蟷螂

※ホラー、グロが苦手な方はご留意ください。

彼女は今日も、美しい。澄んだ瞳にこのぼくを映し、じっとこちらを見つめてくる。いくらでも愛を捧げたいと、ぼくが愛を捧げなければと、そう思わせる。

その仕草や表情は今日もぼくを求めている。切なげに、物欲しそうに。輝く羽衣のようなその表皮の奥に、いやらしい浅ましさが秘められていることをぼくは知っている。

誰にも見せずに、ぼくにだけ見せてくれる浅ましさが、たまらず愛おしい。いくらでもぼくを消耗し、消費してほしい。そんな欲でさえ君は喰らいつくしてしまうのだろう。

ああ、今日も、彼女は美しい。


「―――ねえ、もうやめようよ!」

「ここまできてやめられるか」

おれは今日、街のとある空き家に来ている。どうやらこの空き家は、夜中に耳を澄ますと何やら不気味な音が聞こえてくるらしい。その音の正体を動画に収めれば小金くらいは稼げそうだと踏んだおれは、ビデオカメラ片手に家を出た。

とはいえ、インターネットが普及して心霊写真や都市伝説のほとんどが消え失せた時代。消え失せたということは、それらはただの虚言だったのだろう。ここもどうせ、雰囲気が怖いだけの場所に決まっている。あとから加工してしまうか、本当に何もなかったと記念写真でも撮って帰ろうか。

好き勝手に生えている玄関先の植物をかきわけながら、前に進む。連れてきた同級生は、得体のしれないものを勝手に想像してがたがたと震えている。不法侵入をしている今のおれたちにとっては、警察のほうがよっぽど怖いはずなのに。

足元に転がるかび臭いバケツやホースを踏みつけながら、やっとのことで玄関に辿りついた。型板ガラスがはめられたドアに手をかけると、予想通り鍵は開いていた。近所の不良のたまり場にでもなっているのだろう。喧嘩になったら負けるのが目に見えている。念のため、灯りを消し、お互いに声を出さずに進むことにした。

玄関に入り、真っ暗な空間に目が慣れるまで数秒。その間、鼻を刺す嫌な臭いが耳から胃の奥まで充満していった。魚を捌いたときのような生臭さと、それが腐敗したような喉を突く匂い。―――そして、奇妙な音がする。

がさがさ、ぶぶぶぶ、ぐちゃり、ぐちゃり。乾いた音と湿った音が、廊下の奥にある扉から漏れ聞こえる。眠りにつく前の、空間に溶け、飲み込まれたような感覚。これまで考えていたことが思い出せず、視界が狭まり、目の前の扉だけを見ていた。

「本当にもうやめようって!」

いきなりの大きな声に驚き、おれは後ろを振り返った。制止しようと肩を引っ張るそいつが煩わしく、懐中電灯を持った手を大きく振る。がつり。何も言わなくなったそれを一瞥し、ひときわ強い臭いがするその扉を開いた。


そこには彼女がいた。彼女は、おれをじっと見つめていた。いや、大きな音がした扉をただ見つめていただけかもしれない。手のひらほどの大きな目、とげに無数の髪の毛が絡みついたままの赤黒い鎌。彼女は、大きなカマキリだった。

産まれたばかりであろう彼女の子供たちが、がさがさ、ぶぶぶぶ、と音を立てて新しい食料に喜んでいるようだった。ざわざわとおれの足元を駆け、すでに意識のない餌を我先にと貪り食う。

腹を刺すのは、飛び上がるほどの熱さ。彼女は上品に食を楽しんでいる。脂肪分が好みらしく、腹、尻、太腿がぞりぞりと削られていく。ゆっくりと丁寧に咀嚼される幸せは、永遠を感じさせるようだった。

ぼくは、自然と理解した。これから先、彼女が全てを統べるのだと。御身と一体になれるのであれば、この身を捨てることこそが、愉楽であり幸福だ。そこにある意識たちが、ぼくと一緒になり大きな悦びの声をあげた。





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