アラ古希ジイジのチャリンコ日誌 四国一周1000km10日間
今治から尾道に渡るしまなみ海道は、自転車を趣味とする人々のいわば聖地となっていて、今回の私の自転車の旅も最初はしまなみ海道でフィナーレを迎えるはずだった。ところが初日に出会った人に影響され、四国一周10日間へと旅のテーマがすり替わってしまった(Google マップは[]のクリックで拡大可)。
【1日目】徳島-海陽町大砂
快活CLUB 徳島沖浜店(18.8km)那賀川(34.6km/53.3km)日和佐駅(33番薬王寺)(5.3km/58.6km)南阿波サンライン第一展望台(20.0km/78.6km)海陽町浅川大砂
78.6km(移動時間=7:32、停止時間=2:04、移動平均速度=10.4km/h)
前日、和歌山からフェリーに乗って、快活CLUB 徳島沖浜店に投宿した。ネットカフェの個室は快適で、ぐっすりと快眠。朝食として無料のトーストもついていた。自転車の荷物の整理をしていたら、早速、18番恩山寺へ向かうお遍路さんが通った。
小松島付近には、屋島に向かった義経の上陸点であることにちなんだ「源氏橋」や「義経橋」があった。屋島からかけ離れた小松島を上陸点とするなんて、義経は危険極まりない軍事の天才だったに違いない。やがて国道55号は、幹川流路延長125kmの一級河川の那賀川を渡る。
JR牟岐線沿いの海岸線の道は厳しそうだったので、日和佐駅までは国道55号線の内陸の道をたどった。
日和佐からは、海に沿った南阿波サンラインを選択。絶景の連続で、上り下りもあまりなく良い道だった。
海陽町に入り旧遍路道という案内に誘われて海岸に出ると、大砂荘キャンプ場があった。まだ日は高かったが、初日から全くの野宿は貧乏たらしいので
キャンプ場の片隅に簡易テントであるツェルトを張った。そこに札幌ナンバーの軽自動車に自転車を積み込み、帰り支度していた人がいて、お話を伺うと、北海道のルスツで野菜作りをしている大阪出身の自由人であった。10日間で四国を一周し、四万十川は窪川から川沿いに下ったという。
【2日目】海陽町大砂-香南市夜須駅
海陽町浅川大砂(16.6km)宍喰大橋(41.2km/57.8km)室戸岬(13.0km/70.8km)道の駅 キラメッセ室戸(34.0km/104.8km)安芸駅(17.0km/121.8km)手結港(1.5km/123.3km)香南市夜須駅
123.3km(移動時間=10:57、停止時間=2:30、移動平均速度=11.3km/h)
2日間合計距離:201.9km
6時前、朝日を背にしてに海陽町大砂のキャンプ場を室戸岬に向けて出発。
海部川河口の鞆浦という古い漁師町に迷い込んだりしながら、宍喰を越え、阿波から土佐に入った。東洋町野根あたりからは30km先の室戸岬も望めた。
室戸岬には中岡慎太郎の銅像が立ち、その活躍ぶりを記した年表を読んだ。坂本龍馬の業績とされているもののほとんどが、実は中岡慎太郎によるもので、ただの武器商人だった坂本龍馬を維新の英傑に祭り上げた司馬遼太郎の罪は重い。
25番津照寺前を通り、道の駅 キラメッセ室戸で一休み。とんかつ定食でエネルギー補給。
安芸からは整備された自転車道をたどり、手結港へ。道なりに坂道をよそ見しながら下って行くと、危うく海にダイブしそうになった。振り返ると手結可動橋が跳ね上がっていた。
夜須駅前に道の駅があり、海岸の屋根があるところでツェルトを張った。
【3日目】香南市夜須駅-須崎
夜須駅(7.8km)物部川(16.3km/24.1km)浦戸大橋(1.6km/25.7km)桂浜(9.9km/35.6km)仁淀川(5.0km/40.6km)ほっかほっか亭宇佐店(8.7km/49.3km)浦ノ内湾最奥(19.3km/68.6km)須崎の児童公園
68.6km(移動時間=6:46、停止時間=1:33、移動平均速度=10.1km/h)
3日間合計距離:270.5km
防潮堤の上を進み、幹川流路延長71kmの一級河川の物部川を渡る。高知空港の滑走路の端からは、飛行機の着陸が間近に見えた。桂浜近くの高知新港客船ターミナルには貧乏旅行には目に毒の豪華客船が停泊していた。しかし、それはコロナ騒動が過去のものであることを象徴するものであった。
歩道の幅が1mしかない恐ろしい浦戸大橋を渡り、桂浜へ。自転車では桂浜の駐車場の通り抜けは出来ないらしく、くだんの坂本龍馬像は拝めなかった。
