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【朝の読み聞かせ】お月見の日の朝の読み聞かせ

 二学期初めての、5年生のクラスへの朝の読み聞かせ。ひとつは、アンデルセンの「豆の上に寝たお姫さま」(『子どもに語るアンデルセンのお話』松岡享子編 こぐま社)のストーリーテリングに決めていました。これは5分もかからない短いおはなしなので、あとひとつはどうするか? いろいろ考えましたが、ちょうどお月見の日の朝ということで、「月をつろうとしたロー」(ソロモン諸島の昔話)を読むことにしました。

アンデルセンを読んでほしい!

 アンデルセンのおはなし、タイトルを聞けば「知ってる!」と声が上がる有名なものがたくさんあります。「みにくいあひるの子」「おやゆび姫」「はだかの王さま」「人魚姫」「マッチ売りの少女」「スズの兵隊」・・・でも、ダイジェストやアニメ、今風にアレンジされたもの、あるいはパロディーではなく、「本」でアンデルセンのおはなしを読んだことがある子どもたちはどれくらいいるでしょうか?

 私自身、大人になってアンデルセンを読み返し、昔話とはまた違った、アンデルセンという稀有な物語作家が生み出したおはなしの数々を子どもたちにも読んでほしいと強く感じました。高学年くらいの、ちょっと大人びたモノの見方や感じ方をするようになり始めた子どもたちなら、アンデルセンの繊細さや、ユーモアにくるんだ強烈な皮肉も感じ取れるでしょうし、物語はハッピーエンドばかりではないということ、けれども哀しい運命の中で尊く輝くものがあるのだということも、きっと受け止められるのではないかと思います。

 上に挙げた有名なおはなし以外にも、『野の白鳥』『火打箱』『うぐいす』など、素晴らしいおはなしがたくさんあります。ただ、どれも時間が長いため、15分しかない朝の読み聞かせにはおさまりません。残念だけど、しかたない。「マッチ売りの少女」(12分くらい)か「豆の上に寝たお姫さま」のどちらにするか・・・と考えたとき、季節をあまり問わないのと、朝の時間に「マッチ売りの少女」はちょっと重いかな・・・ということで、「豆の上に寝たお姫さま」を覚えることにしました。

「豆の上に寝たお姫さま」は、短いながらも不思議と強い印象を残すおはなしで、湊かなえさんの『豆の上で眠る』という小説のモチーフにもなっています。

「ほんとうのお姫さま」でないとお妃にしたくない!という王子のところへ、ある嵐の晩、「私がほんとうのお姫さまです」と、びしょ濡れになったひとりのお姫さまが現れます。その夜、お姫さまは、敷き布団20枚に羽根布団20枚を重ねたベッドに寝ることになりますが、お姫さまはふとんの下に置かれた一粒のえんどう豆が痛くてたまらず、ちっとも眠れなかったということから、「こんなに感じのするどい人」は「ほんとうのお姫さま」に違いないと、王子はお姫さまをお妃に迎えることになりました・・・・という、ちょっとナンセンスな雰囲気もある、いろいろ深読みできそうなストーリーです。

 件のえんどう豆は博物館にしまっておかれることになり、今でもそこで見られるはず、という話のオチがなんともおかしいのですが、後で聞いたら「博物館」が本当にあると思った子もいたそうです。聞き手が大人のときは、ところどころで笑いも起こり、「おかしい話」として楽しんでくれるのですが、今日の子どもたちはひたすら真剣に聞き入っていて、ちょっと不思議な世界に連れて行かれたような顔をしていました。ひとりでもふたりでも「なんだかおもしろそうだな」「読んでみようかな」と、アンデルセンの本を手にとってくれればいいなと思います。

 子どもと大人の違いということで言うと、大人を前に語ったとき、「お姫さまが使う『お床(とこ)』という言葉が耳で聞くと『男』に間違われてしまうかもしれないので、子どもには『ベッド』と言い換えた方がいいのでは」というアドバイスを受けました。『お床』はいかにもお姫さまらしい品のある言葉なのですが、確かに子どもにはわかりにくいかもしれません。勘違いされないよう、今日は「ベッド」で語ってみましたが、本当にそれでいいのか、ちょっとまだ迷っています。

みんなお月さまを自分のものにしたい

 ふたつめの「月をつろうとしたロー」は、「今日は十五夜、中秋の名月だから」と前置きをし、ソロモン諸島の場所(さすがに知っている子はいませんでした。私も正確な位置は地図で確認しました!)を地図でざっと示して、読み聞かせを始めました。

 去年も秋に月の本の読み聞かせをしましたが、月を自分たちのものにしたいという昔話は世界各地にあります。「月をつろうとしたロー」もそのひとつで、出典の『マウイの五つの大てがら 世界むかし話 太平洋諸島』(光吉夏弥訳 ほるぷ出版)は、ハワイやフィジー、オーストラリア、ポリネシアなど、日本ではあまり馴染みがない南太平洋地域の昔話を集めた本です。残念ながら、今は絶版になっており、古書店か図書館でしか目にすることができません。

 シンバという島で誰よりも釣りが上手な10歳の少年ローは、ある日、村人たちから「月を釣ってほしい」と頼まれます。その理由は「自分たちの島は世界中で一番いいところなのだから、世界中の一番いいものがみんな揃っていなくてはいけない」「それなのに、月はどこのどんな島でもまんべんなく照らす。実にけしからん!」というもの。非常に身勝手な理屈で、ローも「ちょっと勝手すぎる」と思いながらも、「月が自分たちだけのものになったらどんなにいいだろう」と考えて、村人たちの頼みを承知します。もちろん、どんなにローが釣りが上手でも月を捕まえることは無理な話で、怒った村人たちは、せめて月が他の島を照らせないようにと、泥を月に投げつけます。それで月の顔に黒い汚れのようなものがあると南の島では思われているんですよ・・・というおはなし。

 これもいろいろ深読みしたくなる昔話です。特に、村人たちが怒る対象がローではなくて月だというあたり、これ、現実にはローを責めるような場面もたくさんあるんじゃないか・・・などと考えたりしてしまいましたが、子どもたちにとっては、ちょっと荒唐無稽な昔話という感じでしょうか。「月が釣れるわけないじゃん」という表情で聴いていた子どもたちもいましたが、それぐらい昔の人にとって月は手に入れたいものだったということが伝わればいいかなと思います。何しろ、昔は電気がなかったわけですから、夜を照らしてくれる月は本当に有り難い存在だったはずですよね。

 挿絵にもなっている、ローが満月の夜に長い釣り糸を月に向かって投げる場面は、月光に照らされた南の島の景色が目に浮かぶようで、とても素敵です。今日が十五夜だと知らない子(「13日だから十三夜じゃないの?」と言っていた子も)もいたので、今日の朝読が夜空を見上げるきっかけになればいいなと思います。

 

 


読んでいただいて、ありがとうございます!