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人って何度も絶望を経験しながらレベルアップするのもなんだろう

【このnoteは2024年7月22日に投稿したものを推敲し投稿しています。】

誕生日って、「去年の誕生日から昨日まで、絶望に落ちた回数を数えるものじゃないか」と思い始めました。

本日7月22日、無事に32歳になりました。昨日、ひっそりとペンネームに苗字をつけました。
(2024年10月から梶山紗唯に変更しました)

去年の誕生日に、石井ゆかりさんの占いに書かれていたことが現実となりましたが、毎日少しずつ明るく過ごせています。

今年の3月に、「このまま治療をしないなら、予後は半年から1年程度です」と淡々と主治医に言われてから、約9ヶ月が経ちました。あのとき「治療を受けよう」と決意しなければ、私はここにいません。このnoteを書いていません。何度も「根治させるから」と言ってくれた主治医には感謝しています。何度も同じことを言わせてしまってごめんなさい、と思うこともありますが、根気よく向き合ってくれて本当にありがとう。

ただ、がんになって「入院生活」という名目で旦那と離れる時間が増えた分、幻滅することも多くありました。周りの人への幻滅、自分の人生への絶望も重なり、今日は離婚届を印刷してきました。
(下書き用にね、提出分は後日貰ってきました)

モノを失うのは人生では当たり前のことですが、バツイチという事実を親戚に8年も隠し続けてきました。私ががんになったことをきっかけに「親戚に話そう」と決意しましたが、今更感は否めません。戸籍についても、前の奥さんと同じ戸籍は嫌だからと転籍を何度も提案したのに、なかなか実行してくれません。高級ブランドのバッグを買うより簡単なはずなのに……。

「紗唯は騙されているんだよ」と友達に指摘されてから心が冷めました。幻滅し、「この人に何を言っても無駄なんだ」と絶望もしました。でも、人は何度も何度も絶望に落ちながら大人になって、大人になっても絶望と向き合いながら生きていくしかないのだろうと思うのです。

「この治療で根治させるから」と言われていたのに、追加の治療が必要になりました。それでも、生きるためには絶望を受け入れるしかありません。だから、私は治療を受けます。自分の見たい景色を見るために、生きていきます。

きっと来年の誕生日には「苗字が変わりました」という報告ができると思っています。それでも、今日から来年までの1年間に、何度も絶望することがあるでしょう。それが生きるということであり、歳を重ねるということなのだと私は思います。

誕生日は、人生の一つの区切りになると私は思います。来年の私は、どんな私になっているのでしょう。もしかしたら、本の出版に追われる日々を送っているかもしれないし、連載の準備で忙しくしているかもしれない。あるいは、大学院の受験準備で毎日勉強をしているかもしれません。

生きている限り、何でも叶うのです。今望んでいることは、未来の私が手に入れているから諦めさせてくれないのだ――と誰かが言っていました。そんなニュアンスの言葉を目にして、私は深く納得しました。

それでも、何度も絶望を経験しながら、願いを叶えていくのだろうと思うのです。
だって、「いまの望みは、それを叶えた未来の私からのメッセージ」なのだから。

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梶山 紗唯∣エッセイスト
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梶山 紗唯∣願望実現メール専門カウンセラー
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