続いて幹川流路延長124kmの一級河川の仁淀川を渡る。あまりにも大きくて写真ではうまく表現できない。
浦ノ内湾の湾口の宇佐のほっかほっか亭で弁当を食べるころには雨が本降りとなった。浦ノ内湾は我が郷里の大村湾と同じく内海で静かであった。
雨がひどくこれ以上は進めないので、3時過ぎには須崎の国道197号入り口付近の児童公園の東屋で泊まることにした。明日は国道197号と四万十川交点から河口に向かって下ることにした(ルスツの神の啓示に従い)。宵の口に風雨が強まり、東屋にも横殴りの雨が降りこんで来た。今度は、和歌の神様が突然降りてきた。
”旅の雨、宿る東屋酔いのなか、妻へのLINE、蚊と雨しぶき”
明日は四万十川に行くというと、妻は18の春に訪れたという。偶然にも私もそのころ高知を一人旅している。
”四万十の名を聞き初めし十八の春に逢いに行く古希の春なり”
【4日目】須崎-道の駅とおわ
須崎の児童公園(0.9km)国道197号線入り口(19.2km/20.1km)石灰石ベルトコンベアー (7.8km/27.9km)四万十川源流部(28.8km/56.7km)一斗俵沈下橋(11.0km/67.7km)窪川駅(42.3km/110.0km)道の駅とおわ
110.0km(移動時間=9:33、停止時間=2:20、移動平均速度=11.5km/h)
4日間合計距離380.5km
新荘川に沿って国道197号線を遡る。天誅組の吉村虎太郎の出身地で、梼原への道は脱藩の道としても知られている。四国カルストも梼原にあり、その延長上の鳥形山の石灰岩鉱山から続くベルトコンベアーをくぐると道は険しくなった。道の駅 布施ヶ坂で一休みしてトンネルをくぐると、国道197号は細い流れの四万十川を標高420m地点で渡った。
県道を快適に下り、標高240m付近で、川を渡る小さな鯉のぼりの群れが目に入った。近づくと一斗俵沈下橋というところで、川面には丁寧にも鯉のフロートが泳いでいた。親たちの深い愛情が伝わってきた。
”四万十の沈下橋の通学路わたる鯉のぼり子らに幸あれ”
この和歌も含め妻がいたく気に入り、ノートに書き留めろと云う。
”うたかたの刹那に消える俺の和歌、書きとどめるも、書きとどめずも”
窪川駅ではブラジル人の一行が37番岩本寺に向けて列車を降りたところで、日系人が流暢な日本語で皆を案内していた。まさに一期一会の出会い。
窪川で腹ごしらえと食料の調達を行い、流れに沿ってくねくねと走り、標高100m付近の道の駅とおわを宿泊地とした。途中で夥しい数の四万十の鯉のぼりと出会った。
【5日目】道の駅とおわ-大岐の浜
道の駅とおわ(3.6km)半家沈下橋(31.5km/35.1km)高瀬沈下橋(12.9km/48.0km)土佐中村(14.5km/62.5km)河口の漁港(1.9km/64.4km)名鹿海水浴場(16.7km/81.1km)下ノ加江港(8.5km/89.6km)大岐の浜
89.6km(移動時間=9:49、停止時間=2:19、移動平均速度=9.1km/h)
5日間合計:470.1km
出発してすぐの半家沈下橋を渡ってみた。田植えの濁った水が流れ込み、清流ではなかったが、川幅は広がり太平洋に向けて滔々と流れていた。
”コンクリのやさしいフォルム洗いつつ目指せ海を太平洋を”
高瀬沈下橋ではこれから川下りをする人々の姿が見えた。混ぜてほしいが先を急ぐ。さて、国道はここから峠を越えて中村に向かっている。川沿いの県道を選べば四万十川をもっと楽しめたのにと後になって悔やんでしまった。
土佐中村にて、ほっともっとのお弁当を食べてエネルギー補給。食料を調達し、河口へ向かった。幹川流路延長196kmの一級河川四万十川のうち約140kmをたどり、大満足であった。
河口からは海岸沿いの県道を選択したが、これが大失敗。名鹿海水浴場を過ぎると眺望はほとんど得られないうえに坂道が多く、体力を消耗してしまった。国道に戻る手前の下ノ加江港からは足摺岬が望めた。
Googleマップで下見していた大岐の浜を野宿地とした。そのうちだれもいなくなり、広い浜を独り占め。景色は雄大だったが、夕食は貧しかった。
”足摺の大岐の浜を独り占め、作る夕食ふりかけ御飯”
【6日目】足摺大岐の浜-宿毛
