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或る銘菓

 素朴な造りの店内に入り、俺は誰とも目を合わせぬままカウンターについてH2CO3を注文した。この宇宙では水、まして炭酸水を提供してくれるバーはそう多くない。マスターの触手が目の前に泡立つコップを置く。彼は半年前に店に来た俺の正体を何も聞かず注文を受け付けてくれた、ありがたい存在だ。人類が全宇宙で指名手配されている、この現状では…。
 ここは宇宙の生命体が集う小さなバーだ。極小の惑星を一個まるごと利用して建てられた店は隠れた穴場であり、今日も様々な容姿、文化、体組成の奴らがひしめき合っている。比較的人類に近い姿のマスターが一人で客をもてなしているのだが、彼の寛容さに惹かれてか実に色々なタイプの客が出入りして、流れが絶えない。人類の生き残りである俺も、ここでは比較的安全だ。
 俺が生まれて間もない頃、人類は星の運用を怠ったという理由で宇宙裁判所から有罪判決を食らい、地球の半分ほどの面積と共にほとんどが滅ぼされた。生き残ったわずかな人間は宇宙へ散り散りに逃げたものの、数年にわたる殲滅作戦でずいぶん数を減らした。
 しかし十数年を経た現在では攻撃にそこまでの熾烈さはなく、それなりに身を隠していれば問題なく暮らせる。俺自身も出自や素性を誤魔化しながら慎重に、細々と生きていた。決して裕福ではない暮らしでも、打ち込める楽しみがあればなんとなくやっていけるものだ。俺の場合はグルメ、つまり「宇宙に散らばる旨いものを発掘する」ことだろう。と言っても決して美食家ではなく、得体の知れない俺のような存在にも手に入れられるようなゲテモノばかりだけれど。
 
 さて、俺はカウンターに向かったまま、後ろの席からかすかに聞こえた「地球」という言葉に耳をすます。母星の情報は貴重だ。地球の記憶が無い俺にはよくわからないが、当時命からがら逃げてきた先人たちは地球の情報をひどく欲しがる。今回の情報も高い値がつくだろうとつい期待する。
 「地球のそばに月という小さい惑星があるらしい。今度ちょっと遊びに行くつもりでさ、派手なテーマパークとかいうような見どころは無いんだけれど」ゲル状の身体の異星人だろうか、ねちゃりと体の一部が音を立てる。
「惑星?その辺りの星ってもう寂れてるんじゃないの。あんな場所、誰も住んでいないみたいだし」木星系の訛りが強い異星人がそう応える。
「少なくとも栄えてはいないだろうな、不便なところだし。ただ月では美味な食材が採れるらしい。地球の現地語で『ウサギ』とか呼ばれていて、月で養殖してるって話だ」
 俺は一層耳をそばだてる。故郷の星由来の珍味。情報屋としての思考から一転、俺の脳は趣味人としての思考に切り替わった。だが瞬時、俺はマスターの視線が素早く動くのも目撃してしまう。噂話をしている客に一瞬、彼は鋭く目を向けた。月で採れる食材というのは、思ったより危険でいわくつきの存在なのかもしれない。
 
  更なる情報を集めるべく、はやる気持ちで支払いを済ませ足早に店を出る。出口の戸を押したその瞬間、鉢合わせるように宇宙警察の一隊が立ちはだかった。人類討伐隊だ、素性がバレたのかと咄嗟に判断した俺は、目の前の警官の一人を突き飛ばす。しかし店の外は既に二十人ほどの警官たちが待機していたようだ。彼らは一瞬戸惑ったような仕草をしたものの、速やかに俺を取り押さえた。色々な感触の腕が一様に、俺の身体を地面に押し付ける。バーの客は宇宙警察の登場にどやどやと出て行ってしまった。きっと後ろ暗い事情がある奴らばかりなのだろう。
 マスターが俺をかばって、警官隊を制止しようと駆け寄る姿が視界の端に見えた。罪なき彼を巻き込んではいけない。俺は力ずくで捕らえられた腕を引き抜き、ポケットから目くらましの閃光弾を取り出し、適切な角度で投げつけた、はずだった。
 素性を隠して生きてきたので当然だが、正式な投擲の訓練なんて受けたことがない。そんな俺が投げた閃光弾は、運悪くバーの建っている方向へすっ飛んでいった。その場にいた全員が閃光弾の軌道を目で追う。カツンと、おそらく店の屋根に当たったであろう音が不気味に響く。思わずマスターの表情を横目で見ると、なぜか彼は隙を窺うように周囲を観察していた。俺の頭には違和感がちらついたが、それ以上深く考えることもできなかった。
 目の前が真っ白に発光し、想定した以上の爆発音が鳴り響く。そしてその時ほんのわずか、俺を取り押さえていた腕たちは油断で緩んだ。俺は思い切り地面を蹴り空中に飛び込むようにして、包囲網を力まかせに脱出した。
 付近に停められていた警官の小型航行車に乗り込む。気づくと車内には先客がいた。
「助かりました。発進しましょう」こんな場面でも、マスターの声は深く静かな響きだ。

