高校日本一になった日
2016年8月、高校年代の日本一になった。
全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会、いわゆる“インターハイ”において、自分が所属していた「市立船橋高校」は圧倒的な強さを見せて優勝した。
決勝の相手は、奇しくも同じ千葉県にある最大のライバル「流通経済大柏高校」で、千葉県予選決勝と全く同じカード。
意地と意地のぶつかり合いの好ゲームで、自分たち市船が前半終了間際に奪った1点を何とか守り抜き、史上最多9回目のインターハイ制覇を成し遂げた。
この本当に素晴らしい歓喜の瞬間を自分は自宅のテレビの前で見届けた。
17名という限られた枠から外れたスタンド応援組のメンバーは、準決勝を終えた段階でいち早く千葉に帰ってきていた。
そのため、自分を含めたメンバー外選手のほとんどは、自宅から日本一の喜びを感じていたはずだ。
「全国の頂点、日本一」
これは誰もが経験できるものではなく、本当に喜ばしいことだし、そんなチームの一員であることに今でも誇りを感じる。
しかし、改めて考えると日本一になったチームの「スタンド応援組」。
サッカーという競技をしている上でこんなに悔しいことはない。
全く試合に出られないのに多くのお金と時間を投じてくれた家族や、常に応援してくれる友人、これまでお世話になったコーチなどのことを考えると、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
ただ正直、どこか心の中で”開き直っていた”部分があるのも事実だ。
決勝戦のスタメンのうち7人は今もなおJリーグの舞台で活躍をしているし、さらにはここに入っていないメンバーにもプロに行った選手がいる。
実際、準決勝まで現地広島で応援をしていたが、これは負けるはずがないと出ていないメンバーのほとんどが感じていたはずだ。
それだけ当時のメンバーは完成されていたし、何よりも普段のトレーニング、日常生活から日本一というあくまで一つの”通過点”に向けて、一切の妥協も許さない取り組みをしていた。
今考えてもこの中でスタメンとして試合に出ることは、本当に難しいと思うし、もう一度やり直しても恐らく無理だろう。
側から見ると、「その程度で諦めるようなやつはダメだ」と思われるかもしれない。
しかし、自分の考えとしては、「高校生の時は勝てない」と感じただけであって、「今後長いスパンで彼らに追いつき、追い越せば良い」と考えただけである。
むしろ、すごく今の自分にとって頑張る活力になっている。
では、なぜこんなマインドになれたのか。
それは当時の監督である朝岡隆蔵監督が常に言っていたある言葉が大きく影響している。
「結果に目を向けるな。一喜一憂せずに自分が成長するために努力をしろ。」
この言葉こそ、今の自分の原動力になっていると言っても過言ではない。
「試合に出る出ない、メンバーに入った入らなかった、そんなことは関係ない。自分が成長するためにどういう取り組みをすべきか考える。」
当時の自分は一気にこのマインドに振り切った。
もちろんメンバーに入るために常に全力に取り組んだし、決して諦めていたわけではない。
ただ出た結果に対していちいち惑わされることなく、目の前のことに取り組んでいた自信はある。
幸いにも当時のBチームには同じ考えを持ったメンバーがいて、残された高校卒業までの期間、さらには大学に入った後もその子の活躍が刺激になっていた。
先ほど少し話したが、市船にとって「日本一」というのは一つの“通過点”に過ぎない。
というのも、市船サッカー部が目指していることは、市船という「ブランドを高めること」。
そのために、かつての先輩方が今もなお様々な場所において、「市船プライド」を持って行動している。
これこそが長年高校サッカー界を牽引する市船の強さなのではないだろうか。
今でも鮮明に覚えているのが、
「Bチームからプロ選手が出るくらいの集団にしたい」
という言葉。
まさに当時Bチームで全く試合に出れていなかった自分がプロになることで、それだけ当時の市船は強かったという証明になると思うし、それこそが市船のブランドを高めることにつながると思う。
だからこそ、これからもその一つの“通過点”に向けて日々取り組んでいこうと思う。
これまでの人生においてもっとも悔しくも、今もサッカーを続けている原動力となった試合。
それが、「2016年全国高校総体決勝 vs流経大柏」
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