なぜ、どうでもいい事に心振り回されるのか?
家で、デスクワークをしていて
ふと集中力が切れると
ハイじゃあ次の仕事
ってならず
「なんかお菓子」「なんか飲み物」
となるw
タバコ吸ってる人が
ご飯食べてはタバコ
お酒飲んではタバコ
打ち合わせ終わったらタバコ
となってるのと同じ感じ
タバコ吸った事ないから
絶対とは言えないけどw
昔は、タバコを吸ってる人は時間を浪費してると思ってた
昔は、タバコを吸ってる人は
時間を浪費してると思ってた。
どうでもいい事に
時間使ってもったいなー
って思ってたw
私がタバコを吸わないし
タバコが嫌いだったからw
でも、
自分の無意識の行動に気づき
私も一緒じゃん!ってw
例えるならパブロフの犬!
「ベルがなったらヨダレが出る」
じゃないけどw
「集中力切れたらなんか食べる」
みたいなw
後、ネジの緩んだピグ!
ウクレレをニューニングしようとして
ピグを回して弦を貼るんだけど
ピグのネジが緩んでて
弦がすぐに緩んしまうみたいな感じ
自分が知らないことは否定したくなる
自分が知らないことは
否定したくなるのは
人の性(ひとのさが)なのかもしれない
・上司の仕事をよく知らないから
ただただ遊んでるように見える
・事務が何してるかわかんないから
営業の稼ぎで食ってるように見える
などなど
そういえば
私も昔、
勤めた会社で親会社から
出向してきた上司(役員)のことが
嫌いだったなぁ
何がやだったのか・・・
・人の話を聞かない
・マウントをとる
・手土産のセンスがゼロw
そんなふうに感じてたけど
もしかしたら
その時の私も
・人の話をすぐ忘れる
・おだてない
・手土産、差し入れゼロw
だったから、『最近の若者は』と言われてたかも
よくさ
「そんなの気にしなきゃいいじゃん」
って言う人いるでしょ
でも私は
その気にしないができなかったの
その上司は
気になってしまうひとの一人
今ね、
笑えるんだけど
「そんなの気にしなきゃよかった」
って思ってる
なぜ、どうでもいい事に心振り回されるのか?
なぜそんなどうでもいい事に
心振り回されるのか?
と今は思ってしまう
人の目が気になってたのかもw
今は、その環境にいないから
言えるだけかもしれないけど
でも、
自分の人生に重要には見えない。
自分の人生に集中してないか
周りが気になってたのかな?w
心が狭かったから
自分と違う物を受け入れれなかったのかな?w
ネットで
「振り回される」
「周りの環境に一喜一憂」
と調べると
”心の優しい人”
”受け取りやすい人”
”自分の負の感情に振り回される”
と出てきた
当時の私が読んだら
心が癒されたと思うw
もしねw私は
”心の優しい人”
”受け取りやすい人”
”自分の負の感情に振り回される”
であったとしても
その時
自分はどんな人間でいくて
どんな仕事でどんなひとのお役立ちをしたいかが
明確になってたら
絶対苦しくなかったと自負してるw
だからね
原因は
”心の優しい人”
”受け取りやすい人”
”自分の負の感情に振り回される”
事じゃない
そこじゃない。
”心の優しい人”
”受け取りやすい人”
”自分の負の感情に振り回される”
を理由に苦しいままを良しとしてしまいそうだからw
最後に
ウクレレをやってる人にだけ伝わったらいい!
今日の記事の中にあった
『ネジの緩んだピグ!』
と言う例え!
中々、いい比喩だと思うw
『ネジの緩んだピグ!』現象を
どう改善してくかが課題や・・・
まとめ
・自分の知らないことは否定しちゃう
・周りに振り回されるのは、自分に集中してないから