このnoteは誰にも届くな、恥ずかしいから。
今は入浴中。僕は風呂が嫌いだ。とてつもなく面倒臭い。でも、想いを巡らせることを意識できる空間でもあるのだ。独り、シャワーを浴びながら、頭を洗いながら、体を流しながら、近しい記憶を辿っていく。近しいと言っても、ある程度の時間が経っていて、意識的な距離も測れているこの状況。とても冷静な判断を下しやすい。
現に僕は、風呂場で錯綜する自分の中で生まれたそれを文字に起こし、アウトプットすべくnoteを書いている。
この頃は
「本当にかけがえなのない一人と出会えた」
と切に想う。あるときに「お前は人をすぐ自分の物差しで測って、寸評する」と言われたことがある。確かにその通りだと思ったし、今もそれは変わっていないであろう。偉くなったつもりか?と問われれば何も言い返せない。そんな風には微塵も思っていないが、そのように見て取られても、反論の余地はない。しかし、この物差し、ないしはボーダーを超えてくる者と時を分かち、魂を燃やすことができれば、どれほど有意義で、大義的だろうと思うのだ。
僕には一人、親友が居る。おこがましくて「友達」だなんて言える訳もない僕に、たった一人だけ大親友と言える存在が居るのだ。彼との出会いを何から何まで、語ることもそれはそれで意味のあることだと思うが、今回は省略する。
彼の何が僕にとって、こうも羨ましく、素晴らしいのか。それは、
「逡巡できる」
ことである。一つの事象に対して抱く感情、振れ幅、柔軟性、それら全てが深く、自分に落とし込んで考えられる。絶対に全ての「心」を真っ向からは否定せず、一度咀嚼し、飲み込み、消化し、昇華しようとする。そして、それで得られた自分の「心」を僕にぶつけてくれる。正直、言葉遣いや伝え方には棘がある部分もあり、練度は低いように思うが、そこは僕が補完できているという自負さえ抱ける。そんな存在。
僕にとって彼が「友達」ないしは「親友」の最上級である感覚がある。それは、時に僕の交友関係を狭めてしまう価値観であることも分かっているが、そこら辺は体裁面、世間体に関して言えばうまくやれていると思う。
案外、事細かく説明したが、大事なのはただ一つ。あらゆる物事に対して想いを馳せられるか、である。
この逡巡が僕の頭を硬くするときもある。心で想っているのに、心が痛いときがある。いや、でも、それは心で想っているからこそ、痛いのか、とさえ最近は思えるのだが。要するにこの行為を弱みとは思っていないということが言いたい。明らかに僕の長所だ。
このような話を、君に話した。そう、「本当にかけがえのない存在」になり得る君に、だ。まだ、手探りだ。どれだけうまく伝わっているのか不安で仕方ない。それは時間が解決してくれそうな気もする。
ただ、僕は嬉しかった。上辺だけの相槌だけじゃなくて、芯で捉えて、必死に想ってくれた。それだけで僕は救われたような気になってしまうし、どこまでも行ける気がする。君となら、新しい世界さえも拓ける、そんな希望を持てる。大学というコミュニティで求めたのは他でもない、君のような存在であった。正直、諦めていた。哀しいほどに大学の彼らが軽くて、柔いように見えてしまって、僕のレンズは曇っていた。そんな視界の悪い中でも見つけられた光。
ありがとう。君の目印の旗はしっかり、軋轢の風になびいて、堂々としていたよ。荒風に揉まれて、しわくちゃな君を乗せて、夢を見たい。友達になれるだろう、いや、もう友達だな(笑)
親友になれるだろう。そして、仲間に、同志になれると信じられる。
これをプレッシャーだと捉えられたなら、少しそれは違うんだ。ただ、僕は嬉しいだけです。ありがとう。何の気もなく馬鹿げた話を沢山させてくれ。その中に真の中身を映す話も少しだけ混ぜてみたいんだな。
あくまでも5メートルの距離感は忘れずに。近すぎない感覚。手を伸ばせば繋がれる、そんな距離感を大切に。
と、長々綴ったが僕は相当気持ち悪いらしい(笑)
添削がてら文を読み直したが、虫唾が走るようなキナ臭いことを言っている。このnoteを公開するか迷っているほどである(笑)
まぁこれが僕の今の心情。たった40分足らずで書き上げたチンケな独りよがり。