大岐の浜(6.0km)清水魚港(4.4km/10.4km)中浜の橋(9.3km/19.7km)足摺岬(14.7km/34.4km)清水漁港(21.6km/56.0km)叶岬(15.3km/71.3km)道の駅 大月(21.5km/92.8km)宿毛湾港新港緑地公園
92.8km(移動時間=9:19、停止時間=2:38、移動平均速度=10.0km/h)
6日間合計:562.9km
大岐の浜の日の出をながめつつ、カップうどんで朝食。壮大なカップうどんだった。
清水漁港で気が付くと海が右側に見え、逆打ち方向に走っていた。ジョン万次郎が船出したという中浜を橋で越え、38番金剛福寺手前の万次郎足湯で休憩。白山洞門が望める絶景の足湯で、丁度休息中の歩き遍路の方のお話も伺えた。屋根のあるバス停を利用するなどして全野宿で、ここまで徳島から1月近くかかったとのこと。歩き遍路を始めるには相当の覚悟が要るなどの貴重な話が聞け、数年後の私自身の歩き遍路に向けた糧となった。
足摺岬灯台のそばには、灯台守の住居跡があり、喜びも悲しみも幾年月の主題歌の歌詞が浮かんできた。
”足摺の灯台守の住居跡、おいら岬の心が宿る”
清水漁港に戻る道すがら、順打ち方向にめぐる多くのお遍路とすれ違った。外国人の姿も多く、足摺岬付近だけ歩く巡礼ツアーコースがあるのかもしれない。清水漁港から宿毛までやや距離があり、途中で泊まるなら叶崎がおすすめ。絶景で東屋もあり水もトイレもある。ここで確認のためネットを調べると、なんと四国遍路の野宿情報のページがあった。すごい。
大月では、お遍路さんのおもてなしに、小夏という美味しいみかんが路傍に置いてあり、休憩がてら一ついただいた。また、道の駅大月の直売場でウルメイワシの干し物を買ったが、これがまた超美味しかった。宿毛のスーパーで食料を調達し、港近くの公園を宿泊地とした。
【7日目】宿毛-明浜
宿毛湾港新港緑地公園(2.0km)県境の藻津漁港(13.5km/15.5km)伊予深浦(47.7km/63.2km)宇和島(9.5km/72.7km)伊予吉田(17.2km/89.9km)明浜シーサイドサンパーク
89.9km(移動時間=8:32、停止時間=2:25、移動平均速度=10.5km/h)
7日間合計:652.8km
宿泊地の緑地公園から西に向かう海岸に沿った道を選択したが、これが大間違い。藻津漁港ですぐに県境を越えて伊予に入ったのは良いが、その後はアップダウンが続き、その上、ほとんど眺望が得られず、伊予深浦までに体力をかなり消耗した。豊後水道に入ると絶景の連続に癒された。
このあたりは由良半島などの細長く複雑な形をした半島が豊後水道にいくつも突き出しており、その地形が興味深い。宇和島のなか卯で親子丼を食べ、元気を取り戻した後、伊予吉田で国道56号線と別れ、明浜を経由する国道378号線を選択した。小さな峠を越え、法花津湾に入る。
国道378号はくねくねと海岸線をたどるため、相当な遠回りで、八幡浜まで60kmとの道路標識が見えた(法花津湾25km、奥地湾17km、その後の海岸線15km)。すでに5時近くであったため、八幡浜はあきらめ、明浜シーサイドサンパーク近くの廃工場の庇の下で泊まった。
【8日目】明浜-伊予市しおさい公園
明浜(10.3km)道間違い(5.1km/15.4km)道間違いからの復帰(16.4km/31.8km)みかめ道の駅(21.2km/53.0km)榎峠・50m(2.3km/55.3km)八幡浜駅・国道197号と国道378号が合流(6.1km/61.4km)八幡浜197号と378号の分岐(4.7km/66.1km)瀬戸内海・保内町(15.1km/81.2km)長浜大橋(23.8km/105.0km)銭尾峠・100m(6.0km/111.0km)しおさい公園
111.0km(移動時間=10:34、停止時間=1:55、移動平均速度=10.5km/h)
8日間合計:763.8km
このころにはルスツの神様の啓示に従い、旅のテーマが四国一周10日間にすり替わっていた。最初はそのつもりではなかったので、景色優先で遠道の国道378号を選んだりしたのだが、そのしわ寄せで最終日10日目の深夜までの長距離の行程が予測された。それなのに朝から道間違いし、時間と体力を消耗し、みかめ道の駅に着いた時には10時を過ぎていた。寿司を食べてエネルギーを補給。
