いろんな剃刀
「ある事柄を説明するために、必要以上に多くを仮定するべきでない」
いわゆる「オッカムの剃刀」だ。
この指針を知った時はシビれた。
「カッコイイとはこういうことだ」
『紅の豚』のキャッチコピーが頭に浮かんだ。
バイキング方式60分食べ放題でアレもコレもと欲に任せて盛り付けられたプレートほど醜いものはない。腹はもたれるし残飯も増える。
現代最高の知性の1人であるナシーム・ニコラス・タレブ氏はその著書『反脆弱性』の中で「否定の道」を推奨している。
「脆さと反脆さの概念に従うなら(浅はかな思いつきやもっともらしい知識に任せて未来に新しいものを付け加えることで問題解決を図るのではなく、歴史と自然に学び)これからの時代に無くなるものを未来から差し引くのが、正しいやり方なのだ」
引き算の論理だ。シンプル・イズ・ベスト。スモール・イズ・ビューティフル。スパークジョイ(ときめきますか)だ。
そして、もう一つ。
「未来を理解するためには、技術屋の自閉症的な専門用語だとか、キラーアプリへの執着だとか、そんなものは一切いらない。必要なのは、過去に対する敬意、歴史に対する興味、先人の知恵に対する渇望、そしてヒューリスティック、つまり生存にとって重要な暗黙の経験則に対する理解だ。言い換えれば、ずっと身の回りにあるもの、生き残ってきたものを重視する必要があるのだ」
昨日「ハンロンの剃刀」という言葉を初めて知った。
「無能で説明できることを、悪意で説明してはならない」
これまた至言である。
悪意を仮定すると腹の立つことが100万倍に増える。精神衛生上良くない。プライベートでも仕事でも同じだ。
ただしこの至言。口にするのは賢くない。上から目線と断じられ、リアルな悪意を向けられる。
ムズいな、、、
私はポルコ・ロッソになりたい。
(画像はニコニコ静画より転載したシャーペンさんの作品)