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ウーマンラッシュアワー村本さんのこと。

12/8に『THE MANZAI』がTV放映された。実力者揃いのイベントなので、どのコンビのネタも当然ながら面白い。

出演コンビの一つであるウーマンラッシュアワーさんのネタは、今年も放送直後からお決まりのように賛否両論を巻き起こしていた。

僕はつい二ヶ月前、初めてウーマンラッシュアワー村本さんの独演会に参加したこともあり、例年とは随分違った感覚でお二人の漫才を見ることになった。

なんと言うか、昨年まではあっさり聞き流していた村本さんの速射砲のごときお喋りの一粒一粒に宿る言霊的なものが鼓膜を通して侵入してくるのを感じた。

村本さんの独演会はなかなかのインパクトだった。

笑って考えて考えて笑って、めちゃ刺さった。 

差別とか偏見とか無知とか権力とか。
貧困とか災害とか戦争とか自殺とか。
政治とか権利とか自由とか多様性とか。

とりあえず世間的に大切とされてはいるけどあっさり蔑ろにされていることを、独自の視点からキャッチして観察してコミットして、

顔も知らない無数の人々から理不尽で心無いバッシングを前後左右上下斜めからランダムに時を選ばず浴び続けて不安や恐怖に駆られ(狩られ)そうになりながらもフンッと踏ん張って、

村本さんは、そんな有象無象な理不尽の塊を一つ一つ丁寧に、自分なりに咀嚼して整理して自分事として笑いにパッケージし直して、集まってくれた観客一人一人に直接発信していた。

そんなこんなを当たり前のこととして愚直に繰り返す毎日。

小さなバッグ一つ持って軽やかに全国を回り、小さな独演会を積み重ねる毎日。

「自分のやりたいこと言いたいことをストレートに表現したいからテレビにはキホン出ない」と数年前に決めたのだそうだ。 

テレビはスポンサーからの広告料で成立する。スポンサーやその背後にいる無数の視聴者に忖度し続けることを強いられる。 

それは、自分の人生の操縦桿を、言いたいことやりたいことを表現するか否かを、フワフワしてて根拠レスで瞬間風速だけは尋常でないけれどすぐに立ち消え忘れ去られる世論に委ねることと同義だと気づいた村本さんは、実入りの良かったそのポジションを捨てたのだそうだ。 

「世の多くの人たちは手に入れた安定した環境を失いたくないと怯え"不安症"になっている。自分とは異なる考えや立場の人に対して敵意を抱き、潰したり見えなくしたりすることで安全を保とうとする。不安に駆られたそんな言動が、巡り巡ってさらに息苦しい環境を強化してしまうにも関わらず。僕はずっと不安定な環境で生きてきた。不安は空気のように当たり前にあるもの。ずっと変わらず安定なんて幻想に過ぎない。僕はその不安の波を乗りこなしながらも楽しむ術を身につけてきた」(完全なる僕の意訳ですけど)そんな感じのことを村本さんは仰ってた。 

そして今。テレビを主戦場としていた頃より収入が増したのだと、ステージ上で近所の酒屋のおじさんからタダで貰ったワインをラッパ飲みしながら、赤ら顔で恥ずかしそうに、でもとっても誇らしげに仰っていた。 

クリント・イーストウッド監督の2009年作品『インビクタス』で、ネルソン・マンデラ大統領がいつ終わるかもしれない投獄期間中に心に刻み続けた詩の一節が、ラグビー南アフリカ代表(スプリングボクス)主将フランソワ・ピナールに伝えられ、勇気を与えるという場面がある。 

英国の詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩「インビクタス」の一節だ。 

"I am the master of my fate, / I am the captain of my soul." 

村本さんを見てて、その一節を思い出した。すげーカッコいい人だと感じ入った。 

不安の波を乗りこなす、っていい言葉だと思った。

頑張れ村本さん。オレも頑張れ。

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