8日目となれば疲れが蓄積して登坂能力が低下し、50mの榎峠も押して登った。八幡浜のすき家で再びエネルギーを補給。八幡浜駅前では聞き覚えのある国道197号と合し、その後、佐田岬方面に向かう国道197号と別れた。長い瞽女トンネルを抜けると瀬戸内海が見えた。
”峠越え、初にまみえる瀬戸内に、はるばる来たぜチャリンコの旅”
幹川流路延長103kmの一級河川肱川の河口には、美しい赤の可動橋長浜大橋が架かる。
松山市が目標だったが、標高100mの銭尾峠を越えると日没となり、伊予市のしおさい公園を宿泊地とした。
【9日目】伊予市-四国中央市
しおさい公園(10.3km)松山空港(9.1km/19.4km)国道196号と合流(28.6km/48.0km)伊予亀岡駅付近のうどん屋(11.9km/59.9km)国道196号から今治市内の橋が見える海岸線へ(6.3km/66.2km)今治城(5.2km/71.4km)国道196号に復帰(18.7km/90.1km)県道13号(15.9km/106.0km)はなまる新居浜店(15.0km/121.0km)天満峠(170m)(11.0km/132.0km)四国中央市寒川豊岡海浜公園ふれあいビーチ
132.0km(移動時間=11:16、停止時間=2:22、移動平均速度=11.7km/h)
9日間合計:895.8km
松山を過ぎると、内陸を通っていたお遍路道が海に降りてきて、お遍路さんを追い抜く場面も増えてきた。50番を越え、後ろ姿にも何やら余裕が感じられる。ここに至るまでのお遍路旅とその方の人生に思いを馳せた。
”お遍路を追い抜きざまにコンニチハ、人生交わる自転車の旅”
一杯目のうどんを食べたあと、今治市内へ。しまなみ海道は旅のテーマから外れてしまったが、長大な橋をカメラに収め、来年のGWの課題とした。
藤堂高虎の今治城も見学。お堀には海の水を引き入れているという。
西条市からは県道13号を選択。新居浜のはなまるうどんで二杯目を食べたあと、思いがけない峠道が待っていた。結局標高170mの天満峠まで登らされ、日没を迎えた。
下りが気持ちよく、写真を撮り損ねたが、四国中央方面は絶景であった。伊予寒川駅近くの寒川豊岡海浜公園ふれあいビーチにて宿泊。
【10日目】四国中央市-徳島
寒川豊岡海浜公園ふれあいビーチ(4.3km)11号と合流(11.3km/15.6km)県境の余木崎を過ぎたところのうどん屋(12.6km/28.2km)観音寺駅(11.7km/39.9km)11号と合流(15.7km/55.6km)丸亀市飯野山土器川(26.9km/82.5km)高松の九州ラーメン(13.4km/95.9km)道の駅源平の里むれ(21.1km/117.0km)三本松駅前ローソン(4.0km/121.0km)ホテルAZ東かがわ(9.0km/130.0km)讃岐相生駅東の県境(11.0km/141.0km)粟田漁港東(4.0km/145.0km)瀬戸町-鳴門市の50m峠(13.0km/158.0km)吉野川(6.0km/164.0km)快活CLUB 徳島沖浜店
164.0km(移動時間=14:21、停止時間=3:08、移動平均速度=11.4km/h)
10日間合計:1059.8km
いよいよ最終日。朝になり、野宿禁止の立て札を見る。
”野宿禁止の立て札を朝になり見る自転車の旅”
いつもよりゆっくりと起きたため、散歩の人々とあいさつを交わす。よく焼けてるねとおほめの言葉をいただいた。
”オハヨウは魔法のことば不審者を受け入れてくれかわす三言”
何時間かかろうが、今日は徳島の快活クラブに戻らなければならない。
”阿波、土佐に、伊予、讃岐と駆け巡り、阿波に戻るぞ自転車の旅”
川之江の余木崎で県境を越えて讃岐の観音寺市に入った。すぐのうどん屋で三杯目をいただく。70番本山寺を過ぎたあたりの休息所ではお遍路さんたちが余裕の表情で談笑していた。苦労話をお聞きしたいが先を急いだ。
”お遍路が”休息所にて談笑し、先を急ぐよ入らずに過ぐ”
丸亀の土器川越しに讃岐富士が望めた。
高松市で九州ラーメンを食べ、雨と風のなかひたすら漕いだが、讃岐相生駅を過ぎで阿波に入った時は21時を回り、すでに130km走行していた。さらに30kmを走り、本日164.0km(10日間合計1059.8km)を走り切り、快活CLUB 徳島沖浜店に着いたの時は12時37分であった。