輪郭だけで疑う何かを

この頃は、新型コロナウイルスが猛威を奮っている。毎日、テレビでは感染者数のニュースが流れており、うんざりしてしまうほどだ。

よく言われる。
「一番楽しい時期に可哀想ね」
と。確かにそうなのかもしれない。一般的に人生における学生の時間というのは「一番楽しい時期」らしい。

ふと、誰かに言われた言葉を思い出す。
「そんなに悩んでしまって...」
「今の時期に勿体無いよ、損だよ」
若いうちから考えすぎだ、と言われたかのような感覚。まるで、逡巡することを否定されたような感覚。早すぎる、と、ませている、と馬鹿にされたような感覚。

僕の中には、いつからか確固たる信じるべきものがある。それは「心の中の闇」である。これがあるからこそ、これを知っているからこそ、様々な現状に目を向け、想いを馳せることができるのではないか、と思っている。ドロドロ濁ったものを廃絶しようものならば、想うことを忘れてしまう、とそう思う。

だから、考えすぎなどという言葉なんて反吐が出るほど嫌いで、軽蔑している。想いを巡らせ、自分の心で咀嚼し、昇華しようとすることを貶めるほど易い人間にはなりたくない。

そりゃ、その事象に対して深くのめり込んでしまい、動けなくなるときもある。身構えて、どうしようもないときもある。でも、その足踏みさえ僕にとっては大いに意味のあることで、素晴らしい。そうやって、やって来る壁を幾つも超えて行けるから、人間は優しくなれるのだ、と真に思う。

その人や問題、ないしは事象を大して咀嚼もせず、平たい言葉ですぐに片付けてしまう人が多すぎる。柔い感情は絶対的な弱さだと鼻から判断し、それを貶す。繊細なものを腫物扱いする。弱さを隠そうとするのは分かる。それを見せぬようカッコつけてしまう人間らしさは誰しもが持つ。けれど、それを根底から否定し、潰すのはとても悲しい。新しい世界に連れて行ってくれる道を潰すことになるだろう。

長々と想いを連ねたが、弱い痛みを撫でられる人でありたい。おごらず、ただ人に触れていたい。その自分の脆弱さに絶望しながらも、僕は確実に前に進んで行こう。

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