Voicyを聴いて思い起こした息子が熱中症になった時のこと
私がVoicyを聴くようになったのは、それまでブログやツイッターで追いかけていたちきりんさんが放送していると知ったのがきっかけだ。
そのちきりんさんが少し前にプレミアムで放送していたのは、NHKの番組でやっていた身元不明のまま行政の判断で火葬にされている方が昨年だけでも1万2千人もいるという話だった。(年間の死者150万人のうち1万2千人もいるということ!!)私はその番組は見ておらず、その内容自体も驚きだったのだが、そこから彼女が言及したのは、「勝手に火葬されてしまうのは、身寄りのない高齢者だけではない」ということだった。
今は近くのコンビニに行くくらいなら、スマホ1つしか持っていかないなんてことは珍しくない。スマホがあれば連絡はもちろん、買い物もできるし電車だって乗れる。
そうした状況下で、若い人は体調を崩して倒れるような心配はないかもしれないけれど、たとえば高齢者の運転する車に突っ込まれて意識不明で搬送される、なんてことは十分考えられる。
小中学生とかなら制服とか学区で学校に問い合わせれば、たいてい身元はすぐにわかる。でも、大学生とか社会人になると、今は学生証も名刺もデジタルになっていることが多く、名前や連絡先はわからないかもしれない。スマホがあっても、本人の意識がなければ簡単には解除できなくて身元がすぐにはわからない。事故にあった時にスマホが飛ばされていたりしたら、一緒に救急車に乗せて運んでもらえないかもしれない。
ここから、ちきりんさんが言われていたのは、そういうことも想定して、スマホ以外に本人の身元や連絡先がわかる工夫をしておくべき、自分は数年前からそうしている、ということだった。
なるほどなあ・・・と納得しつつ、もう10年近く前のできごと、息子3号が熱中症で救急搬送された時のことを思い出した。
息子3号が大学に入学した年の夏のこと。
その日は日曜日だったので、隣県で下宿をしていた大学生の息子のところに差し入れでも持っていこうかと、朝から連絡していた。
LINEのやりとりで、その日の午前中は地元の高校生たち(サッカー部)が大学に見学に来るというのでその案内を頼まれていること、午後からは彼らも交えて部活をすることを聞いた。なので、午後遅くに訪ねることにしていた。
そろそろ行こうか、もう少し後でいいかと思いながら、昼過ぎに様子をたずねるLINEを送った。するとすぐにLINEで電話がかかってきた。
もう終わったのかな?早いな・・・と思いながら電話に出た。
「どしたん?もう済んだん?」
「もしもし・・・あの・・・」
なんだか声が違う。
「もしもし?」
「3号君のお母さんですか?」
「はい・・・?」
「サッカー部の××です。実は、3号くんが熱中症で搬送されて今病院にいます。」
「え?」
「お母さん、もうこちらに来られていますか?」
「いえ、まだ家にいます」
「あの・・・Dr.が保護者の方と話をしたいと言われていて・・・」
そこからは、その先輩の携帯番号を聞いてそちらでやりとりをした。
Dr.と電話がつながると、心臓や腎臓などの既往歴はないか、これまでに熱中症の経験はないか、など聞かれた。
3号は、小学校に入る前から2人の兄と一緒にサッカーをしていて、真夏も真冬も一日外で走り回っていた。他の子どもたちが熱中症になったりしたときも至って元気でまったくそんな経験はなかったので、正直驚いた。
持病も既往歴もないことをDr.に伝え、これから向かいますと答えて電話を切った。
命の危険があるとまでは思わなかったので、もたもた準備をして家を出るまでには数十分かかっただろうか。
実はこのときそばにいた夫は、私の報告を聞いてもまったく問題と思わなかったらしく、出かける用意もせずに「俺は今晩飲み会があるから」とのたまった。
「はあ?行かんの?死ぬかもしれんよ!!」と𠮟りつけ、飲み会をキャンセルさせて連れて行った。
3号が運ばれた医療センター(幸い大学のグランドから近かった)までは車で1時間半くらい。
もうすぐ着くというところで、先ほどの先輩から「まだですか?」と電話が入った。Dr.が治療内容について確認を求めているらしかった。
ICUの控室には、サッカー部の先輩たちが4~5人座っていた。キャプテンはじめ4年生の数名とコーチをされているという大学院生の方などが来てくださっていて、状況など説明してくれた。
本人はICUにいて、すでに緊急の処置は終わっていた。といっても、生理食塩水の点滴をしているだけだったが。
Dr.によると、かなり腎機能がダメージを受けているとのことで、若いからまず大丈夫だと思うが高齢者だったらこのまま一生人工透析をしなければならなくなるような状態であったと説明された。
ICUに行ってみると、意識は戻っていてうっすら目を開けた。少しは話もできたのでちょっとほっとした。
病院にいた先輩たちに聞いた話によると、その時していた練習試合で、後半の残り5分くらいで3号の動きが怪しくなったそうだ。3号ちょっとおかしいな?と思ったけれど、走ってプレーしていたし、もうすぐ終わるからそのままにしたそうだ。
試合が終わって、ごく普通に引き上げ、グランドそばの木陰でミーティングを始めたら、突然3号が離れたところにいって嘔吐をしたとのこと。そのあと倒れ、意識がなくなったので、救急車を呼んでくれたそうだ。
救急車に同乗してくれたキャプテンによると、救急車の中で一度意識が戻って少し話をしたが、すぐにまた意識を失ったとのことだった。
病院について(おそらく連絡先がわからず困っていたところに)、ちょうど私から送ったLINEで、その先輩が電話をかけてきてくださったのだった。
すぐに救急車を呼んでくださったこと、救急車が来るまでの間も適切な処置をして待っていてくださったこと、チームメイトや先輩に恵まれていたことをどんなに感謝したことか。
先輩たちにお礼を言って見送り、控室で待っていると、先輩から渡された本人のスマホに、たくさんの友達から「大丈夫か?」という内容のメッセージが次々と来た。とにかく誰か一人にでも連絡して心配ないことを伝えたかったので、本人のところに行って友達の連絡先を教えてもらった。(話ができて、ずいぶん嫌がられたがf;^^)前期試験の最中で本人が翌日の試験が受けられないことを気にしていたので、その友達を通じて欠席を伝えてもらうことと、朝一番で私が大学に手続きをすることを約束して、ICUを後にした。
友達に連絡を済ませ、先輩から渡された荷物を持って3号の下宿に行った。
洗濯をしようとバッグをひっくり返すと、中から、汗と吐物でドロドロに汚れた服、びしょぬれのタオル、おにぎりが二つ、そして山ほどの保冷剤が出てきた。
ああ、救急車が来るまでの間、これで身体を冷やしてくれていたんだ・・・そう思うと、チームメイトたちの顔が浮かんできて、彼らのおかげで助かったと感謝の気持ちでいっぱいになった。みんな、ほんとにありがとう!!
