。
出会いは留学生交流会だったが、その時はあまりお互い喋らなかった。ユタ、と言うときの発音が、やたらセクシーだなとは思った。あとはなんか、のんびりした人だな、と思った。その一週間ほど後、図書館で再会した。インドで金髪の長身女性は珍しいので当然こちらは覚えていたし、向こうからしても、ちんちくりんのジャパニは覚えやすかったのだろう、お互いに「あ、やっほやっほ」みたいな感じで少し喋った。
その足で一緒に帰ったら、たまたま遭遇しなかっただけで、実は同じ寮に住んでいて、しかも部屋まで近かったことが発覚した。それが始まりで、そして私の感性の終わりだった。
魔性の女
熱帯特有のドシャ降りが続く中、ユタはなぜか傘を持たなかった。いつもビショビショに濡れて帰ってきた。そして、部屋に帰るでもシャワーをあびるでもなく、ん~とかお~とか言いながら、窓に手をかけて外を眺めていた。
風邪ひくぞ、と声をかけた。こちらを見たユタは、メガネもヘアゴムもしていなかった。相当目が悪いのか、こちらが誰なのか分からないようだった。そう、ユタは相当目が悪い。だからメガネのレンズがすごく分厚くて、本当はその目がすごく大きいことに、私は気が付かなかったのだ。メガネをかけていないユタは、濡れた金髪も相まって、ちょっと怖いくらい綺麗だった。
うわあ、とんでもねえ美人だ、とこちらが動揺している間に、ユタが、私が誰であるかを認識した。こっちにおいで、と手をちょいちょいするので行ってみれば、彼女の指さす窓の先には、
何もなかった。
ただいつもの草木が、雨風に揺れているだけだった。彼女はゆっくり、「雨が降ってる~」と言った。そりゃそうだろう。雨が降ってなきゃ、あんたそんなに濡れなかっただろう。それも数時間は前から降り続けている雨を、その雨に濡れた顔で、彼女はまるで今気が付いたかのように言った。
こちらの目を覗き込むように見て、彼女は「んふ、」と笑った。その距離感がおかしかったのは、彼女の視力のせいか、ヨーロッパ文化のせいか、それとも、この女の魔性か。少なくとも、メガネをかけていない自分が相当美しいのだという自覚はあるように見えた。だから普段は、目立たないようにメガネをかけているのではないか、とさえ思えた。
ちょっと普通の人ではない、と思った。それを知ってか知らずか、彼女から声をかけられる機会は、この日から各段に増えた。
マキマさん助けて
サイクロンによる停電が続いた日、ユタは私のモバイルバッテリーを借りに来た。バッテリーごと持っていけばいいのに、わざわざスマホを私の部屋に置いて「30分後にまた来る~」と言って去った。スマホの画面はバキバキに割れていた。普通に文字を読むのが難しいレベルに画面が粉砕されていた。私はスマホの画面をバキバキに割れたままにしている女が好きだ。
そして、当然30分後には来ず、二時間ほどしてから戻ってきた。その時も何故かビショビショに濡れていて「んふ、雨降ってた」と笑った。雨だから停電してるんだろうが。あと、その笑うときわざわざ私の目線までかがむのは何なんだ。目が悪いからか。
サイクロンが終わって二日後の晴れた日、事務手続きをしに行く途中で、自転車に乗ったユタにばったり会った。なぜかビショビショに濡れていた。今日は一日中晴れていたはずだが?
私に軽く挨拶をすると、徒歩の私を置いて、彼女はさっそうと自転車で先に行ったのだが、その先にはサイクロンの名残である大きな水たまりがあった。こちらの水たまりは「長靴を履けばなんとか」などという、かわいらしいものではなく、日本人女性の平均身長である私が入れば、太ももまで浸かるほどの深さがある。
ユタは迂回して戻ってくるだろうと思った。水たまりというよりは小さな池になっている道を、ユタは自転車を立ちこぎして、大きな水しぶきをあげながら直進した。別に、ほかに道がないわけではなかった。さして回り道にもならない。それでも彼女は平然と、ただ坂道を進むように、自転車のまま池を渡った。
結局、その先は通行止めになっていて、また水しぶきをあげながらニコニコ戻ってきた。一日中晴れていたのに全身ビショビショだったのは、そんなことを繰り返していたからなのだろう。
結局いっしょに歩きながら帰ることになった。彼女が背負っている、私がリュックだと思っていたものは、よく見たら紐をくくりつけただけの水筒一本だった。ほかのものはいらないので、水筒に自分で紐をつけたらしかった。だとしても、ふつう肩掛けとかにしないか。背中に水筒一本を背負うって、どういう発想なんだ。
もうダメだ。降参だ。インドにいる間、私はこの変な女に振り回される運命なのだ。
マキマさん助けて。オレこの娘すきになっちまう。
ユタの金髪が、インドの泥水に反射して光っている。この国は、どうしてこうも、茶色いものが多いのか。
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