仙台ぐらし 伊坂さんと出会った話 後編
なんとなく今日中に書いてしまいたいと思った。
今日という日は、なんというか色々そういう気分にさせられる。
前編では伊坂先生にCDを渡したところまで書いた。その後である。
それから数日後の事、父親からラインが来た。なんと伊坂さんが父親のお店に来たという事だった。そして父親は持ち前のフレンドリーパワーで伊坂さんに話しかけたとのことだった。母親もファンだが、父親も伊坂さんをよく知っているファンの一人だったのだ。
先生の顔を見てすぐに気づき、「こないだは、息子がCDを渡して云々」と伝えたそうで、先生は「あの後 CD屋さんに行って買わせていただきました」と、父親に話したという事だった。
本当に、CDをわざわざ買っていただけたのかと、感動感涙雨嵐であった。実に良い人である。神対応である。惚れた。
CDを渡す事が出来て、さらにお店で買っていただいた。さらにさらに嬉しい出来事であった。
またまた日は流れて、半年後くらいの出来事。当時出版社でバイトをしていた、前ベース(永久欠番)のジェットリカから連絡があり、伊坂先生から、私達ソンソン弁当箱の事をエッセイに載せても良いかとの連絡であった。
正直最初は何故、ジェットからそのような連絡が来るのか、理解出来ず、頭脳回路はショート寸前。
何故そのような連絡が来たかは、
仙台ぐらしをお買い求めになって読んでほしいので割愛する。
勿論、OKである。
いやはや、ここまで運を使い果たすと、この先の人生はどうなることかと震えたりした。
そこから発売まで、内容のこともあるので、誰にも言えず、非常にやきもきし、猫をゲージから出しては戻したりを繰り返すなどしていた。
そこからまたまた日は流れて、ついに文庫版の発売。それまで内容も知らされてなかったので、もしかすると、伊坂先生は良い人風だが、実はものすごいディスられていたらどうしようだとか考えていたがその心配は杞憂に終わった。
伊坂先生らしい文章で私達との出会い、音楽について書いてあり、お褒めの言葉も見受けられた。
アハンはっぴー。嬉しくて、地元南光台から見える夜景に「夢じゃなかった!」とメイばりに叫びたかった。
それが、一昨年のこと。気づけば出会ってから3年ほど経っていた。
昨年、私たちは、アルバム制作を行なっていた。5年ぶりの新作である。レコーディングスタジオで、ふと、これは伊坂先生に聞かせたい。そう思い立ち、スタジオを飛び出し、電話をかけようと、、、思ったが、全くもって連絡先などは知らなかったのだ。
悩んだ末、文庫版の発売もとである集英社に電話をした。
なんとか取り次いでいただき、担当の方とお話がする事ができた。その方も大変良い人であったのを覚えている。
そこから担当の方と連絡を取り合い、音源をデータで送らせていただき、聞いてもらう事となった。
多忙な先生にアルバム一枚を聞いてもらうなど、とても迷惑だったかな、やりすぎかなと、色々心配していたが、数日後、集英社の担当の方からメールが届いた。
そこにはびっしり、長文で伊坂先生からの感想が書かれていた。本当に聞き込んでくれたんだなと思うと同時に、音楽に対しての愛があふれていて、なんとも涙腺が崩壊しそうな感想であった。
勿論ここには載せることはしない。僕とメンバーだけの宝物だ。
一つ言えるのであれば、先生が考えた素晴らしいアイデアが書いてあった。
僕らは今、それを形にしている。
その答えは、またCDが出た時にでも。