見出し画像

自己紹介 │ はじめてのnote

はじめまして!
かじです。
自己紹介noteを書いてみました。

書きながら、ちょっと泣きそうになったのは秘密です。笑
温かい目で見てあげてください。



1:基本情報

1999年生まれ。(1998年の代です)
兵庫県伊丹市の出身です。
6個下の弟と二人兄弟です。
趣味はX。学生時代から毎日つぶやいています。
また、ゴルフを始めてみました。
ENFJ(主人公)です!

2:性格など

<ざっくり>
・猪突猛進
・うるさい(すごく声がデカいです。笑)
・体力めっちゃある

<好き>
・人と会うこと
・明るく元気なこと
・居酒屋さんにいくこと
・しょうもない話で馬鹿笑いすること

<嫌い>
・挨拶、感謝が無いこと
・人の悪口を言うこと
・人の夢を馬鹿にすること
・人を駒のように使う文化がある組織

3:学生時代(小学校〜高校)

「想像できない!」と言われることが多いのですが、小学校の頃は男女両方から嫌われるようないじめられっ子でした。
その時、唯一助けてくれたのがスクールカウンセラーの先生で、私を否定せず肯定し続けてくれ、先生のおかげで学校に通い続け卒業することができました。

中学に上がり、「またいじめられる自分に戻りたくない。カーストで上の方にいきたい。」という思いでいっぱいで、
・バスケ部(イケイケな人が多いイメージ)に入部
・勉強で学年上位をキープ
・腰パンをする(笑)
など、当時の自分なりに努力をしていました。
3年生で初めての恋人もできて、人生が少しうまくいき始めたかな、と感じていました。

▲ 中学時代。うーん…もさいな…(笑)

高校は、家の近さと制服の可愛さだけで入学。
「もっと認められたい」、その思いはまだ消えていませんでした。
認められない自分になったら、また仲間外れにされるという不安が拭えてなかったんだと思います。
受験する大学を決める際、小学校の時の経験が頭をよぎりました。
「スクールカウンセラーの先生になりたい!私も助けてもらったからこそ、辛い思いをしている子を救いたい。」
認められるために、関西の私立の心理学部でトップの偏差値である同志社大学に入学したい。
(私の高校は偏差値が50いくかいかないかくらいだったので、同志社大学に受かる=すごいことでした。)
その思いで毎日勉強を続け、同志社大学の心理学部に合格!


▲ 大学の入学式

3:学生時代(小学校〜高校)

自分の人生、かなり追い風が吹いてきたのでは?と思いつつも、どこか孤独を感じていました。
「みんなに認められるリーダーになったらこの孤独感は消えるのかな?」と、300名くらいが所属するスポーツサークルの会長に立候補しました。
結果、サークルのメンバーから会長としてOKをいただき、めっちゃいい感じの人生になってきている!と感じてました。
ところが、次の代のサークルの会長を決めるタイミングで私と幹部メンバーが対立。
「お前の勝手でサークルを潰す気か?」といった言葉が自分にとって相当ショックで、かなり言い争いになり、精神的にしんどくなって大学で立ち上がれなくなってしまいました。

あれ…。また一人になってしまった?
小学校の時の自分に逆戻りか?
どうしよう、どうしよう、どうしよう…

その時の自分の中には「認められないこと=孤独」という方程式が根付いてしまっていたため、とにかく認められるため何か競争に勝たないと…と盲目になっていました。
目の前にあった競争が、そう、就活。
早くスタートを切って、「良い会社」に就職してやるぞ!
スクールカウンセラーの夢は、自分の共感力がかなり高いので、辛い思いをしている子の話を聞いていたら自分もしんどくなって共倒れしてしまうのではないかと思い諦め、一般企業への就職を目指しました。

気づいたら、4年生の1月でした。
あれ…!(^O^)あと3ヶ月で社会人が始まる?
ガムシャラすぎたんです。
自分が何と戦っているか、何を目指しているかもわからずインターンや選考会など100社以上はコンタクトを取らせていただきました。
その中で「ありのままの自分」で臨んだ時には内定獲得ができず、
会社に気に入られるようなキャラクターを演じた時には内定を貰えることがわかりました。
結果、自分で自分がわからなくなり内定をいただくも申し訳ない気持ちでいっぱいで辞退をする。

何してんだ自分?

その時に偶然出会ったのが、営業代行のスタートアップの会社の代表でした。
面接で「この子扱いづらそうだな…」と思われているように感じることや、自分の価値観・目指したい社会像を包み隠さず伝えました。
この人なら私を否定しない、全て伝えてしまおうと思えました。
「いいじゃん!一緒に働きたい。」そうやって、ストレートに伝えてもらえたんです。
「この人についていこう。」と決心しました。

5:社会人

スタートアップの立ち上げということもあり、採用や広報、営業など様々な経験をさせてもらいました。
少数精鋭で戦っていたので、SVとして案件を回しながらそのあたりの仕事も同時に行っていました。
新卒から3年間、本当にお世話になりましたが24年7月をもって退職しました。

「自分の大切な人、そして自分自身のことも大切にできていない」

 

と感じたことが、退職を決めた一番の理由です。
大切な祖母のお葬式にも行かず、友人ともほぼ連絡をとらず、働ける時間は全て働きました。

退職してから日も浅く、気持ちの整理がついていない部分が大きいため
退職した詳細な理由はここでは控えさせていただきます。

ただ、社会人経験を通して新しいビジョンができました。

会社の当たり前が、外部の「当たり前」ではないと気づいていない人や、
自分の大切なものを大切にできていない人を助けたい。

 

そのためには、自分がまず誰かを助けられるような心の余裕、金銭的余裕がないとダメ。
20代のうちに年収1000万稼いで、バリキャリのロールモデルになってやります。

見ててください!

いつか、今の自分を笑えるように。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集