その日は、3号の下宿に泊まった。
(夫は夜遅くにJRの駅まで送っておいた)
翌朝、ICUに行くと身体を起こして朝ごはんを食べていた!!
昨日のぐったりがうそのように、いつも通りもりもり食べていた。
「ごはん大となっとるけど、これじゃぜんぜん足りん!!」
「これ、あんたが 大盛りとお願いしたん?」
「いや、何も聞かれてない。オレ、寝とったし。」
さすが、スタッフさん、わかってらっしゃる(笑)
ちなみに、このとき3号の顔はパンパンにむくんでいた。
運ばれてからずっと点滴をされていて、でも一切オシッコが出ていなかったからだ。
しばらくするとDr.が来られた。
「もう少ししたら、オシッコが出ると思います。そうしたらもう大丈夫です。ただなかなか出ないようだったら、一度だけ透析をさせてください。
心配しなくても、以後ずっとしないといけないというわけではないので。」
という説明を受けた。
本人はまったく尿意がないそうだった。
そして体重を量って「8kgも増えとる!?」とびっくりして帰ってきた。
昨日から8リットル点滴をしたそうなので、8kg増えてるなら計算が合うわけだ。
透析せんといけんのかな?など話していたら、「出るかも。トイレ行ってみる」と出て行った。(普通に動ける笑)
「ちょっと出た」と言って戻ってくると、Dr.から「もう大丈夫でしょう。あとは出ますよ」と言われ、透析はしなくてもよいことになった。やれやれ。
私はそのあと大学に諸手続きに行ったのだが、後から聞いたところによると、30分おきくらいにトイレに行って、そのたびに、どんだけ出るん?というくらいオシッコが出たそうだ。
そしてその日のうちに、あれほどむくんでいた顔はすっきりしたのだった。
当日のことについて、本人といろいろ話した。
先輩たちが「ラスト5分の様子がおかしかった」と言っていたことを伝えたところ、本人は後半の記憶はまったくない、と言った。倒れた時のことは、吐いたことは覚えているが、あとはよくわからないそう。
肝心の当日の行動。
この頃彼は 24時間営業の「す〇家」でバイトをしていて、しかも時給のいい深夜帯のシフトに入っていた。この日も朝方まで仕事をしていて、たぶんほとんど寝ていなかった。おそらく朝ごはんもろくに食べず、後輩の案内とやらに行ったようだ。
カバンの中から出てきたおにぎり2個について尋ねると、昼に食べようと買っておいたが、みんなを案内して部活に行ったら思ったより遅くなって、すぐにゲームが始まり、(自分の後輩たちとのゲームなので)出るように言われてそのままプレーしていたそうだ。
つまり、「寝不足」「ごはん抜き」「猛暑」という最悪の状況でのサッカー。そりゃあ倒れるよね。
周りの人たちが適切な対応をしてくれ、大きな救急病院が近かったのは不幸中の幸い。場合によっては、命を落としたり、後遺症が残ったりしていたかもしれない。
本人もそのことは身に染みてわかっていたようだ。
あれほど健康で体力もある3号がこんなことになったことは、私にとって貴重な(という言葉は相応しくないかもしれないけれど)経験だった。その後、折に触れ、いろんなところで熱中症の怖さを伝えてきたつもりだ。
今、教職についている3号にも、自分の経験を忘れず行事の計画などをすること、子どもたちにも伝えていくようにと話している。
さて、本論に戻ろう。
このとき、3号の周りには彼のことを知っている人が何十人もいたわけだが、万が一のときに家族に連絡がとれるかというと、それは難しかった。たまたま私が送ったLINEでつながることができたから、比較的早く連絡がついたけれど、それがなければ、同級生のチームメイトが友人づてなどで私や夫の連絡先を探ってくれたのだろうか。日曜でなければ、大学には緊急連絡先があったのかも。
命を落とすようなことがあれば、警察が連絡してくれるのだろうが、本当に急を要するのはその前だ。
万一のときに、いつでも(手ぶらでも)緊急連絡先がわかるようにするには、どうしておくのが正解か、まだわからずにいる。
あなたはどういう備えをしていますか?
おまけ)病院にかけつけ、対応してくださっていた先輩たちにお礼を言い、いろいろ話をしていたら、中の一人が苦笑しながら「お母さん、よ~しゃべられますねf;^^) 3号そっくり」。応じてすると別の先輩が「いや、それを言うなら3号がお母さんに似とんじゃろ」。
というやりとりがあったことをここに書き添えます!てへ😓
おしまい。