消滅
生きていく意味をなぞるのはとても不毛なことである。生の在り方を知覚して、模索し始めた時から初めての転換点を迎える。消えたいと思ってしまった。
正直、そう思うのはありきたりで、もはやその「消えたい」という言葉・表現自体が野暮だと馬鹿にしていた側面が今まではあった。
やり直したいと思うことはあっても、そう思うことはなかった。紆余曲折しながらも、自分の生涯を見据えて、貪欲に思えていたのだろう。
しかし、この死にたいとは違う、消えたさ。消えたいという感覚。死ぬのは今まで自分を想って尽くしてくれた周りの方を裏切ることとなる。恐らく残された者に生まれた傷は癒えない。そんな大層なことをして良い訳がない。しかし、生きるのは大変である。平たい言葉だが本当にそう思う。日常は地獄。この価値観は当分アップデートされないだろう。
ならば、存在自体が消えないだろうか、と望むのは至極真っ当な思考回路ではないかと自分を正当化する。
でも、そんなことあり得ないことも知っている。知っていてそう願えば、幾分かは心の持ち様が楽だ。というより、私は〜歳までに自分が今思い描く未来に辿り着けていなかったらその時はできる分だけ精算して死ねば良い。そう考えて逃げている現状だ。
この21年間、周りに、親に協力を仰ぎ、望んで飛び込んだ世界で何一つやり切ることは出来なかった。高校も大学も、部活の部長も。
その落胆に塗れているときは好きなものをどうしても自分から遠ざけてしまうが、根っこの部分でそれに対する熱情は変わらぬままだから、依然としてやりきれなかったことを後悔し、自分を呪い、周りに後ろめたさを感じる。
今まで好きだったこの物書きすら、もはや上手くこなせない。今、しどろもどろになりながら、言葉を連ねているけれど、「綴る」というレベルには達していないな、というのが率直な感想。
何もかも中途半端に投げ出して、ブランクを開けて、自分の脳みそ、そして心が痩せてしまう。
地獄だ、日常は。