タバコを吸ってないと路地裏でかっこよく死ねないから困る

 私は喫煙者ではない。別に吸いたいとも思わないし、今後吸う予定もない。周りにタバコを吸っている人間がいるわけでもなければ、保健体育の授業で「ちゃんと断ろうね」と紹介されているような先輩からの強要を受けているわけでもない。健康などへの悪影響を考えても、昨今の喫煙者への風当たりの強さを見ても、今後わざわざ喫煙の習慣をつけることで得られるメリットは、ほぼ無いものと思われる。

 ただ、私はタバコを吸っていないことに対して、1つだけあまりにも大きなデメリットを自覚しており、それによって将来とても強い後悔をするのではないかという不安を抱えている。

 そのデメリットとは、裏社会の人間として路地裏で孤独に死ぬはめになったとき、「そこの兄ちゃん、火、持ってないか?」ができないことである。

そこの兄ちゃん、火、持ってないか

 アウトローの死に場所は、路地裏のゴミ捨て場と相場が決まっている。心の奥底にほんの少し残っていた善意によって、らしくないミスをし、そのミスが命取りとなって致命傷を負う。

 アウトローは孤独に死ぬものだ。悪事に手を染めた者が、まともな場所で死ねるはずがなく、大切な人の顔を最期に見られるわけもない。そこにあるのは積み上げた罪と、失敗と孤独と死のみ、そんな輩には路地裏のゴミ捨て場がお似合いである。

 己の最期を悟り、誰も看取ってはくれまいと薄笑いを浮かべ、じゃあせめて一服でもしようかとポケットに手をのばせば、普段入っているはずのライターはどこかに落としてしまったようで、湿気たタバコが1本だけ。

 ああ、今日は本当についてない。

 あきらめようとした矢先に、路地裏を横切る若者の姿が目に入るのである。見るからに健康的な好青年、きっとこれから楽しい将来ばかりが待っていて、間違っても自分のような生き方はしないであろう相手。タバコなんて吸わないだろうと思いつつ、最後だからと柄にもなく声をかけてみる。

 「そこの兄ちゃん、火、持ってないか」

 すると青年は、警戒しながらもライターを差し出す。なんだ、こんなさわやかな顔でライターを持っていやがる。今の若者は怖いねと笑いながら、湿気たタバコに火をつける。

 そして、誰にも話したことのない、話すつもりのなかった過去を、ただ通りすがった青年に、静かに語る。なんだ、孤独は楽だと言いながら、結局俺も誰かに話を聞いてほしかったんだな、なんて、不思議そうな青年の顔を横目にとらえつつ、遅すぎる本当の気持ちへの自覚をおぼえる。

 タバコは湿気ていて、まずい。これが最後の1本になるとは。

 「ああ、本当に、ついてないな」
 「火、つきませんでしたか」

 青年の声に返事は来ない。白煙が路地裏の薄暗い壁をつたい、ふわふわと空に向かってのぼるのみ。まるでその男の魂のような煙は、通りすがりの青年に見送られ、誰に知られることもなく消えてゆく。

絶対にむせたくない

 人生は何が起こるか分からないので、当然、私がアウトローとして路地裏で孤独に死ぬ可能性も充分にあるわけだ。

 その局面でタバコを持っていかなったら、私は死ぬほど後悔するんじゃないか。タバコも持っていないのに、路地裏を通りかかる青年に声をかける手段なんて存在しなくないか。万が一、タバコを持っていたとして、青年に火をくれと言えたとして、そんな場面で煙を吸ってむせたら、かっこ悪すぎて死んでも死にきれない。

 路地裏で死ぬ日はおそらく突然やってくるので、常に準備が必要である。防災グッズと同じである。よって常にタバコを携帯し、むせない状態にしておく必要がある。タバコでむせないためには日常的な喫煙習慣が重要だが、冒頭で述べたとおり「路地裏でかっこよく死ねる」というメリット以外、タバコは百害あって一利なしである。かっこよく死ねるから一利はあるのか? とにかく死ぬとき以外あんまり役に立たない。ひと場面にかかるコストが大きすぎる。毎日吸うとベンツ買えるらしいし。

 かといってタバコ以外で、日常的に携帯することが簡単で、火が必要で、なおかつ最期にふさわしい風情のあるものが思いつかない。シーシャ自体はかっこいいが、路地裏でシーシャ吸ってたら何だか恰好がつかない。ココアシガレットはフォルムと箱だけならカンペキなのだが、火がいらないので青年に声がかけられない。本当に困った。


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