揺らぐもの

よく最近思うことがある。人恋しく思うときによく「自分でも臭いなぁ」と感じることを思いつく。

今の社会的現状を考えると、人との密な関わりなどは最早御法度とされていて、基本的に「ひとり」が普通である。それに社会が今のようにウイルスに侵されていない、いわゆる今まで通りの「日常」であったとしても僕はデフォルトでひとりだ。だけれど、ひとりというのは、どんなにひとりの時間が長くても慣れないものである。だから、そんな「ひとり」の自分を恨めしく思うし、この今の自分を変えたい、脱したいと思うのである。

進路が決まり、不甲斐ない結果に終わった自分を後ろめたく思いつつも、新生活に心弾ませていた3月の頭。自分を変えるチャンスだと思った。よく「大学デビュー」等と揶揄されるがそれでも良いと思った。いつか変わらねばならない。今すぐにでも変わりたい。そう思い続けた高校三年間であったからだ。入学を目前に控えた僕に待っていたのは、オンライン授業という名の自粛。仕方ないのだ。僕だけじゃない、皆も苦しい。

“ひとりで寂しいのは、もどかしいのは、
僕だけじゃない”

そう思いながら日々を過ごした。

しかし、今頃になって緊急事態宣言が解除され、自粛ムードが緩和され、周りの友達が専門学校に通い出したり、遊びに行ったりし始めた。しかし、自分は未だひとりのまま。勿論大学が始まればひとりではなくなるし、

今の寂しさは大学がないことによるものだ。
自分に問題がある訳では無い。

そうも思う。しかし、やはり今学校に通えず、自分と同様寂しいはずである人間の中にも「友達」が居るやつもいる。というより、そういうやつの方が多い。それは、高校時代に人間関係を着実に積み上げてきた成果であり、僕にはそれがゼロであった。

結局人生は積み上げなのか、と思う。積み上げたものが山になって高くそびえ立つ。自分で言うのも何だが、中学時代までに積み上げたものは周りの同級生らよりは高かったように思える。しかし、高校が始まると共にそれら全てを失った。

心の中で揺らいでいるものは早く地を固めないと呆気なく崩れ落ちる。
その破片を拾い集めたところで同じような高さの山は積み上げられない。
助走なしに、踏み込む力だけで
未来を作り直すのは厳しい。

儚くもそう自覚した。

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やはり、心がネガティブ思考に走るときに綴る心の叫びというのは荒んでいるな、と思う(笑)

いつか、最高に楽しい心の叫びを…
高らかな勝利の雄叫びを…

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