いいね!マウントをしてくる友人に辟易としている
こんにちは。かじやです。
気付けば3年ぶりのnote更新となります📝
さて、筆者には月1回以上遊ぶ友達がいる。
ありがたい事にお互い30超えても学生時代と変わらず付き合いが出来ていてそれはとても喜ばしい事なのだが、
最近その友人が会う度にインスタのいいね!に囚われてるのか、いいね!数や誰からいいね!が来たとかをひけらかしてマウントを取ろうとしてくるのに辟易としている。
例えばお互い出かけた時にインスタでその場所のストーリーをあげたとしたら、
友人「俺の昨日あげたストーリーのいいねは3件だけど、かじやは?」
筆者「一応7件来ているけど。」
友人「ふーん。まぁフォロワー数も倍以上違う(筆者の方が10倍多い)し、そっちは動画だからそれで7件ってのはね。」
筆者「(失笑)」
といった具合である。
自分からいいね!数バトルを仕掛けておいて負けたら「やれフォロワー数が~」「やれ動画の方がいいね!数が~」と言い出すのは10年来の友人と言えどもハッキリ言ってダサい。
そもそもそんなモノで他人と比べて勝負したいなんて思う方がどうかしている。
何となく筆者が辟易とする感じが伝わっただろうか。
こんな事もあった。
その友人含めて皆で飲んでいる時にやはりインスタの話になって、件の友人がもう1人の友人(分かりにくいのでH君とする)にいいね!数マウントを取っていた。
友人「俺のこの前あそこに行ったってストーリーいいね!数8件ついたけど、H君も同じ場所のストーリーあげていいね!数1件だった(笑) しかもフォロワーも全然H君の方が多いのに…(笑)」
H君「(半笑い)」
友人「そういえばこの前〇〇さん(共通の知り合いでまぁまぁなインフルエンサーの人)からいいね貰ったけど、筆者は〇〇さんから貰った事ある?」
筆者「(本当にあるから)あるよ。」
友人「あ、はい。」
こうやってこの部分だけ切り取って文字に起こすと友人すごいイヤな奴みたいだな(笑)
実際は全然こんなイヤな奴ではないとは彼の名誉のためにフォローしておく。
しかし、流石にいいね!数マウントや誰々からのいいね!自慢をしようとしてくる姿勢が寒かったので筆者も言わせてもらった。
筆者「いいね!数や他人からのいいね!で自慢し出したら末期だぞ。」
残念ながらこの言葉はあまり彼には響かなかったのか、その翌週会った時もいいね!マウントは辞めなかったどころか酷くなっていた。
彼の中で今インスタのいいね!が割と大きなウェイトを占めているのかもしれないので、自然といいね!ブームが収まるのを待つしかないだろうか。
ちなみにこれだけ自分のSNSのいいね!に囚われているくせに他人のSNSに対するいいね!には割と無頓着だったりする(笑)
一緒に何処か行って彼をタグ付けした筆者の投稿ぐらいはいいね!して欲しいとは正直思うが、まぁそんな事を押し付けるのは筋違いだし個人の自由だ。
ただ、この友人が筆者の目の前で筆者のストーリーをあえて開いてわざわざ見せつけるようにいいね!を押さないアピールをしてきた時は少しムカついた。
冗談かネタのつもりかもしれないが、ハッキリ言って面白くないし「お前ごときのいいね!にそこまで価値があるとでも?」と性格悪い事を思ってしまった。
それをされた時に面白くない旨は伝えたが、少しは伝わっていてもうやらないでくれていれば幸いである。
ここからは筆者の考えを記していきたい⇩
そもそも筆者はいいね!というモノに対してそこまで執着していない。
SNSで言う所のいいね!は本当にいいね!と思って押す場合(筆者は割とこれに近い)もあれば、見たよ!と既読感覚で押す人もいれば自分のいいね!欲しさに返報性の心理を使っていいね!する人もいると思う。
とは言え、筆者も普段より気合い入れた投稿がいつもよりいいね!数が少ないと少しガッカリしたり、意図せずしていいね!数が多くつくと嬉しくなったりはする。
そんな風にいいね!数で一喜一憂する事はある。
筆者だって人間なのだから・・・!
だが、筆者は友人のようにいいね!でマウントを取る事は過去にもなかったし今後も99.9%しないと誓える。
何故ならばSNS上の他人からのいいね!はインフルエンサーとかでもない限り空虚だと思っているからだ。
(真剣にSNSでいいね!を求めている人がいたらそれはごめんなさい🙇)
いいね!が付いたからって心の底からいいね!と思っているかは分からないし、そういうSNS上でのいいね!よりも実際にリアルの生身の人間からの声に耳を傾けた方が100倍有意義だ。
思えばこの友人、割と自分に自信がない言動が垣間見えて時々卑屈になったり自分が有利な分野になると急に得意げになってマウントを取ったりする節が昔からあった。
これは勝手な想像の話になってしまうが普段の仕事や生活で他者から承認される機会が少ないからついつい手軽なモノで承認欲求を得ようとしているのだと思う。
筆者もその気持ち自体は分からなくはないが、そういう手頃な所だけで自己承認欲求を求めだすと人としてレベルが低くなるのではなかろうか。
所詮はたかがいいね!である。
色々と思う所あって友人のいいね!マウントの話で長々と書いたが、結論は他人のいいね!よりも自分の心の中のいいね!を大事にするべきだと筆者は思う。
きっとその方が心豊かな人生を送れるのではないだろうか。