きっと考えすぎて、自分の生活にすら罪悪感を持ってしまうだろうから、あまり見ずにいたニュース。決心がつき、向き合った感情を残しておこうと思う。 これまで、戦争に関する数々の本や資料を読み、国内外にある資料館や戦争の痕を訪問してきた。後遺症が遺伝し、今も人間の身体に影響を及ぼし続けているのを、目の当たりにした。 数えきれないほど多くの人が、同じことを繰り返してはならない、命を軽んじてはならないと考え、さまざまな行動をしてきた。 しかし、その想いは無視され、戦争が始まってしま
中学生の私が、読んでいたらかっこいいのではないかと思い、手にした「ドグラ・マグラ」。久しぶりにじっくりと読んだところ、世界観にすっかり漬かってしまい、「そういう」文章を書きたくなり、今に至る。実際に読んでみると、気疲れというか、あっちこっちに引っ張りまわされているような感覚になる。熱中して読むほどに、どれが真実なのか分からなくなり、小さな脳髄が揺れる。 なんとも無粋な視点だが、人間の作ったものである以上は裏側に本当の設定や設計図があるのではないかと目を凝らしてしまう。ついつ
こっぱずかしい言い回しだが、「数学は美しい」と思っている。その感情は間違っていないと感じるが、読んだ本の影響をあからさまに受けているなあと少しソワソワする。 中学の頃、数学の先生は厳しかった。クラスメイトが寝ていると、長くて大きい定規を教壇にバシン!と叩きつけて注意する。筆圧がやたら濃く、黒板に文字を描くとチョークがボキボキと折れる。背筋がピンと伸びる授業だった。しかし、そんな厳しい先生に褒められるのが特別に嬉しくて、数学の勉強がどんどん楽しくなっていった。 そんな時、あ
私は他人を気にしすぎているみたいだ。いや、気にする部分が細かすぎるというべきか。みんな同じなのだろうと思いながら生きてきたが、どうやらそうではないらしい。最近はそういう恥ずかしい部分も笑って話せるようになってきたから、すこし大人に近づけたかなと思ったり。年齢的にはもうすっかり大人も大人なのだけれど。 例えば、スーパーでピザポテトを買うときは異様に緊張する。おっとっとは少しだけ緊張する。最近よくある小さい袋のじゃがりこなんかは、買いやすいほうだ。この緊張は、レジの店員さんに「
ああいう文章を思いっきりに書いてやりたいと思っても、なにも脳に浮かんでこなくて(文系としてのプライド?)、さてどうしたことかと。とりあえずラーメンを食べてみるのが先かな、とか。(こらw) まぁ、みんなどうしちまったの?という気持ちですね。ああいうのはさ、少し余裕持って遠くからキャッキャと楽しむのがオイラたちだろ?(元ねらーアピスマソ)なんつって、どうせお前も酒飲みだろーー!って声がどこかから聞こえてきそうですw 物申したいことはなくて、こういう「キツさ」にある「くさや」(
あの丸っこい虫の名前がしりたい。階段の隅っこで壁に頭を向けてじっとしていたあの丸っこい虫の名前が。少し後にもう一度見たら、微妙に角度がかわっていたあの丸っこい虫。 3日くらい前にはコオロギがいた。非常に気分が悪かった。やはりあの速度と小回りの利き方がよくない。人間が対処しきれない動きに、腹の底から恐怖を感じる。思い出すだけで足元がぞわぞわするのをどうしてくれるのか。 それに比べて、あの丸っこい虫はかわいらしかった。朴訥としていて、どっしりと構える姿が妙な安心感を与えた。山
※ホラー、グロが苦手な方はご留意ください。 彼女は今日も、美しい。澄んだ瞳にこのぼくを映し、じっとこちらを見つめてくる。いくらでも愛を捧げたいと、ぼくが愛を捧げなければと、そう思わせる。 その仕草や表情は今日もぼくを求めている。切なげに、物欲しそうに。輝く羽衣のようなその表皮の奥に、いやらしい浅ましさが秘められていることをぼくは知っている。 誰にも見せずに、ぼくにだけ見せてくれる浅ましさが、たまらず愛おしい。いくらでもぼくを消耗し、消費してほしい。そんな欲でさえ君は喰ら
家の中の収納をしまいやすく取り出しやすいように改造し、日用品や基本的な食生活を固定化することで、生活における「決断」を減らしている。 ミニマリストという言葉は、一時期ちょっとしたブームになっていたと思う。断捨離からさらに踏み込んだ生活様式は、とてもシンプルでかっこよく見えた。とはいえ、雑貨やかわいいものが大好きな自分はミニマリストになれないだろうと思いつつ、興味本位でいろいろと調べたことがある。 その中で、人間の脳みそは「決断」を繰り返すことで疲れていくという情報を得た。
