【朝の読み聞かせ】家庭科の裁縫が始まった5年生に
どんなときに読んでもぴたっとはまる本もあれば、「今このときでなくちゃ!」という本もあります。『あかてぬぐいのおくさんと7人のなかま』(イ ヨンギョン ぶん・え かみや にじ やく 福音館書店)は、家庭科で裁縫の授業が始まったばかりの5年生に絶対に読みたかった絵本でした。
出版社のサイトには、「読んであげるなら3歳から、自分で読むなら小学校低学年から」とあります。確かに文章は難しくないし、文字の量も多くなく、ストーリーも単純なので、そのとおりだとは思います。でも、今の日本の家庭で針箱や裁縫がどれだけ身近なのだろうか?ということを考えると、自分が使い始めたばかりの裁縫箱やその中に収められている真新しい裁縫道具を思い浮かべながら読めるこの時期ならではより深く受け止めてもらえるのではないか、ということで選びました。それに、男子は自分ではこういう絵本はなかなか手にとりませんしね。
たまたまこの日は家庭科の裁縫の授業がある日で、まさにベストのタイミングでした。
ひとりひとりが大切な存在
『あかてぬぐいのおくさんと7にんのなかま』のストーリーは、他愛ないといえば他愛ないものです。
ものさしやはさみ、針、糸、指ぬき、のしごて、ひのしがそれぞれ「自分が一番大事だ」と言い出して、ちょっとした騒動になります。持ち主の「あかてぬぐいのおくさん」が「でも、いちばんえらいのは この わたしだよ」と一喝し、おくさんに怒られたお針道具たちはしょんぼり。ところが、おくさんは、お針をしたいのに7人の仲間がみつからず、途方に暮れて泣き出してしまうという夢を見ます。眠っている奥さんが泣いているのに驚いた道具たちは、「かわいそうだわ。おこしてあげましょう」とおくさんを起こし、夢から覚めたおくさんは「わたしたちのなかで だれか ひとりでも いなくなったら、おはりはできないのにね」と道具たちと仲直り。いっそう仲良くなって針仕事に励みます。
のしごて、ひのしは家庭科レベルの裁縫では使わないので、最初、子どもたちはなんだかわからないでしょうが、話が進むうちに、絵や文章でちゃんと説明されていくので、もし「のしごてって何?」という声が上がっても、目で「あとでわかるからね」ということを伝え、そのまま読めばいいと思います。
この「みんなが自分の役割を果たしているからこそ、仕事がちゃんとできる」「得意なことは違っても、どれも価値がある」というところは、高学年の方が理解できるかもしれません。思春期に入る年頃には、他人と比較して「自分なんか・・・」という気持ちにもなりがちです。絵本のよみきかせは聞き手の反応が見えにくいのですが、読みながら、女子も男子も真剣に聞いてくれている空気が伝わってきました。かく言う私も「じぶんなんか、たいせつでもない とるにたりない どうでもいいものだとおもうと、なんだかたまらなくなりました」というフレーズを読みながら、ちょっとグッときてしまうのですが。
ラストに出てくる「エヘラ チョッタ オルシグナ チョアラ」は唄の掛け声のようなものだそうです。私は朝鮮半島の歌はアリランぐらいしか知らず、何か独特な節回しがあるのかなあと思いつつ、この部分は単にリズムをつけて読むだけにしましたが、それらしく唄えたら素敵でしょうね。
私の読むスピードで8分ぐらいですが、この日は集まるのが遅かったので、読み終わってちょうど朝読終了、という時間配分でした。
韓国に伝わる古い話が元になった創作絵本
この絵本の作者は1966年生まれの韓国のイラストレーター、絵本作家で、他にも『よじはん よじはん』(品切れ中)など韓国の暮らしぶりが自然体で伝わってくる素敵な絵本をつくっています。この『あかてぬぐいのおくさんと7にんのなかま』は、韓国の「古随筆閨中七友争論記」をもとに創作した絵本と、巻末の著者プロフィール欄にありました。
グーグル検索でみつけたこちらのブログによると、「古随筆閑中七友争論記」は朝鮮王朝後期に書かれたもので、「閨中七友」は針仕事のための7つの道具のことだそうです。女性にとってかけがえのないものという意味で「友」なのですが、当時の朝鮮半島の女性たちは外の世界に出ることを厳しく制限されており、女性たちの生活空間は「キュバン(閨房;규방)」と呼ばれていました。だから「閨中」なのですね。
当時の女性たちが針と布で生み出した生活工芸は「閨房工芸」という工芸のジャンルとして、今に伝わっています。『あかてぬぐいのおくさんと7にんのなかま』の最後のページは、そんな「閨房工芸」の作品だったんだなあと、このブログを読んで思いました。
『あかてぬぐいのおくさんと7にんのなかま』は、柔らかい色調の絵も本当に素敵なので、読み聞かせだけではなく、子どもたちには手にとってじっくり眺めてみてほしいなと思います。
読んでいただいて、ありがとうございます!