【朝の読み聞かせ】ラグビーワールドカップと稲をテーマに選んだ昔話
近所に個人経営の小さな本屋さんがあります。あるとき、やはり近所にある八百屋さんで買い物をしていたとき、その本屋さんの話になり、「あそこに行くと、読みたい本がぱっと目に入ってくる」と意気投合しました。同じ本でも、並べ方によって、本が発するオーラが全然違うもので、その本屋さんに行くと「あれも」「これも」と次々に手に取りたくなってしまうのです。
本やおはなしも、出会うべきタイミングに出会うことで、思いがけず深く受け止められるということがあると思います。年齢やその子たちの置かれた状況、季節、折々の行事、そのときの学習内容、話題になっているニュースなどなど・・・そんな色々なタイミングを考えながら、子どもたちに読み聞かせる本やおはなしを選ぶようにしています。うまくはまると、子どもたちの反応もぐっと生き生きしたものになり、読む側も嬉しくなります!
ラグビーワールドカップにちなんで
この前、5年生の子どもたちに読み聞かせをしたのは「マウイのしごと」と「お百姓とエンマさま」という昔話。どちらも、『子どもに聞かせる世界の民話』(矢崎源九郎編・実業之日本社)に入っています。
「マウイのしごと」はニュージーランドの昔話です。ちょうど、ラグビーワールドカップの決勝トーナメントが始まった頃で、日本が対戦する南アフリカの昔話も探してみたのですがみつからず、その時点で最強の優勝候補だったニュージーランドの昔話を読むことにしました(イングランドやウェールズでも良かったのですが、普段あまり読まない地域の昔話にしたかったのです。)子どもたちの中にはラグビーワールドカップをテレビで観ている子もけっこういて、「どこが優勝すると思う?」と聞くと「ニュージーランド!」と一斉に声が上がりました。この数日後、ニュージーランドはイングランドに完敗してしまうのですが、この頃までは、まさに別格の強さを見せつけていましたからね。
6人兄弟の末っ子として生まれてきたマウイは、とても醜かったので、おかあさんに海に投げ込まれてしまいました。けれども、天の神さまたちがマウイを助け、マウイにいろいろな知恵と力を授けてくれます。大きくなって家に帰ったマウイは、いくつも島を釣り上げてニュージーランドをつくり、おひさまが動く速さをゆっくりにして日のあたる時間を長くし、地上に火をもたらすなど、人間の役に立つ様々な良いことをしました。人間がいつまでも生きていられるようにと月の女神に頼みに行ったマウイですが、女神にぱっくりひとのみにされて命を落としてしまいます。けれども、マウイの名はいつまでも人々の心の中に生きています。
私が読むスピードで3分程度の、短いながらもスケールの大きいおはなしです。マウイがお母さんに捨てられるところで、男子から「ひどっ」という反応がありましたが、皆、いつしか吸い込まれるように聞き入っていて、正直、読みながら驚きました。大人からみれば荒唐無稽なストーリーでも、子どもは昔話の世界観をしっかりと受け取れるのですね。読み手も昔話の世界をちゃんと届けられるよう、まっすぐ素直な気持ちでおはなしに向き合わないと・・・と改めて思いました。
稲の栽培を学ぶ子どもたちに
私が読み聞かせをしている5年生の子どもたちは、一学期からバケツで稲を育てています。秋の長雨や大型台風も乗り越えて収穫まであと少し、というタイミングで、稲や他の穀物にまつわるおはなしを聞かせたいと思いました。「稲と麦のけんか」(『子どもに語る中国の昔話』)や『犬になった王子』(君島久子 文 後藤仁 絵 岩波書店)もいいかなあと思ったのですが、「稲と麦のけんか」は少し短すぎ、『犬になった王子』はストーリーも絵も素晴らしいのですが時間が足りない・・・ということで、「お百姓とエンマさま」という中国の昔話を選びました。私の読む速さで、だいたい8分ぐらいです。お百姓が植える作物を具体的にイメージできるとより楽しめるおはなしなので、ある程度大きい子が向いているかもしれません。
ある日、エンマさまはほんの少ししかお供え物を持ってこなかった百姓に腹を立て、手下の小鬼たちはその百姓の畑で稲が実らないようにすると言います。そのことを知った百姓は、小鬼が唱える「頭、ひょろひょろ、根っこ、むっくりなーれ」という呪文を逆手に取り、サトイモを植えて大豊作。エンマさまに怒られた小鬼たちは年が変わるごとに違う呪文を唱えて、百姓の収穫を邪魔しようとしますが、百姓はいつも裏をかいて毎年豊作続き、すっかりお金持ちになります。
このおはなしを読むと、「本当にお百姓って、なんでも知ってるんだなあ」と感心してしまいます。小鬼たちが里芋が実らないよう、「りょうはし、ひょろひょろ、まんなか、むっくりなーれ」と呪文を唱えると、「まんなかむっくり」でぐんぐん育つトウモロコシを植え、次の年は「下から上まで、むっくりなーれ」という呪文だと知るとサトウキビを植えて見事な出来のサトウキビを収穫し、小鬼が「これなら里芋もトウモロコシもサトウキビもうまく育たないだろう」と「頭、むっくり、下が、ひょろひょろなーれ」と呪文を唱えれば、「じゃあ、こんどこそイネをつくることにしよう」とずっしりと重い稲穂を実らせます。子どもたちも「なるほど〜、そういうときはトウモロコシか!」などと感心したり、一生懸命なのに間が抜けている子鬼たちの姿に笑ったりしながら、楽しんで聞いてくれました。
たとえ貧しくても、このお百姓は知恵と経験を駆使して欲張りなエンマさまにひと泡もふた泡も吹かせ、実に痛快です。このおはなしのように、庶民が知恵や創意工夫をこらして偉い人たちをやりこめるしたたかさは一種のサバイバル能力とも言えますが、庶民は昔話を語り継ぐことで、理不尽な状況を生き抜いてきた先人たちの知恵を伝えていったのではないでしょうか。
「皆さんのバケツ稲も豊作になりますように」と読み聞かせの時間を終えて教室を出ると、「頭、むっくり、下が、ひょろひょろなーれ」と楽しそうに唱える子どもたちの声が聞こえてきました。
読んでいただいて、ありがとうございます!