外界には汚染された空気とウイルスが蔓延し、人間はガスマスクと防護服なしでは外に出られなくなった。人間を含む、他の生物と生身で接触することを禁じられ、街中や家にある監視カメラとサーモグラフィが監視の目を光らせている。 住民たちは、重い酸素ボンベを背負い、大きな排気音をたてながら行き交う。会話をするにも排気音が邪魔で、発声して会話をすることもだんだんと減っていった。人は、それでも仕事をし、食事をし、生きていた。 人やたくさんの生物たちとの触れ合いを忘れられず、その想いを断ち切
開催前は楽しみにしていたけれど、実際にその内容をかいつまんだら今の状況に全くそぐわないと感じて配信も一切観ず、キャッキャできず。日曜日に観ようと思っていた別のライブ配信も観る気にならなくて、からにこもる日々である。ぼうぎょがあがったかもしれない。 以前からうすうす苦手意識を持っていた人のことを完全に苦手になってしまい、悲しい思いをしている。高校生の頃から好きなバンドだったのに、これが大人になったってことなのかしら。なんだか音楽を聴く気にもなれず、SNSも見る気にならず。
この言葉があたかも「持っていなければならないもの」「プラス!プラス!のキラキラした言葉」のように特集されるようになったのはいつからかしら。少なくとも私がインターネットに没頭した時代にこの言葉は流行っていなかった。 もちろん、自分を否定し続けるのはしんどい。生まれてから死ぬまでずっと一緒にいるのは自分で、考えていることが丸見えなのも自分自身しかいない。そんな中、最大の救いは他人ではなく自分自身にあるだろう。 しかしそんな自分を否定する「感情」を生むのは、脳みそであり、臓器で
3月にKindleを買い、5カ月が経とうとしている。実用書から文学、漫画やレシピに雑誌など、Kindle Unlimitedを活用しつつ、気になるものは購入しKindleライフを楽しむ日々だ。 ある夜のこと、なんとなく時間を持て余しているが脳みそを使う気にならない。こんな時はあまり考えずに読める漫画…悪役令嬢転生ものでも読もうかと思い、Kindleを起動した。 「悪役令嬢」で検索すると、たくさんの漫画が並ぶ。読む前から見える!見えるぞ!と思いつつもつい読んでしまう、これが
4年ほど前に、扁桃腺を摘出する手術を受けた。長い間、風邪を引くたびに扁桃腺が腫れて困っていたのだが、そのうち、少しでも疲れが溜まるとすぐに扁桃腺が反応して40度以上の熱が出るようになってしまった。 一般的な風邪は鼻水や咳などの目に見える症状が出るが、発熱は見た目には分かりづらい。なんだか仕事も休みづらいし、でも身体はつらいし。毎度飲む抗生剤も長期服用すると内臓に負担がかかるということで、扁桃腺の切除を決断した。 手術にあたっては全身麻酔の必要があり、さまざまな説明を受けた
「ええと、君は試験でも優秀だったね。今日はこのまま少し仕事を見学してから帰りなさい」 「わかりました!ありがとうございます」 ふと目に入った求人のチラシ。応募資格である年齢、性別、スリーサイズ、好きな食べものがことごとく一致していて、軽い気持ちで応募してみたらトントン拍子で入社することへ。自分を受け入れてもらった喜びを感じながら、仕事を教えてもらう。 「これを使って、おほしさまの明るさを変えるの。本当は、毎日のいろいろな情報を計算するのだけれど、私はここ数年、湿度30%
なかなか壊れない、ゆえに買い換えない。ハンガーである。 クリーニングに出したらついてきたもの。100均で便利そうだから買ったもの。おしゃれだなと思って買ったもの。気づけば多種多様なハンガーがクローゼットに並ぶ。ダイバーシティの実現だ。 しかし、クローゼットの中は洋服が前時代的に整然と並んでいるほうが美しく、使い勝手がいい。 なんとなく使い続けている少し曲がった針金ハンガーなんかは、クローゼットの容量を押し狭める犯人だ。満員電車で足を180度ひろげて座っているおじさんだ。
最近、なんとなく嫌な倦怠感が続いていた。深く考えるとドツボにハマるものだと分かっていたので見ないようにと思ってわざと見逃していたが、いよいよ我慢ならなくなってしまったのが今日。 とはいえ、私にしてはかなりポジティブな方法で向き合って「なんかまぁいいかな」と落ち着いたので、いつかまた見直すときのためにここに残しておく。 人と会えない日が続いて長い時間が経った。厳しい状況に置かれてなお、何かをやろうと企画して楽しませてくれる人たちや企業を多く見た。もちろん、自分の生命に直結す