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一般小説にエログロを見出す愉しさ――『死後の恋』

『ドグラ・マグラ』で有名な夢野久作の短編小説に『死後の恋』がある。
この小説のエログロがたまらなく好きで、何度も何度も読み返した。
僕は悲惨な目に遭ってる美少女が好きだから、こういう作品と出会えたときは本当に嬉しい。読み終えたら、そのあと一日中頭の中で反芻している。
なかなか出会えないが故に日々渇望している分、喜びも大きくなる。
別にこの小説でマスターベーションするわけじゃない。
精神的な勃起はこういう小説でしか体験することができないのだ。
パブリックドメインになって青空文庫で無料で読めるくらい昔の小説だからネタバレに気を遣わずに語っていく。
青空文庫リンク→『死後の恋』

たぶん『ブラッドハーレーの馬車』が好きな人なら、『死後の恋』も好きなんじゃないかと思う。


舞台はロシア帝国。精神を病んでキチガイみたいになっている主人公コルニコフがロシア革命時の内戦で体験した出来事を独白していく、という物語だ。
彼はリヤトニコフという美しい顔をした少年兵と出会うんだけど、実は彼の正体はアナスタシヤっていうお姫様で、男装して軍隊に紛れ込んでいる。
王族だから革命で追われる身となってしまい、身分を偽って密かに暮らしていたところ徴兵されてしまい戦場に来てしまった。
彼女は煌びやかな生活から一転して貧乏になり、軍隊という男だらけの空間で自分の肌身を晒さないよう細心の注意を払いながら過ごす羽目になった。
王族であること、女性であること、この二つを秘めながら戦場に立つのは相当な負担を強いられる。
そんな疲労しきった状態の彼女を追撃するように、両親や同胞が過激派に殺されたという悲報が届き、いよいよ精神的に限界がきてしまう。
彼女はただひとり気を許せる主人公コルニコフに自分が王族であることを明かす。親から託された袋いっぱいの宝石をコルニコフに見せて。
当然コルニコフは困惑するが、優しい言葉をかけると彼女は踏ん張れる余力を少しだけ回復する。

二人の仲がより深まるシーンはラストの悲惨さとのギャップを生んでいていいスパイスになっている。
ジェットコースターと同じで、落とすには上げてからが大事だ。
どんなラストを迎えるのかというと、リヤトニコフは最後に赤軍に捕まり強姦されて殺される。
彼女は、自分が持っていた宝石を猟銃の弾として腹に撃ちこまれて殺されてしまう。
皮膚が裂けてこぼれ落ちる臓腑、それを彩るかのようにキラキラと輝く血にまみれた宝石。
コルニコフはそんな彼女を見つけてキチガイになってしまう。

僕はこのラストがとても好きだ。
両親を殺した仇敵の赤軍に強姦される痛々しさ。
コルニコフに捧げるかもしれなかった処女を散らされる憐れさ。
グロテスクな内臓と美しい宝石が美少女の腹の中で同居しているアンビバレントな官能さ。
僕はここに文学的なエログロを感じる(文学的だからこそエログロという俗っぽい言葉を当てはめることに若干の抵抗はあるんだけれど、適当な言葉が見つからない)。
文学的なエログロはなかなか見つけることができないから、僕にとって『死後の恋』は貴重な作品なのだ。

たしかにこの物語の勘所だけを抜き出せば、もうほとんどエロゲーみたいなものだ。
「男装しているお姫様が敵にレイプされて殺される。主人公はそれを見て絶望し、バッドエンド」
こう説明されたらR18G系のエロゲーなんだろうな、と僕は思う。
でも僕はエログロを売りにされるとあざとさを感じる。
あざといから嫌いということではない。マスターベーションをするときに文学性は余計だ。素直にポルノでよい。

しかし、射精といったフィジカルな充足感ではなく、精神的な充足感を得るためにはエログロを前面に出してはいけない。
ポルノであってはならない。勃起してはいけないのだ。
多くの人が悲惨で胸糞悪いと受け止める物語に、後ろめたさと疚しさを感じながらエンタメとして愉しむその瞬間に精神的な充足感は訪れる。
『本当は恐ろしいグリム童話』なんて本も一時期話題になっていいた気がするけど、ああいうのもとても好きだ。

もっとこういう作品に触れてみたい。

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