revue スティングnewAlbum「57th & 9th」
スティングの格好良さに気づいたのは大学一年生になってからで、ちょうどソロとしての5thアルバム「TEN SUMMONER’S TALES」が世にでた年だったから、かれこれもう23年前のことになる。
その時には既に彼は大ベテランで、「この歳で!」という感嘆符とともにロックに真っ正面から取り組んでいた。 スティングの哀愁の漂う声と、余白のある楽曲に虜になった。
20代の僕には、40代のスティングが紡ぐ音楽に、どこか禅にも通じるような世界観があるように聴こてえいた。禅のことをそんなに知っていた訳ではないけれども。でも、なんか格好よかったんだ。諸肌脱いで、汗だくになってロックする中年のスティングと、時たま覗かせる禅的な世界との融合がなんか新しく、いつかたどり着きたい真実がそこにはあるような気がしたんだ。
そういえば「禅」というキーワードでのエピソードがひとつある。 大学を休学してニュージーランドを遊学した際、向こうでできたオークランド大学生の友人に連れられて何かのホームパーティーに出席したことがあった。そこで彼の友人と雑談していてお互いにスティング好きと分かって盛り上がったんだけど、そいつが言ったんだ「スティングは禅マスターだ!」って。ちなみにそいつは自分で豆腐も造っちゃう男の子だったから、きっと僕よりも禅についての知識が豊富だったに違いない。
そんなスティングだけれども、2003年に出した「Sacred Love」を最後にクラシック音楽に傾倒していき、クラシックの名門レーベルであるグラモフォンからも複数枚アルバムを発表していた。
そして13年ぶりのロックアルバムとして発表されたのが本作だ。
あのスティングがロックに帰ってくる!期待感はもうマックスだった!
彼はクラシックの世界から何をロックに持ち帰ってくるのだろうか?その答えを読み解く楽しさでワクワクしていた。
けれど、見事に肩透かしを喰らわされてしまった。
なんかこう、聞こえてくるのは若さがあふれるロックだったんだ。円熟という尺度でみると、23年前のアルバムの方が間違いなくあった。
クラシックの要素?生憎クラシックを語るだけの知識も教養も持ち合わせていないのでよくわからないんだけれど、クラシックから持ち帰ったものは全くないんじゃないだろうか。。。
アルバムを封切りで聴いて「うげー。振れ幅大き過ぎ!ちから入り過ぎ!」って思ってしまったけど、今は「やっぱりスティングはすごいオッサンや!」と感じている僕がいる。
耳が聴きたい事なら政治家だって聴かせてくれる時代に僕らはいる。スティングだってそんなことは簡単に出来るはずなんだ。
でも、迎合しなかった。彼はホントに本当のロックをやってのけたんじゃないかな?って、そう思えてならないんだ。
50代でクラシックの世界に飛び出して、65歳となった彼はまたロックの、しかもそのど真ん中に飛び込んできた。 40代にもなって諸肌脱いでなんて思う人もいたと思うけど、ホントに彼は若いんだなぁ。
僕の耳が聴きたがっていた禅もクラシックもないロックだったけど、きっと僕の耳が追いついてないだけなんだ。
そして彼が見せつけてくれた若さは、ロック界でのキャリアがまだまだ続くことを予感させる。
また同時代をスティングとともに歩める幸せを、僕らはまた獲得したのかもしれない。
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