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#5 ブランディングマン




「お前っていつもそんな感じなん?」



幾度となく浴びせられたこの言葉。

プラスなのかマイナスなのか。

考えるが答えは出ない。

そして、

「ちゃうがな」

と私は答える。

「いつも同じような感じの人間がどこにおんねん」

と声を大にして言う委員会会長が私だ。



「ブランディング」

という言葉をご存知だろうか?


ブランディングとは

ブランドに対する共感や信頼などを通じて顧客にとっての価値を高めていく、企業と組織のマーケティング戦略。 (wikipediaから引用)


噛み砕いていうとターゲットに
「かじといったら明るいよね」
のような共通意識を根付かせることである。



「明るい」「熱い」「前向き」「面白い」

単なる例としてあげたものだが、私に対する評価の殆どをこれらの形容詞が占める。
幸いにも多くの人がポジティブなイメージを浮かべるこれらが「周りから見える私」だとすれば、好きな子からLINEのメッセージが来た時くらい嬉しい。


私は仲の良い友人には度々話すのだが、

実は前述したあれらは私が意識的にブランディングしてきたものなのである。

おいおい待て待て。
お前は仮面人間だったのか?
と思うだろう。 


では「なぜブランディングするのか」



時は幼少期まで遡る。

私達世代が子供の頃ハマったものと言えば何を思い浮かべるだろう。
「仮面ライダー」「ウルトラマン」「ワンピース」「プリキュア」「戦隊レンジャー」

これらは所謂「ヒーロー」と言われるものである。

ピンチが訪れると颯爽と現れ敵を撃退する。
私の目にはとてもカッコよく写った。

当時私の2つ歳下の妹を敵に見立て、動けなくなるまでよくボコボコにしたものだ。

サイコパスじみた当時の行動を根に持っている妹が自作の「DEATH NOTE」に私の名前を書いて本気で殺したがっていたことは、今では我が家の鉄板ネタだ。
彼女が例のノートを拾わなくて本当に助かった。


それはさておき、

私はヒーローになりたい。

「明るく」「熱く」「前向き」なヒーローに。


誰しもが「こうなりない」「ああなりたい」と理想像を持つ。

だから私はなりたい自分を意識し、
「明るい」「熱い」「前向き」というラベルを貼る。
そのラベルが気付けば自分のアイデンティティとして少しずつ定着していく。

だが、現実はそう甘くない。
時に理想と現実のギャップに落胆する。
時に弱い自分が姿を現し、元の姿に引っ張ろうとしてくる。


幾度となくこの攻防を繰り返した果てに私は気づいた。


現実の自分も確かに私なのだ


と。

ブランディングして浸透した「理想の自分」の影には必ず「現実の自分」がいた。

必死にブランディングしたとしても、きっと元いた自分(現実の自分)は消えることはない。

元の自分も愛してやらなければ、
私という人間を自らが否定し続けることになる。


人に好かれるポイントはだいたい同じだ。
だが、嫌われるポイントは異なる。
時に真面目であろうとすれば、
ある人にはお前は固い。面白味に欠けると言われる。
反対にくだけてみるとお前は不真面目だと別の人に言われる。

人の評価を気にしてブランディングしたとしても、誰かの目には良く写り誰かの目には悪く写る。


きっと完璧な人間などどこにもいない。



だから私はブランディングマンを引退した。

だが、理想の自分を追い求めることをやめたわけではない。
なりたい自分を追い求める過程でそれらが確かに本当の私の一部になると実感できたからである。

ただ、私はこうである。
とラベルを貼り、それだけに囚われることをやめたということだ。

23歳となった今でも新たな自分の一面に気づくことがある。

それがどんなものであれ、自分自身を愛してあげること。
そして、そんな自分を愛してくれる人を見つけることが重要なのではないかと思う。

私にはどんな自分も受け入れてくれる人が幸いにも両手で数えられる程はいる。



最後に1つだけブランディングしてブランディングマンを正式に引退する。



変わっていく自分。
変わらない自分。
そんな自分を愛してくれる人。



私はこの人達を心から愛する人間である。





P.S.そうは言いつつも人を傷つけたりする場合は直さなければなりません。どんな自分も愛せというのは本質の部分の自分のことを指します。微妙な違いなので少し表現が難しいけど、これは今度会った時にでも話しましょう。笑





#海外 #日記 #サッカー #allyouneedislove

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