 逃げたのがわずかな間だったとしても、逃亡者二人組を探すのに宇宙は膨大すぎる。警官隊たちはまた追ってくるだろうが、ひとまずこの場を切り抜けることはできた。
 運転しながら俺は、警官より店への損害賠償のことを考えていた。修繕費、いや再建費か…回らない頭で思案しつつ隣にいる店主の様子を窺う。マスターはそれほどショックを受けている訳でもないようだ。彼の器が大きすぎるのか、何か事情があるのか。閃光弾を投げたときに見た彼の表情とその違和感を思い出す。
 「巻き込んでしまって申し訳ない。君まで目をつけられてしまうとは不覚でした。もう少し早く話をするべきだった」損害を出したのはこちらの方なのに、マスターはむしろ申し訳なさそうな素振りだ。やはり何か思い違いがあるようで、意を決したように向こうから口を開く。
 「警察隊が狙ったのは私です。以前から探りを入れられているのには気づいていましたが、店を捨てるのが惜しくて心を決められずにいました。とうとう素性を知られたようだ」彼が差し出したのは年季の入った社員証で、誠実そうな地球人男性の姿が印刷されている。「私は宇鷺(うさぎ)と申します。元々は地球人でした」
 聞くと、俺が地球人の生き残りであることは出会ってすぐ見抜いていたらしい。彼はまだ「人間だった」頃、宇宙エネルギーの開発を担当した研究者だった。まだ人類が宇宙へ恐る恐る踏み出した時期であり、彼は開発部門の職員でありながら異星人との意思疎通、経済的交渉、様々な惑星の代表者が集う会議の折衝役なども行う、いわば宇宙進出のパイオニアだったようだ。人類が宇宙で行き場を失った時代には、彼は既に研究の第一線から退き個人経営のバーを開いていた。地球人の生き残りや星を追われた異星人をかくまうことも珍しくないらしい。俺が呆然とマスターのうねる腕を指さすと、
「ああこれ。移植したんですよ」と造作もなく言い放った。
 宇宙警察はマスターの経歴を知り、元地球人として捕らえるために乗り込んできた奴らだったのか。俺は一瞬拍子抜けしたような気分になったが、直後に閃光弾の引き起こした結末を思い出して重苦しい気持ちになった。しばらくは堂々と星を巡ることもできないだろう…月への情報を得るどころか、道のりはひどく遠のいてしまった。
 「これからどうしようかなあ…」俺がふいに漏らしたため息に、思い立ったようにマスターはこう提案してきた。
「あの。私からこんな提案をするのも不思議な話ですが、もしご都合がよろしければこのまま一緒に月に行きませんか。あの辺りは研究職時代の土地勘もありますし、知り合いも一人くらいは生き残っているかもしれません」
 行きつけのバーというものを誰でも一つは持っておくべきなのだと、俺はこの時ほど強く思ったことはない。

