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むすこに花束を。

お久しぶりです。Kakaです。
なかなか言葉にできず、少し時間が空いてしまいました。

今でも夢なのか?と思うこともありますが、前回の投稿の数日後に、むすこがお空に旅立っていきました。

葬儀を終えて2週間以上経ち、少しだけ心が落ち着いてきたので気持ちの整理も込めて書き残します。

旅立ちと、突如やってきた悲しみ

全く心の準備ができていない中、むすこは行ってしまいました。

亡くなる前日はいつもの病院に通院し、先生方の診察を受け、少しでも症状が和らぐようにと薬の調整をしてもらいました。

お家に帰ってきてからは、大好きなものを飲み・食べ、リハビリの先生のマッサージを受けて、温かいお風呂に入り、ぐっすりと眠っていたむすこ。きっと連日、長時間眠れていなかったので疲れが溜まっていたのだと思います。

朝を迎えた時、息をしていないむすこがそこにいました。

顔を見て、一瞬でやばいことが起こっていると思いました。そして信じたくない気持ちと、なんとかしなければという思いで大急ぎで各方面に連絡をしました。

心臓マッサージをしている夫、救急隊の方々の到着を目の前に、正直何が起こっているのかわかっていない自分がいました。頼むから戻ってきてくれと心の底から思っていました。

主治医の先生からの電話で、現実に引き戻されました。
既に心拍も呼吸もないという事実と、病院に搬送して蘇生行為を行うか、家で最期過ごすか決める必要があると言われました。

わたしたちは少し考え、むすこを家で看取ることに決めました。
病院に連れていき処置をしても、息子は戻らない可能性が大きいことと、処置自体、痛くて本人の負担が大きくなるだろうと考えたためです。

この日の朝のことは、思い出すと苦しくて涙が止まりません。

まだ温かいむすこを救いたい気持ち。痛い思いをさせたくない気持ち。どうして夜中に起きて確認しなかったんだろう?と自分を責める気持ち。いなくなってしまったという現実を突きつけられる悲しさ。

悲しくてどうにかなってしまいそうな朝でした。

葬儀までの6日間での変化と気付き

むすこが亡くなってから葬儀まで、お世話になった方々やたくさんの友人が家を訪れてくれました。
悲しくてどうにかなってしまいそうだったあの朝から、この6日間を通して色々な人と会い、少し気持ちの変化がありました。

来てくれた人達と過ごす時間は、悲しいけれど、温かい時間でした。

かわるがわる色々な人が来てくれて、一緒に過ごした思い出を鮮明に思い出す事ができました。存分に泣いて、思い出で笑いました。そこに息子がいてみんなで話しているような、いつもの時間がありました。

たくさんのお花や大好きだったお菓子、飲み物。
むすこが読んだら大笑いするであろう絵本から、優しくて泣けてしまう絵本、ブロックのおもちゃ、ぬいぐるみ、手作りのアルバム・・。本当にたくさんの心のこもったプレゼントを頂きました。

葬儀までの6日間を通して気づいた事があります。

一つ目は、人の持つ寄り添いの力は、とっても大きいということです。
気の利いた言葉よりも、ただそこで話を聞いてくれて、一緒に思い出話をすることで癒され、穏やかな気持ちになれること。

子どもが病気になること、亡くなってしまうことは、本当に悲しくて辛いことです。
でも、息子と過ごした日常には楽しさと幸せがいっぱいありました。色々な気持ちをそのまま受け取ってくれる人たちが近くにいてくれるというのはありがたく、本当に癒しの力があります。

二つ目は、子どもや家族の意思を尊重して、一緒に取り組んでくださる力強い方々が身近に多くいるということです。
主治医の先生は、保育園まで足を運んでむすこの様子を見てくださったり、私たち親が悩む時はじっくり話を聞いてくれたりと、いつも誠実に、真摯に向き合ってくれました。
保育園の先生は毎月面談をして頂き、園での様子を伝えていただいたり心配事をどう解消するか一緒に話してくれました。
作業療法士さんは、むすこの日常生活を支えてくれました。再発してからはトイレ、姿勢、移動、コミュニケーション・・など、本当に幅広くの困ったことを手伝ってくださいました。

私たち親の立場からすると、自分の命以上に、むすこの命(時間)には本気でした。何があっても諦めたくありませんでした。
むすこが望むこと、むすこの辛いことを最小限にすることは全部やろうと思って動いていました。それらを受け止めて、支えてくださった人たちが多くいました。本当に頭が上がりません。
むすこにいただいたご縁は宝です。そして、私自身、何か返せるような人間になりたいと心の底から思っています。

三つ目は、命(=自分の時間)の使い方です。過去や未来にタイムスリップしたり、病気のことばかり考えて今日を過ごすのではなく、今この瞬間を、今日という1日をどう過ごすかが大事だと教わりました。

「時間は命のかけら」だと息子に教えてもらったと、信頼する人に言われ、その言葉をずっと胸の中においています。
改めて、今この瞬間を大切に、出会う人たちを大切にして生きていこうと心の底から思っています。

むすこに花束を贈りたい

むすこには、本当に本当にたくさんのことを教えてもらいました。

むすこは、大嫌いだった注射も、入院も、毎朝晩薬を飲むことも、本当に本当によくがんばりました。

きっと今は、動かしづらかった体から解放されて、お友達とお空でたくさん走り回ったり、お菓子パーティしているはずです。きっと別の世界で成長していくんだと思います。

むすこ。私たちと出会ってくれて本当にありがとう。私を母にしてくれてありがとうよ。

たくさんのことを教えてくれてありがとう。
一緒に過ごせた日々は、かけがえのない時間で幸せでしかなかったし、一生の宝物だよ。本当にありがとうね。ずっと大好きです。

本当にありがとうっていう気持ちと、頑張ったね、お疲れさまの意味を込めて、これからも大きな花束を贈り続けるよ。

人の一生って短いらしいから、またすぐ会えると思うけど、また会えるその日まで、命をしっかりと使っていくね。

葬儀を終えた今

葬儀を終えて2週間が経ちました。
いきなりやってくる悲しい波に溺れそうになる時もあれば、何も考えられなくなる時や、いつも通りな時、穏やかな時もあったりと、さまざまな感情と一緒に過ごしています。

今は、ただゆっくりと時間を過ごし、自分の感じるままに過ごしています。

先日、たまたま作家の鴻上尚史さんのweb記事を見ました。記事自体はお子さんを小児がんで亡くされた父親の方が、死の意味について相談されている内容でした。

鴻上さんは、「死というのは、不合理なもの」とおっしゃっていました。
死というものは不合理だから、皆、自分なりに意味づけ(解釈)をしているものだと。

大往生という死を前向きに捉える言葉もあるし、失敗したって死なないんだから、と死を最悪なものとして見ることもある。

だから、死の意味は自由なのだとありました。確かにそうかもしれません。

私には、むすこの死の意味はわかりません。意味をつけようとも今は思わないし、ずっとわからないままかもしれないな。

今はそれと向き合うこともしないし、前を向こうたも、立ち直ろうとも思いません。
ただ、湧き出る気持ちと一緒に居続けようと思います。

きっとそういうふうに過ごしていたら、また何か始めたくなるんだと思います。

心のままに、毎日を大事に過ごします。
今日もお疲れ様、今日もありがとう!



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まだ整理しきれない気持ちを、ただ書き記す形になりました。ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

今日も一日お疲れ様です。明日も素晴らしい一日になりますように!

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