【マトリックス・レザレクションズ感想】かつて「リローデッド」と「レボリューションズ」を観た映画館で「レザレクションズ」を観てきた(ネタバレ無し)
映画「マトリックス」を初めて観たのは、続編の「リローデッド」公開前夜の、金曜ロードショーでの地上波放送だったと思う。
当時、かの有名な”体を反らせる弾除け”のことは、清涼飲料水DAKARAの小便小僧によるパロディCMで知っていた。「何年前の映画パクってんだよ!」という小僧のセリフがあったと思う
とにかく、公開から数年遅れて僕は「マトリックス」を観て、そして魅了された。(注1)当時、僕は小学生で、(当時の小学生の間には)休み時間に友達と指をピストルの形にして、口で銃声を真似て、”撃たれた”側は体を反らせて避ける、なんていう遊びの光景があったような気もするし、なかったような気もする。
注1:実はマトリックスに先んじて、自分は山崎貴監督の邦画「リターナー」(2002)に熱中していたという事実がある。ちょうどVHSがDVDに移り変わりつつあるころの出来事。
とにかく、「リローデッド」と「レボリューションズ」は映画館で観ることができた。地元にあったショッピングセンターのサティには、ワーナー・マイカル・シネマズというシネコンが併設されていて、サティのフロアにもキャラメルポップコーンの匂いを漂わせていた。
リローデッドの終盤、「トリニティーを救うために、路上の乗用車を巻き上げながら飛ぶネオ」という映像はスクリーンだと相当な迫力があった記憶がある。それからレボリューションズでは、ネオとスミスの最終決戦以上に、「ホバークラフト船・ハンマー号に乗り合わせた登場人物たちが、莫大な敵のセンチネル相手に劣勢ながらも機銃で応戦する」くだりを、当時の自分は特に気に入っていた記憶がある。
それから20年弱経って、当時行ったサティはイオンに、ワーナー・マイカル・シネマズはイオンシネマに、それぞれ看板を替えていた。建物も経過した年数分、古びていた。自分だっていつのまにか社会人になっていた。消費税は上がったし、何より今は某ウイルスの新たな変異株が世間を賑わせている。(注2)けれど、甘いキャラメル・ポップコーンの匂いは変わらずそこに漂っていた。
注2:大地震、原発のあれこれ、ウイルスのパンデミック……そういったものをリアルタイムで体験することになるとは、マトリックスシリーズが公開されていた頃には想像もできなかった。
とにかく、昔「リローデッド」と「レボリューションズ」を観た映画館に、「レザレクションズ」を観にやってきた。
観終えてまず思ったことは、“自分“が大勢いた、ということだった。ネオに憧れた"自分"。マトリックスというSF作品に憧れ、クリエイターに憧れた"自分"。(注3)具体的に書くとネタバレになりかねないけれど、けれど多くの(主にあまり出番の多くない)脇役の登場人物たちが、自分のことのように思えた。
注3:実は最近の自分はSFの小説を書いたりしている。昨年は書いた小説が翻訳されて海外の文芸誌に載ったりもした。「映画・マトリックスの魅力はどんなところにあったのか?」と訊かれれば、(主に表層的なスタイリッシュさやディティールに重きを置きつつも)色々語れるような気がする。
個人的には、オリジナルのクリエイター(監督)が、ちゃんとシークエル(後日談)のために再登板したことも大きいと感じた。そういう意味で、「マトリックス レザレクションズ」と比較されるべきは、新たなクリエイターを迎え、新たなるサーガを目指した「スターウォーズ フォースの覚醒」だと思う。
劇場を出て、ひとまずトイレに行ったりしていると、昔この映画館へよく来ていた頃と大して変わっていない気がした。どれだけ看板が変わろうとも、しばらく訪ねていなかったとしても、ここは確かに馴染みの映画館だった。ちょうど本作のスミスのように。
確かに、決して不満に思えてしまうところが全くない映画ではないけれど、それでも、オリジナルのクリエイターが旧作を確かに引き継いだシークエルを作り、おそらくはその中に作り手の切実さと、さらに“その後“の物語に望んだものを盛り込んだのだろうという点で、「これは正しいマトリックス4」だと思う。
(12/18 一部加筆)