 噂どおり、月には娯楽らしいものが何もなかった。しかし寂れた廃墟とも違って、月面には現役のプラントや製造所が所狭しと立ち並び壮観だ。汎用エネルギー素材、宇宙航行車部品、アンテナ、よくわからない部品等々がベルトコンベアに載ってずらずら流れてくる。俺は遠くの一角に食糧生産ラインが存在しているのを目ざとく見つけた。そびえるような食糧庫が見えてわくわくする。
 「行き当たりばったりですが何か所か、アポイントメントを取ってみましょうか」マスターは楽観的なのか、知っている連絡先を総当たりで試してみるらしい。月とはそんなに狭いコミュニティなのだろうかと思いつつ、何もできない俺は眼前の景色を眺めて暇を潰した。
 そういえば彼は、なぜ月の噂話に対していわくありげな素振りを見せたのか。月には何かとんでもないものが隠されているのか…?俺がさりげなくかつ慎重に尋ねると、マスターはきょとんとしたが、心当たりが浮かんだらしく少しはにかむような表情をした。
「…色々と、思い入れのある場所ですから。多分懐かしい星の名前につい反応してしまったのでしょう」
 マスターは心当たりのある所にいくつか連絡をとり、無事にある知り合いの手がかりを掴んだようだった。相手の指定する待ち合わせ場所はどうやら月の産業を統括している管理棟エリアのようだ。ひどくアウェーな感覚を覚えたが、マスターは何食わぬ顔で関係者通路を突き進んでいく。警備員や管理者には何度か身分証明を求められたが、マスターの名前を出すだけで皆恐縮して奥に進むのを許可してくれた。
 やがて吹き抜けになっているホールに通され、待ち合わせた場所にやっと到着した。休憩スペースも兼ねた内部の職員の憩いの場という風な空間で、周囲は穏やかな雰囲気に包まれている。そんな中、壁に掲示された場違いな広告に目を引かれた。
 「雅なひとときをあなたに、『旅人ウサギ』の甘いくちどけ。と書かれていますね」マスターの言葉を聞いてハッとする。それはまさしく月で入手できる食材、ウサギではないだろうか。そう彼に問いかけたが、少なくとも彼の記憶の中ではそういった月の名産品は無いらしい。
「確かに地球の生物ではありますが、月のような環境においてそのままでは生きられませんし、養殖というのは誤りでしょう。おそらく、月にまつわる伝承と混同したのでしょうね」
 なんだ、ガセネタか。出鼻をくじかれたようで思わずがっかりしてしまった。まずいモノに当たるならともかく、そもそも存在すらしないモノだったとは。
「けれどもこの広告の商品は何らかの食べ物なのでは?『甘いくちどけ』とありますし」マスターが慰めるようにそう付け加える。気を取り直してその広告を熟読すると、観光地の土産菓子のようなタイプの銘菓らしい。見慣れない通貨単位の値段が記載されているが、この上品なデザインからして少なくとも自分の所持金では買えそうにない。またいつか絶対に手に入れてやるからな、と俺は脳内の「欲しいものリスト」に月の菓子を追加した。
 「我が社の看板商品です。ご興味ございますか?」突如、快活な女性社員に声をかけられてたじろいでしまった。俺が言葉を探していると、代わりにマスターが彼女に応える。
「ミカゲさん、急に呼び出してしまいすみません。本当にお久し振りです」
営業スマイルから一転、無邪気な笑顔を見せたこの女性が、どうやらマスターの知り合いのようだ。
「宇鷺くん、無事でいてくれて本当によかった。私にできることならなんでも協力するよ、もしよければ我が社の…」彼女はふと言葉を切り、急に俺の方に向き直って名刺を差し出した。
「地球の衛星である月を拠点に活動させていただいております、月影人のミカゲと申します。忙しないご挨拶となってしまい申し訳ございません。宇鷺研究員とは古くからの知人でして、久し振りの再会に舞い上がってしまいまして」
マスターが紹介するよりも素早く自己紹介を終えた彼女のスピード感は、たしかに一目で人間のものではないとわかるほどだった。名刺なんて一年ほど前に身分を詐称するために作ったきりで、もちろんもう手元にはない。慣れない文化にパニックになる俺を彼女は制止し、かしこまった態度を柔らかに崩した。
「驚かせてしまったね。君は彼の友人だろう?なら私にとっても君は友人だ、ラフにやっていこう」

