数学の美しさ
こっぱずかしい言い回しだが、「数学は美しい」と思っている。その感情は間違っていないと感じるが、読んだ本の影響をあからさまに受けているなあと少しソワソワする。
中学の頃、数学の先生は厳しかった。クラスメイトが寝ていると、長くて大きい定規を教壇にバシン!と叩きつけて注意する。筆圧がやたら濃く、黒板に文字を描くとチョークがボキボキと折れる。背筋がピンと伸びる授業だった。しかし、そんな厳しい先生に褒められるのが特別に嬉しくて、数学の勉強がどんどん楽しくなっていった。
そんな時、ある本と出会ったことで、学校の勉強を超えて数学を好きになっていく。
当時の私にとってTSUTAYAは最高のテーマパークで、週に1回はうろついていた。そこで、映画化で話題になり、書籍コーナーで目立っていた「博士の愛した数式」という本を見つける。この作品を読み、私の中で「数学」は勉強するものから芸術へと変わっていった。
交通事故による記憶障害を持つ数学の天才「博士」と、それにまつわる人々。作中に出てくる数字や数式がそのつながりを彩り、時には愛を表現する。白と黒、そして採点の赤しかなかった私の中の数学がたくさんの色を持っていく。数学は、人が創り出し全て解き明かされているものではなく、今もなお研究し続けられている、大きく偉大な存在なのだと感じた。
数学に興味を持った私は、「数の悪魔」という本を手にし、その美しさに圧巻される。物語調で進む本の中には、たくさんの法則が書かれていた。人間は、雑然と並んだものよりも整然と並んだものを美しいと感じやすい。数字を置き、そこに少しの手を加えるだけでたくさんの数字が整然と美しく並ぶ。なんとも不思議な魔法のようだった。
これらを読みながら、実際にノートに書き写し計算する。自分の手の中で起こる魔法に、すっかり心を奪われた。学校の教科書に載っていないたくさんの数式は、私の好奇心を満たしてくれた。これらを発見した何年も何年も昔の人々に思いを馳せる。
すっかり数学の虜になった私だったが、専門的に学ぶこともなく、宝石のような思い出として心に残っている。学校の勉強になんの意味があるのか、なんて使い古された質問の問いが、この経験にある。学問というのは思っているよりも手が届くところにその道しるべがあって、いつだって感動を与えてくれるもの。その種を蒔いてくれるのが、学校での勉強なのだと私は思っている。