 遠い昔に聞きかじった情報によると、月影人はかつて地球人と密接な繋がりを持っていたようだ。しかし現在は地球周辺の情報自体が乏しく、人類が廃れた後も月でひっそり暮らしているらしいという曖昧な話しか耳にしたことはない。地球でさえほとんど投棄された状態なのに、その周辺を回る惑星には関心を寄せる異星人などいないということだろう。しかし、目の前の月影人の女性はイメージに反してアグレッシブで、生き生きとしていた。
 「今見ているその商品、宇鷺くんに紹介したいものでもあったんだ。素晴らしいアイデアのきっかけをくれた君には本当に感謝している。そこの青年もぜひ一つ食べてみて欲しい」自信に満ち溢れた様子で彼女は携えた紙袋の中から透明な立方体を取り出し、俺とマスターに手渡した。うっすらと黄色い球体が、手のひらサイズのキューブの中でふわふわ浮いている。ご丁寧にお菓子のケースに一つずつ反重力調整がしてあり、宇宙に浮かぶ月を再現しているらしい。貼ってあった広告には『地球産の小豆を使用しています』とでかでかと書かれており、その貴重さがうかがえる。パッケージ、材料どちらを取ってみても相当な嗜好品だ。俺はあまりの珍しさに目を見張った。マスターの驚いた様子からも、大変な力作であることが想像できる。

 「『旅人ウサギ』はまさしく我が星の銘菓だ。しかもその由来は君たちの母なる星、地球にまでさかのぼる。宇鷺くんが我々の星との交渉時に持ち込んだ菓子から着想したものだからね。
 長い歴史の中で我々月影人は、地球人を主要な交流相手として認め、互いに影響を与え合う仲だった。しかし近年になると、月は他惑星との貿易や交流を完全に絶ってしまい、いわゆる鎖国状態になっていた。技術の進歩により様々な惑星との関わりが増えるにつれ、月には他の星に対抗できる資源が少ないことに気づいてしまったのだ。この星が他の惑星に依存せず独立を保つには、あらゆる関係を遮断することが最も確実で安心できる方法だと月影人は信じていた。
 当時月の元首であった我が父は、宇鷺くんが半ば強引に持ち込んだ菓子を渋々受け取りはしたものの、手をつけなかった。美味いものに目がない私は父の隙を見て一つ、つまみ食いしたんだ。宇宙にはこんな美味なものがあるのかと、とても驚いたのを覚えている。まさにこの出来事が月の外側への好奇心を強めた革新的な事件だった。
 そこで私は多少の危険を冒してでも、この星は外の世界に向かわなければと父を説得した。食い物に釣られたと思われてはたまらないから、その菓子のことは秘密にしていたけれどね。父は愛娘の熱意に気圧されて、外部の星々との関わり方を検討し直してくれた。
 今となっては月といえば産業の星さ。つまり君がこの惑星に、宇宙の外へ飛び出す勇気をくれたんだ。やっとお礼が言えて嬉しいよ。宇鷺くんはまさにこの星の恩人だな」
 感慨深そうにミカゲさんはそう語り終えると、マスターに深く頭を下げた。マスターはというと、褒められ慣れていない様子で
「いえ、こちらこそ」と的を射ない返答をする。それからその場を取り持つかのように
「かつてはこの星の外のことを何も知らないお嬢様だったんですよ」と俺に話を振るように言った。
「そういう君は随分老けたじゃないか。昔くれた若々しく情熱的な言葉やアプローチ、昨日のことのように覚えているよ。我々の寿命からすれば人類の数十年なんて、そもそも昨日と大して変わらないけれど」彼女の言葉でマスターは若気の至りを思い出したのだろう、ばつが悪そうに俯いて照れていた。
 奇跡的なめぐり逢いを喜ぶ二人に置いてけぼりをくらった俺は、所在なく手元のお菓子に目を落とす。正直、一刻も早く味見したくてたまらない。
 「ぜひ食べてみるといい。君くらいの若い地球人は母星由来の食べ物なんてなかなかお目にかかれないだろう。かつて君たちの先祖が作った一級品だ」俺の目線の先に気づき、ミカゲさんは幼い子どもを愛でるように俺を見て微笑んだ。自分の意地汚い部分を知られてしまったようで恥ずかしいが、内心助けられた心地でもあった。マスターはこの人の笑顔にやられたのだ、そう納得しつつお言葉に甘えて包みを開く。
「お住まいの星の重力によっては飛び出す場合がございますので、ご注意ください」という注意書きに目が留まり、ケースから細心の注意を払って取り出した。
 軽くかじると思った以上に柔らかく、きめ細かい舌触りだ。表面はツヤツヤと金属のように輝いているのに、中身はふっくらしていて植物の綿に似た構造をしている。球体の中心には、口にするのを躊躇するほど密度の濃い茶色のペーストが詰められていて、もったり甘い。どれが地球産小豆からできているのだろう、いくら観察しても分からなかった。
 そわそわした気持ちもやっと辿り着いた一口で落ち着いてくる。よく見ると外箱に材料の説明書きが印刷されていて、中心部分が餡と呼ばれる小豆製のペーストであったと分かった。小豆自体を見たことがない俺でも、植物からこんなに甘い塊を作り出せる古来の技術に脱帽せざるを得ない。それを目で見て盗んだミカゲさんの執念にも感服するし、何より彼女の食にこだわるマインドに親近感を覚えた。
 菓子を持ち込んだ張本人もその再現度には驚かされたようだ。
「やはり甘いものはいいですね。私が持ち込んだのはお饅頭というお菓子で、出身地でたくさん作られていたありふれた存在だったのですよ。子どもの頃から食べていた馴染みの味で、厳しい宇宙で安心感を得るために取引先のお土産とは別に自分用も購入していたのを思い出しました。今では食べられなくなってしまいましたが、月でその『末裔』に出会えるとは思わなかった」マスターがしみじみと呟く。バーで見た寡黙でミステリアスな彼が、心から感動しているのが不思議だった。彼ほど「今」を大切に充実させて生きている人でも、やはり過去は懐かしく、甘美な記憶なのかもしれない。

 銀河線の貨物列車にこっそり乗せてもらい、俺は月を発った。バーで小一時間ほど時間を潰そうと思っていただけなのに、思いもよらない長旅になったものだと振り返る。仕事の依頼もそこそこ滞っていそうだなと、休暇明けの感覚に近い気分の重さがあった。気を取り直して帰路のお供にと持たされた『旅人ウサギ』を取り出し、賞味期限を確認する。いつか来るとっておきの瞬間のために、しばらくはお守りのようにカバンの中に居続けるだろう。
 「私の故郷では月にはウサギという小さな獣が住むと言い伝えられていました。その生き物のように、私は月に焦がれてここまで来たのだと思います」或る惑星の伝承と、その惑星人の青年が月に持ち込んだお菓子を元に、この『旅人ウサギ』は作られました。ひとり故郷を飛び出した彼の情熱と、地球に住まう愛らしい生き物に親愛なる敬意を込めて。
 お菓子に同封されているリーフレットにはそう記されている。おそらく地球からの来訪者が月影人の娘を口説いた時の台詞なのだろう。それに対する返答はともかく、彼女は今やお菓子と共にもたらされた「外の世界」を駆け回り、とても楽しそうだった。
 マスターとは再会を約束して、月で別れた。彼はしばらく研究者時代のコネを通じて、店の再建を目指すとのことだ。店舗のあった惑星は手放して、これからは移動販売でバーを経営していくつもりだと彼は語っていた。
 もしかしてマスターは新しい店のスタッフとして、彼女を誘うつもりだったんじゃないだろうか。リーフレットの逸話を眺めながら、ぼんやり勝手にそう考えた。バーで月の話を耳にしたあの時、きっと彼女の笑顔が浮かんだのだろう。
 きっと近いうちに、マスターの店は復活するはずだ。ほとぼりが冷めて店に顔を出せるようになったら、キープボトルの棚にミカゲさんの名前がないか探しに行きたい。

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*WebマガジンCobalt(集英社様)にて企画されていた『ディストピア飯小説賞』に応募させていただいた作品です。最終選考に残ったとのことで選評を頂いております。

この作品をお読みいただいた全ての方々に感謝申し上げます。拙い部分もあったかと思いますが、魅力的なお題に沿って想像を膨らませ設定を盛り込む楽しさを味わわせていただいた、自分にとって思い入れの深い作品となりました。この作品が少しでも「ディストピア飯」という存在の奥深さを語る一助となれば幸いです。どうもありがとうございました!